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建物がなくなって起こった変化

 

消滅した近代建築物の敷地変化

 
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消滅した近代建築物の敷地変化(126件)
 
 さて、 その消滅した近代建築物の敷地変化から、 どういう問題があったかをまとめてみました。

 126件のうち、 同じ敷地を使って背だけ伸びたような変化の仕方をした「同一型」が55件で全体の半分以下でした。

 一方隣の建物敷地に広がって新たに建つというケース「併合型」が41件と、 結構多い。

 逆に分割されて建つという「分割型」は3件だけと少ない。 もっとも目立ったのが、 潰されたあと新設されずに駐車場とか工事中などになっているケースで、 20件ありました。

 郊外の住宅地などでは、 立派なお屋敷がミニ開発の形で細分化されて街並みが崩れるというケースがありますが、 船場の場合は商業空間だけに、 敷地を広げて新しく建つケースの方が多いようです。


建替え前後の建築比較

 最後に何枚か昔の建築と今の建築を比較してみたいと思います。

 
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東京建物ビルディング(1931年)→ 東京建物大阪ビル(1985)
 
 これは御堂筋に面した建物で、 以前は欧風の建物で、 立面構成など、 かなり意匠をほどこした感じがあります。 これは渡辺仁の設計です。

 これが建て替わった後は、 装飾的な以前の建物と比べると、 やや大人しくなった感じです。

 
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つねなりスタジオ(大正初期)→つねなりBLD (1997)
 
 建て替えで背が伸びた事例として、 つねなりスタジオという写真スタジオの建物をご紹介します。 なかなか遊び心のある設計の建物だったのですが、 1997年頃に新しい建物に建て替わって、 つねなりBLDとなりました。

 多分所有者の方も一緒で、 まあ背を高くして不動産賃貸の収益を高めたという事だと思いますが、 新しい建物の一番上の部分にライオンの彫刻がほどこされています。 それなりにデザインで遊んでみようという気分はあったと思います。 ただこの辺を歩いている人からは、 このライオンの装飾は無理に見ようとしないと見えません。

 
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北浜野村ビル(1921年)→大阪証券取引所(1989年)
 
 むかしは北浜野村ビルと言っていた建物が1989年にこの建物に変わっています。 単純に建物だけ見ると、 規模もそんなに変わってないので、 ちょっと手直ししてそのまま使い続けてもよさそうなものなのですが、 何故かそうならなかった。

 低層部の石を剥がして新しい建物の改築に利用しています。 いわゆる近代建築物の保存意識が芽生えた頃に、 部分保存に取り組まれたのではないかと思います。 しかし、 いかんせん上層部のデザインが平板で、 私の好みとしては昔の建物の方が好ましく思います。

 
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大阪東郵便局(1931年)→大阪東郵便局(1988年)
 
 大阪東郵便局です。 建て替えた理由はよわかりません。 逓信省の営繕にいた吉田鉄郎という人が設計しました。

 建て替え前後とも同じスタイルの建築に分類されると思うのですが、 そういった苦労した跡の見える建物です。 ただ、 その魅力は減退したのではないでしょうか。

 
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富士火災海上保険(1937年)→富士火災海上保険(1988年)
 
 これも建物自体の所有者は同じで、 富士火災海上保険の昔と今の建物です。 昔の方は設計・施工とも竹中工務店です。

 これを建て直した理由は割とわかりやすくて、 背を高くして有効に使っていこうという判断だったわけです。

 新しい建物も、 建てられた時点では建物として魅力が全くないわけではありませんし、 低層部には空地がとられて面白いデザインになっていると思います。 しかしそうはいっても、 昔の建物の方が上手く遊んでるというか、 なんともいえない魅力があります。

 
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北浜ビルディング(1921年)→横井北浜ビル(1993年)
 
 これは北浜ビルディングです。 1993年に横井北浜ビルディングという名前で建て替わりました。 これなどは今の建物も昔の建物も敷地に対して垂直に立っているだけの建物で、 写真で見る限り、 ほとんど外観形状は一緒ですが、 昔の建物の方が細かい部分にデザインが施されています。

 最後は似たような話ばかりになりましたが、 近代建築物の昔と今という形で比較して、 その変化をお話しさせていただきました。

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