21世紀 都市デザインの課題 |
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澤木昌典
歩行者モールは湾曲しながら、さらに西へ韓方薬の問屋街である大邱薬令市(ヤクニュンシ)へと続くが、これらの2つの道はかつて李朝時代の大邱邑城の城壁があったところである。 |
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東城路では中央部に露店やフラワーポットが並び、その両側を人々がそぞろ歩いている。当日は日曜日であったので、午前はやや閑散としていた通りも午後からは人通りが増え、夜になるとさらに増えて雑踏の感を呈した。日本の中心市街地が忘れかけている町の活気に、久しぶり触れた気がした。 露店はステンレス製で規格が統一されているものが多く、日除けの傘も含めて、市当局が規格等を定めて許可し営業させているようで、整然とした街並みを形成している。しかし横丁に目をやれば、そこには韓国の他都市で多く見られる露天商や商品の陳列台がそこかしこに並び、こちらも活況を呈している。人々のエネルギーを感じられる町である。
大邱市の都心部からその周辺部にかけて、韓屋や韓式住宅(図)というL字型の平面を持つ瓦葺きの平屋建ての住宅様式が残存しているのを見ることができる。 韓屋は韓国の伝統的な庶民住居形式の一つであり、通り景観としては大門と塀が特徴である。一方の改良韓屋とも呼ばれる韓式住宅は 1930 年代半ば以降に集中的に建設され、韓国全土に普及した形式であり、こちらも大門と塀が特徴であるが、この様式の普及には日本の植民地時代の朝鮮総督府が定めた市街地取締規則 (1913 年 ) や朝鮮市街地計画令 (1934 年 ) が影響を与えたという。 大邱中心部の旧城郭内には、韓屋および韓式住宅がわずかながらいくらか残っている地区があり、そこには塀で形作られた路地からなるヒューマンスケールの道路空間が残存している。しかし、これらの住宅は、近年取り壊されるものが多く、その跡地が店舗や駐車場に変わり、市街地の様相は大きく変わっている。 韓国の伝統的な居住様式を継承し、かつての市街地景観を特徴付けていた韓屋ならびにその市街地の環境を大邱の地域資源として保全していけないものかと考える。焼肉レストランとして残っている韓屋の一軒を訪ね、内部を拝見した。日本でも町家などの再生利用が盛んになってきている。韓国の韓屋もそうしたリノベーション手法によって、大きく生まれ変わる可能性を秘めている。 |
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2002 年の FIFA ワールドカップの会場の一つである大邱ワールドカップ競技場を訪問した。グループリーグでの韓国−アメリカ戦(1−1で引き分け)、3位決定戦の韓国−トルコ戦(2−3で韓国は惜敗)が行われた競技場である。 ピッチに向かう通路で、ピッチに足を踏み入れんとする JUDI メンバーのシルエットに、試合前の緊張感のようなものを感じたのは私だけか…。芝はよく手入れされ、朝露に濡れていた。
私が韓国の都市において関心をいただいているテーマの一つに韓国の住宅および住宅地と緑との関係がある。韓国では国土計画の基本目標の一つに自然との調和が挙げられている。韓国には自然は遠くにあり、ありのままの状態におくという自然観があり、塀で囲まれた住宅には樹木はあまり植えられてこなかった。しかし、ソウル郊外のニュータウンの戸建て住宅地などを訪れると、オープン外構の庭の洋式の住宅にマツを主木とした植栽を施した、いわば韓洋折衷様式のような住宅地景観が展開している場所がある。大邱での塀崩し運動の行く末とも関連して、韓国の戸建て住宅街の街並みや外部空間が今後どのような方向に展開していくのかが興味深い。あわせて、日本に比べて計画的な開発が政府や自治体の強い力で遂行される傾向にある韓国において、自然環境をうまく取り入れた環境共生型の住宅地区や新市街地がどのように形成されていくのか、非常に興味深く見つめて行きたいと思っている。 |
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