検討の経緯
スタートの状況
スタートしたときの状況を少し整理しますと、 まず大阪市からJUDIに遊歩道計画についての依頼がありました。 そのときは、 土木デザインを土木系コンサルタントがすると同じようなものになって面白くないので「新しい視点が欲しい」、 JUDIには多様な才能や技術を持った人が参加しているそうなので「設計の見直しをして欲しい」という話だったと聞いています。
そんな事でスタートしたわけですが、 実際にはJUDIのスペルを間違ったり、 JUDIって何ですかと言われたりと、 担当レベルではJUDIの認知度は低かったのが事実でした。 そんな中で理解を得ながら進めるのも一つの重要な要素だったと思います。
なお、 先ほどの工事区間は2005年の秋竣工ですから、 依頼を受けたときにはすでに基本設計や構造部の設計は済んでいました。 ですから、 我々はどこまで見直したらいいのかわからないままに着手したので、 試行錯誤しながらの作業となりました。
そういう意味では、 この計画には本当はもっと時間が必要であったのではないかとという思いがあります。
コラボレーション
さて次に、 今日のメインテーマである「コラボレーション」に着目しながら2002年度にやったことを順番に整理しました。
まず最初にメールでメンバーを公募しました。 JUDIとして検討したいというこだわりがあったためです。 委託業務を依頼されたというよりはむしろボランティア的なスタートでした。 このときの参加者は19名でしたが、 それぞれモチベーションの違い、 勘違いなどもあったようでした。 それでも過去に仕事で関わったなど様々な思い入れがあって、 それはそれで期待を持って面白い話し合いが進みました。
戎橋と太左衛門については、 とにかく1年以内に絵をつくらないといけないということがありました。 その際に個別の提案から共同化、 共有化するというプロセスをとりました。
それについて詳しく説明しますと、 まず各自の提案を10案出していただきました。 これにはややコンペ的なニュアンスがあって、 出てきた絵に随分差がありました。 この中から特徴的な3案に絞って大阪市の委員会にかけ、 それらを共有化して1案に絞るという手続きをしました。
そういう意味では、 最初はあまりコラボレーションしてなくて、 本当にコラボレーションが始まったのはこの委員会で方向付けが出来てからということになります。
03年に入ると案を詳細化しようということで、 メンバーを絞ってデザインチームを作りました。 結局このチームで材料やディテール、 個々のアイテムなどの詳細デザインを最後まで詰めていく事となりました。
橋梁チーム
話がまた戻りますが、 2002年にもう一つ、 橋のチームができ、 このときも5人くらいが色んな考え方を出して、 それらの個別提案を収斂して絞り出しました。 太鼓橋の案とか屋根付き案とか、 木の橋とか色々ありましたが、 結局3つ合わせてアイデアミックス的な、 なんとなく妥結したような案になりました。
2003年になると橋のデザインや構造について検討を進め、 実際の協議に入っていきました。
これは僕の主観ですが、 チームのやっていた作業はデザイン監修というよりは詳細設計そのもので、 詳細設計を担当したコンサルタント、 つまりJUDI以外の人とのコラボレーションも発生していたと思います。
また実施設計というのは構造設計の事なのか、 とも思いました。
関係組織
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関係組織
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さて全体の関係ですが、 まず「道頓堀を考える協議会」という組織があります。 これは商店街の代表や市会議員などが参加している活動組織で、 道頓堀全体の協議会ですから、 遊歩道だけに関わっているわけではありません。
遊歩道そのものは大阪市建設局と市の外郭団体などが考案し、 事業主体となっています。 それから鳴海先生や加藤先生が参加しておられる「道頓堀遊歩道デザイン検討委員会」に諮問するという構図になっています。
それから関係機関として、 市の財政、 維持管理、 都市計画などの分野があり、 それらとの調整をしながら案を作っていくわけです。 また国土交通省や警察などとも関わりが色々あるわけです。
さらに、 事業主体となるこれらの組織とJUDI関西ブロックの有志がやりとりしていくわけですが、 それとはまた別に、 実施設計する会社が別にあるという構造になっていまいした。
この中での意思決定の構造としては、 我々から提案しデザイン委員会にかけて、 そこで色々と議論してから地元組織との「整備会議」にかけるわけです。 つまりこの「整備会議」が実質的な決定機関ということになります。
そんなわけで、 整備会議後に我々の所に話が戻ってきたときには、 提案したものとは随分違った話になっていたりということもありました。
論点の整理
デザインの主体
さて、 今日の論点となる「デザインの主体」について考えたことをここで簡単に提示しておこうと思います。
まず「パブリックデザインの主体」は何かです。 僕は建築出身で、 一級建築士は最後までまとめさせられる、 つまり主体=デザイナーであるわけですが、 今回ちょっとそれとは違うと感じました。 事実、 自治体の人の意見や地元の責任といったものがデザインに反映される事が結構ありました。
次に集団的な議論のメリットと限界についてです。 これは今回デザインを検討する中で、 JUDIとして集団的に取り組む事の良い面もありましたが、 逆に言えば限界もあるんじゃないかなと感じました。 これは今日の議題にも上がるでしょう。
そして最後に「条件の変更への対応」についてです。 関係者の意見によってどんどん設計条件が変わっていくという事がありましたが、 そういった事を誰が決めているのかよくわからないという問題がありました。
コラボレーション
それから第2の論点として「コラボレーション」に関係する問題があります。
まずJUDIの中の「コラボレーション」に関わる課題があります。 というのも、 今回のデザインチームは最初にメールで公募したわけですが、 もしかすると仲良しグループが阿吽(あうん)の関係でデザインした方が楽なプロジェクトだったのではないかという僕個人の見解があります。 こういったコラボレーションの開放性・閉鎖性という部分について、 どうあるべきかというのが気になりました。
二つ目は意思決定や責任の所在についてです。 これは合議制の良いところと独断的にやる方が良いところもありますから、 それを時間など制約条件をクリアしていく中でどうやって決めるのかという問題です。
それから最終的な決断の仕方についても悩みました。 例えば経済的な条件、 政治的判断、 地域条件などが絡む問題については、 これもなかなかコラボレーションでは整理しきれないと思いました。
最後に、 コラボレーションといっても企業同士のそれとは違って個人としての自発的なコラボレーションだったということもあるので、 責任分担が重要な要素だったのではないかと考えました。
以上で、 私からのお話は終わります。
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