質疑応答
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里づくり計画で特定区域になるか、 保全区域になるかによって、 地主さんにとっては期待利益が大きく違ってくると思います。 そのあたりはどのように意見調整されたのでしょうか。
金野:
最初は、 意見調整が難しいのではないかと思っていました。 また、 さとの区域でも、 工場などを誘致するために特定区域にしたいという開発志向の計画になるのではと思っていました。 しかし、 開発を制限していくという考え方の人が多く、 意見調整はスムーズに進みました。 中には開発志向の考え方の人もいると思いますが、 みんなで議論すると、 よい計画ができるものだということを実感しました。
土地利用の規制などを守らなかった場合の罰則は設けているのでしょうか。
金野:
緑条例には最終的な拘束力はありません。
全国の他のまちづくり条例等と同様に、 ルールを作ってみんなで守りましょうというものです。 しかし、 現在のところ守らなかった人はいません。
なぜ地域レベルの計画では用途制限をしなかったのですか。
金野:
当初は用途制限を考えていました。
緑条例は、 「緑」から地域環境にアプローチする制度です。 したがって、 建物が環境に与える影響という視点で見た場合、 その建物の用途を問題にはできないのではないかという法制度上の解釈のもと、 地域全体のルールとしては用途制限をしないことになりました。 一方、 里づくリ計画では用途制限が可能となっています。 つまり、 地域全体のルールとしては用途制限を行なわず、 用途制限をしたければ住民合意で決めてもらうという体系をとっています。
ただし、 地域全体のルールとして高さや床面積の基準は設定しています。 このことにより、 さとの区域では大規模小売店舗、 マンション、 パチンコ店、 ラブホテルなどの建設は間接的に規制されています。 一方、 集落に必要な交流施設や地域活動のための公民館などはこの規模で建設できますし、 この規模を超えるものは、 個別審査で認められることもあるという仕組みになっています。
想定している景観の広がりの範囲や、 季節ごとの景観のあり方といった、 目指すべき地域景観の目標像や景観についての考え方のようなものはありますか。
金野:
季節についての記述は特にありません。
空間の目標像については、 横山さんの話にもありましたように丹波地域には固有の農村空間構造や歴史性があります。 それらをできるだけ継承していくということが基本的な考え方です。
したがって、 空間の単位は少なくとも一集落となります。 風景として目に入るのが三つくらいの集落だとすると、 その平地部分の広がりは大体100haになります。
兵庫県の中で、 丹波だからこそ緑条例ができたのでしょうか。
また、 全国的にいろいろな景観条例が制定されてきています。 また、 景観法ができ、 農村計画学会でも景観法がらみで条例の可能性を追求するシンポジウムも多く開かれてきています。 しかし、 景観法を使わないという自治体も多くありました。
丹波地域では緑条例と併せて、 景観法も使っていこうと考えているのでしょうか。
また、 景観法と緑条例はどのように関係させていこうと考えているのかを教えてください。
金野:
緑条例は丹波だからこそできたと思っています。
他の地域では、 今すぐにはこれと同じことはできないと思います。 丹波地域に緑条例が適用され始めて7年が経過します。 丹波では1990年頃から「丹波の森構想」を広く浸透させてきました。 そのため、 地域の特徴を出そうということに対する理解を得られやすかったこともあると思います。
景観法に関しては、 「道具」として使いやすいかどうかは、 使ってないから分かりません。 しかし、 内容を見る限りでは使えるのではないかと感じています。 景観的にレベルの高いところでしか景観法は使えないと耳にしたこともありますが、 それは誤解だと思います。
景観法には、 景観重要建造物や景観重要公共施設というメニューもあり、 面も線も点も扱えるようになっています。 基準の置き方次第では、 緑条例と同じようなゆるやかな規制もできると思います。 自ら条例をつくるよりも景観法に頼った方が楽だと思えば使うのも一つの方法だと思います。
山崎:
緑条例は日本一の条例だと思っているのでしょうか。
金野:
いつも思うのですが、 基準をつくっても、 地域は何も変わっていないですね。 これからの運用次第だと思います。
最後に述べたように、 「計画を担保できる仕組み」を作らなければ制度は形骸化してしまいます。 いかに住民を巻き込み、 専門家に入ってもらうかを考えなければ、 10年後に振り返ってみたら、 制度は作ったが効果はなかったということになりかねないと思います。
日本一かということについては、 神戸市の「人と自然の共生ゾーン」穂高町や真鶴町のような独自の取り組みもあり、 日本一だとは思っていません。
横山さんに意見を聞きたいのですが、 これまで様々な集落を調べてきて、 風景を読み解く薀蓄をたくさん仕入れていると思いますが、 それをどうすれば地域の人たちに伝えられますか。 伝えるのは、 横山さんの特技であるかも知れませんが、 例えば、 説明の仕方によっては地域の人たちにとっても目から鱗というような知識もあると思います。
海外では70歳の町の老人が都市計画課の顧問をやっているところもあります。 そのようなやり方もなかなか良いと思います。
横山:
専門家を目指す若い人には、 私は、 山原(ヤンバル)型土地利用の計画が載っている1977年の『建築文化』11月号を一読することをお勧めします。 多くの人は今帰仁村中央公民館や名護市庁舎に興味を持っていましたが、 私は日本都市計画学会石川賞を受賞した沖縄の一連の調査計画に興味を持ちました。 これが私の地域を捕らえる手本となっています。
建築学科では必ず建物を見て来いと言われると思います。 それが、 都市計画の場合は街や地域の写真を撮ることになると思います。
私も大学時代に先輩に言われてカメラを持って写真を撮って回っていました。 最初は撮り方が分からず、 妻籠であれば、 カメラマンが撮影するアングルと変わらない街道筋の写真を撮っていました。
しかし、 そこで生活している人は、 いつも街道を歩いているわけではありません。 街道の裏手に川があることに気づき、 村と川とのつながりを知りたくなり、 裏に回って写真を撮ることになる。 そして少し考えれば、 その村の人たちがどのような生活をしているのか農地と家屋、 河川、 そして山との空間構成を理解してみたくなります。 写真を表通りしか撮っていないとしたら地域環境を捉えたことにはなりません。 おかしいですよね。
そのような見方で経験を積んでいけば、 誰でも集落環境は捉えられると思います。 あとは文献などには頼らないようにすることです。 文献には殆ど書いていませんので、 現地で確認することです。 建物もよく観察し写真を撮っていけば、 10年くらいで自然にコツが分かってくるはずです。 多くの建築家の人はそうだと思います。
最近の若い人は「写真を撮って来い」と言ったら、 「どのように撮ってきたら良いのですか」と聞いてくるのです。 数を打てば当たるという考えで見ていくことが一番訓練になり自己流が確立する手がかりになると思います。 解るまでその場にじっと立っているという発見的方法が一番良いと思います。 地域の答えは地域にあるので、 自分の目で確かめることが大切です。
現地に行き、 素朴な疑問をもち、 確かめることです。 なぜここに家を建てたのだろうとか、 なぜこの木が何十年間も残っているのだろうという疑問を持ち、 その土地を見ていたら大体読めてきます。 その際、 朝起きて人がどのように移動し生活しているのだろうという観点から考えていく必要があると思います。
現地に言って体験しないとわからないことも多いのです。 私の経験で最も興味深かったのは、 震災の頃に調査した淡路島の東浦と西浦です。
夏場の調査でしたが、 北淡町西部の播磨灘に面している西浦地域の露地は涼しいのです。 これは、 南風が山手を通り、 湿気が抜けて山で冷却された空気となり、 その南風を吸収するように南北基調の露地が構成されているためです。 西浦の集落は北側を向き、 露地は南北に走っています。 一方、 東浦地域の露地は海岸線に垂直に東西基調でできています。 これは浜港として船を浜に陸揚げして露地につながる空間構成となっているためです。
西浦の露地が涼しいということは体験してみないと解らないと思います。 また、 西浦地域では路地のことを「アワサ」と言うそうです。 何が合わさるのかよく分かりませんが、 私は風かと思いました。 一方、 東浦地域では特に名前はないそうです。 このように固有名詞が付くと何かあるということが大きなヒントになると思うので、 住民の話を聞くことも大切だと思います。 いずれも現地に行って自ら体感することです。
地域住民には、 現地を歩き一緒に確認しあうことが一番だと思います。 年配の方も地域の逸話や云われは詳しいのですが、 土地利用やまちづくりとして組み立てられてない人が多い気がします。 その点をアドバイスする必要はあると思います。 これまではタウンウォッチングなどをした上で、 専門家の視点から写真や図で話をすると理解していただいてると思っていたのですが、 個人的に地域へあまり伝えることを意識してやってこなかった面はあります。 その点は反省したいですね。 ただ里づくりとして地域で重視されるのは知識よりもやる気を起こす実践力で、 とにかく地域で取り組むぞと立ち上がってもらわないことには始まらない面があります。 里づくりやまちづくりはどうしても参加者は男性中心なので、 頭でっかちになりやすいのですが、 経験で言えば丹波の北野新田のように「灯りづくり」(丹波たんころ)のような興味あるイベントを通して里づくりやまちづくりは面白いといった意識が芽生えてから徐々に知識を伝えていくのがいいと今は思っています。 プロと違って知識からやる気が起こる人は意外と少ない気がします。 地域での継承は、 まちづくりとして専門家とともに実践を継続することでその集落の持つ空間的秩序が現況特性や魅力として伝えられていくと思います。
「地元の盛り上がり」について補足しておきます。
篠山市では「緑豊かな里づくり条例」を策定しており、 里づくり計画に予算も付き、 担当者もいます。 そのため、 毎年2、 3件ずつ里づくり計画ができています。
当初は開発圧力が強いところで里づくり計画をつくっていました。 しかし、 住民のやる気がある地区でも取り組みをはじめると、 過疎地域などのように開発圧力が少ない所も最近多くなってきました。 住民が、 どうやって農地を維持していったら良いのかといった危機意識をもっているためです。 誰がどのように農地を維持し、 山を守るかといった活性化計画も含めた里づくり計画が増えています。
また、 開発圧力が高い地区の里づくり計画も保存型の計画となっています。 全体的に住民の保存意識が強く、 開発はもう要らないと言われる人も多くなっています。 このように、 ふるさと環境を守りたいという意識の人が多くなっているような気がします。
私が関わったところでは住宅地にするところが殆どないくらいに農地を保全したいということでした。 また、 丹波の良さを分かっている人に住んでもらいたいという意見もかなり出てきており、 仕方ないから丹波に住むというような人は要らないというような意思表示をするようになってきています。
今日は、 横山さんと金野さんに、 主に丹波を通じて、 むらづくりやまちづくりの骨格的な話を紹介していただきました。
いろいろ重要な話題提供がありましたが、 これに加えてもう少し議論すべき点も指摘しておきたいと思います。
例えば、 どうして市町村ではなく兵庫県がこのようなことをやっているのかということです。 兵庫県は現在、 他の地域にも指定区域を拡大しようという作業を行なっていますが、 本来は市町村が自ら進んでやるべきことだと思います。 そういうことを兵庫県という超広域的な公共団体が問題意識をもち、 リーダーシップをとってやりだしたということです。
また、 景観条例の場合は、 市町村が景観条例をつくると県はそこには手を出さないようになっていますが、 緑条例は併存していくようになっています。 そのような組み立ても面白いとは思いますが、 市町がやらなければならないことについて、 基本的な計画論としての考え方を整理していくことも大切だと思います。
今日は、 地域の土地利用に着目し、 地域の環境を継承しようという試みについて、 それをちゃんと組み立てて実際の地域づくりのなかに生かして進めている先進的な状況を説明していただきました。
計画策定時の意見調整について
前田(学芸出版社):
緑条例の罰則規定について
松山:
用途制限をしなかった理由
泉(兵庫県):
景観の目標像、 景観の考え方
數野(滋賀県):
丹波だからこそできた緑条例。 景観法との関係は?
山崎(神戸大):
風景を読み解く方法
鳴海(大阪大):
地元の盛り上がり
横山:
終わりに
鳴海:
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