どんな建物を近代建築物と捉えたか
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1963年→2001年 船場の近代建築物の分布
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これは船場の近代建築物の分布が1963年から2001年でどう変化したかをプロットしたものです。
この分布から、 堺筋と北浜周辺が当時は歴史的建築物の多い地域であった事がわかります。 逆に御堂筋には少ないようです。 それが2001年に私が調査したときには194件から68件に減っており、 126件の近代建築物が消滅していました。
消滅後に建て替え、 新設された99件の建物を調べると、 個々の建物が大きくなっていることから、 近代建築物が潰れていった理由の一端をうかがうことができます。
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松岡外科医院(1901年)→北浜松岡ビル(1972年)
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これは昔の建築物の写真と、 それと同じアングルから撮った今建っている建物の写真です。 こういった事例を私は修士論文で沢山集めたわけですけれども、 明らかに魅力が落ちていると私は感じるのですが、 皆様はどうでしょうか。
どういった建築を近代建築物として調べたかを簡単に説明すると、 まず大阪府内で1867年(明治初年)から1945年(昭和戦前)までに竣工した建築物をまとめた「近代大阪の建築」(社団法人大阪府建築士会編1984)の巻末表から、 船場にあったといわれる建築物を262件抽出しました。
さらに、 そのうち戦災で消えたものを除くため、 一戸一戸の建築物を確認できる一番古い資料であった昭和38年度版の大阪市全商工住宅地図帳で存在が確認できる、 つまり戦災を免れ1963年まで存続していた近代建築物を194件抽出しました。
これが調査対象となった近代建築物です。
近代建築物の概要
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近代建築物の建設時期(194件)
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近代建築物というと明治期の建物というイメージがあるのですが、 これらの近代建築物の建設時期をみると、 船場では圧倒的に多くの近代建築物が昭和一桁から戦前、 戦時に入るまでの期間に造られています。
いわゆる近代建築物が官公庁の建物から商業地域に広がっていくのには、 やはりかなり時間がかかったようで、 商業的な建築物が、 煉瓦造りやコンクリートに変わっていくのは、 この地域では昭和以降であったという事がわかります。
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接道条件による類型
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また、 194件を接道条件によって分類してみますと、 目立った特徴として、 二つの道路が交差するカドの部分に立地する角地型の建物が最も多くありました。
これは、 かつて銀行などの建築を造るときのある種のルールであったらしいのです。 カド地に土地を確保して、 そのカドの所に入口を造るのが建築の造り方だったそうです。 船場らしい特徴が出ているという気がします。
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