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これは1930年に川崎貯蓄銀行大阪支店として建築された建物です。 設計は川崎貯蓄銀行の営繕担当者で、 施工は竹中工務店でした。 近代建築物と言えば船場の場合は銀行の建物が多いのですが、 その銀行の経営統合や店舗閉鎖に合わせて近代建築物もなくなっていったという経緯があります。 この建物も、 京都相互銀行大阪支店になり、 その後京都共栄銀行という名前に変わって1998年に破綻、 幸福銀行に営業譲渡されましたが、 2000年にまた破綻し、 再生法を適用し関西さわやか銀行が新設されました。 それがさらに関西銀行と合併して、 今は関西アーバン銀行という名前に変わっています。 こんな具合に銀行自体の経営が再編を繰り返す中で、 その店舗である近代建築物も割と軽んじられていたのではないでしょうか。 幸いこの建物は2000年に破綻したあと店舗は閉鎖されましたが、 今はアンブロシアというレストランとして使われています。
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これも大中証券と呼ばれていた時期が一番有名でしょうか、 元は大阪教育生命保険の建物で、 1912年(明治45年)に造られました。 現在はシェ・ワダというレストランになっています。 設計は辰野金吾です。 彼は東京の建築家じゃないかと思われるかもしれませんが、 片岡安(かたおかやすし)という22才年下の建築家と日本銀行大阪支店を手がけた後に大阪事務所を開設しており、 関西でもいくつか作品を残しています。
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この建物は今どうなっているのかちょっとわからないのですが、 1936年に三井銀行大阪支店として建てられました。 私が調査したときには三井住友銀行となっていましたが、 店舗としては使っていないようで、 電算センターとして使っているのかもしれません。 設計は曽根・中条建築事務所、 施工は竹中工務店です。 曽根達蔵は元々は三菱のおかかえ建築家だったのですが、 中条氏と独立して三菱とは関係ない三井の設計をしているというわけです。
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次は板谷歯科医院という淡路町にある昭和初期の建物です。 デザインが気に入ってまして、 採光の取り方など上手いなあと感心してしまいます。 こういったこじんまりしたものもいまだに残っています。
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