21世紀 都市デザインの課題 |
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西川 孝雄/アーテック一級建築士事務所 一般に首都ソウルの人の気質は東京に、南部の港湾都市・釜山は大阪に似ていると言われている。大邱は南部に属し朝鮮朝時代から慶尚道の中心として、韓国第三の都市として言われてきたが、現在その位置づけは下降しつつある。 漢令(漢方薬)のまち、繊維・ファッションのまち、林檎のまち、美人のまち、三人の大統領を擁したまち、と形容されるが、中でも特筆されるのは12校の四年制大学と16校の短期大学を有する『教育のまち』であることだ。現代韓国発展の中心的役割をしてきた人材(3人の大統領等)を多く輩出した都市であることから伝統的に向学熱が高くなり、他市に比べて大学進学率が高いことが主な要因である。 私が韓国を始めて訪問したのは‘86年、大阪芸術大学、環境計画学科2年在学中である。韓国、国立慶北大学校造景学科2年在学中の権 奇燦氏が、大阪芸術大学・環境計画学科に留学したことが縁で、私の韓国遊学の際案内、宿の提供をしてくれたことを機に、交友が始まった。大学卒業後、権氏は大阪府立大学、農学部、緑地計画研究室で修士課程、徴兵のため一旦帰国後、博士課程へと進むのだが、私の住まいが大阪府立大学の近隣だったため、交友がより親密となった。権氏の父上、権 五宅氏(元大邱大学校、英文大学学長・‘99年故人)は詩人で日本語の詩集も数冊出版しており、私の父とも同い年であることから後に、年数度の来日の際は西川家が定宿となった。以後私たち自身は勿論のこと、互いの兄弟の結婚式まで出席するような家族ぐるみの付き合いとなった。 権氏が博士課程終了後帰国、慶山大学校、建築学科造景学科(現大邱ハンイ大学校)の助教授となった。以後権氏やそのブレーンが主催する視察団のお世話をさせて頂いたり、当時私が理事をしていた西日本硬式空手道連盟と大邱のテコンドー組織との合同演武会も行った。‘00年には私自身が慶山大学校、建設システム研究所の客員研究員となり、年1、2度講義のお手伝いをさせて頂く様になった。 ‘01年、関西大学 丸茂弘幸先生より私に同校修士課程の学生の卒論の件で、韓国の大学関係者の紹介要請が縁で、丸茂先生にも渡韓、特別講義を開講して頂いた。同年、慶北大学をはじめ大邱の都市デザイン関係者の大阪、広島の視察があり、丸茂先生にもご協力頂いた。その際、たまたまお会いした大阪大学 小浦久子先生も慶北大学とルートがあることが判明。(この時、更なる広がりを予感)その間にも権氏を通じて知り合った造園会社に技術指導のために、日本の植木職人を派遣したり、私自身も大邱市内に日本庭園を作庭。 大邱在住でニューヨークでも活躍の現代舞踏家、画家、陶芸家、写真家、ライター、照明デザイナー達とも交流している。 翌春、権氏の研究室の学生が、大阪大学大学院に留学したことにより、大邱との交流が鳴海邦碩先生の知るところとなり、(それ以前より鳴海先生は数度、大邱訪問)鳴海・丸茂両先生が招かれシンポジュームが開かれた。それを機に大邱でも、都市デザイン会議の設立の機運が高まり、今回の都市デザイン会議 関西部会の韓国セミナーに合わせ、DUDI(大邱都市デザイン会議)の設立となった。 経緯としては以上であるが、ソウルと東京。釜山に代わって研究が盛んな大邱が大阪と親密になるのは自然な流れではないだろうか。日本の文化が良きつけ、悪しきにつけ韓国に影響を与えているが、古くは大陸から半島、そして日本へと文化が伝播し、今も尚、我々は大韓民国から見習うべき所は多い、かつては近くで遠い国であったが、今は良き隣人としてさらに交流を深めて行きたい。 |
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