台湾の参加型まちづくりと震災復興について
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質疑応答

 

 

鳴海

 いろいろと興味深いお話をありがとうございました。ここからは質疑応答の時間として、皆様からのご質問を受けたいと思います。


国と自治体の関係、および復興資金について

金沢(大阪産業大学)

 2点うかがいます。

 震災の後、地域には外部からいろんな専門家が入りましたよね。いろんな計画に参加しながらまとめていったというお話でした。日本だとこういう場合、県や村などの行政の役割があり、決定権があるんです。先生のお話ではそんな枠組みを遙かに超えて、直接国からの働きで様々な計画が動いていったという印象でした。そのとらえ方は正しいでしょうか。

 それから、永平村商店街の復興計画には大変お金がかかるはずなんです。その資金の出所はどこなんでしょう。国なのかそれとも寄付なのか、どういうお金の動きがあったのかを教えてください。

 実は、被災地の自治体の力は比較的弱かったんです。ですから初期の社区復興まちづくりに対して地元は力を入れませんでした。被災地の地元はそれではなく、他の仕事がありました。例えば、公共施設の再建とか行政サイドの仕事で、手がいっぱいになったんです。

 また、そもそも社区営造が始まったのは中央の方ですから、中央の専門家が多かったという事情もあります。

 でも実際に復興まちづくりの支援を手がけたのは、現地に設けてある国の震災対策本部でしたから、同じ行政機関である自治体も少しは関わりました。最近では自治体で力をつけているところは、国と一緒にやっているようです。台湾全体から見ても、上からおりてきたものを自治体で消化している例が増えているようです。

 もう一つのご質問は永平村の再建資金についてでしたね。やはり、これは国からの資金や補助がありました。全壊の家に20万元も見舞金が渡されたはずです。また、利息なしで借りられるお金が150万元あり、低利息の200万元というのもありました。

 それから台湾では個人のお金が足りない場合、一族で協力するという習慣がありますので、その方面の資金もかなり入ってきたはずです。特に農村部は家族の結束が固いところですから、そちら方面の応援が多かったと思います。それにこの地方の建設費用は都市部に比べたら安いですから再建が比較的容易でした。

 その他、民間から厖大な義援金を集め、これで921重建基金(ファンド)会が設立されました。この基金から低所得者の家の再建の補助金や、全壊した集合住宅建て替え一次貸借金が出ました。更に集合住宅の建て替え費用がない人の住宅部分をファンドが一時買い上げるというやり方もあります。

 ですから台湾の復興は国からのお金の他、個人、ファンドによって支えられたというわけです。これについては、日本の先生方もいろいろと調査されたはずですので、詳しくはそちらの資料で見ていただきたいと思います。


まちづくりを支える人材育成について

乾(立命館大学)

 陳先生のお話をその通りだと思いながら聞いていました。とりわけ日本の町と比べながら聞いていると、「共同のまちづくりの専門家の育成が重要である」というご指摘が印象に残りました。それから、震災になってからあわててまちづくりに取り組むのではなく、平常時の活動が重要であり、台湾全土にまちづくりを広げていかねばならないということも改めて確認できたと思います。

 日本でも神戸の震災以降、その経験を全国のまちづくりに生かさねばならない時期になっています。日本の場合、被災地以外の地域で大変なことは、建築など物を作る人はそれで仕事になるんですが、ソフト部分、つまり生活再建や仕事を生み出すというコミュニティの活性化へ向けたサポート体制が難しいんです。どうしてもソフト部分のサポートは「仕事にならない」「飯が食えない」という状況になってしまいます。台湾でその部分のうまい仕組みがあれば、ぜひお聞きしたいのですが。

 困りましたねえ。というのも、私は台湾で「日本ではこういうソフト部分はどうやっているのか」としょっちゅう聞かれるんです。大変なんですよ、台湾も。

 「仕事にならない」と言う面は確かにあると思います。9.21地震のような特殊な場合は国からお金が出ますし、平常時の社区営造も政府から資金が出て、申し込み型計画も少しずつですが、なんとかやっていけました。しかし、長期間の視点で考えるとソフトなまちづくりは変わりなく難しいですね。

 先ほど話に出た重建基金(ファンド)を例に取ると、これを立ち上げるとき、「震災で仕事をなくした人へのサポート」という願いもあったのですから少しは役ちましたが、実際にはまだまだ足りません。

 まちづくりが一番進んでいるのは台北市で、いまの陳大統領が市長を担当した頃は社区環境改造に力を入れてやっていたため、補助が多かったのですが、今の市長になると財政悪化の理由で補助金がかなり減額されてしまいました。

 この問題について我々は、2つの解決策が考えられると思います。一つは桃米社区のように、社区自体がある程度財源(例えば公共ファンド)を作り、確保すること、いま一つは政府の財源の分配を改める。政府は毎年、厖大な公共工事に予算を投入した、その中から一割くらいをまちづくり、特にソフトな仕事にまわせると、多くの人の仕事が出来るじゃないかと思います。要するに、財政の分配の仕方を工夫すればできるんですね。

鳴海

 まだまだうかがいたいことは沢山ありますが、続きは懇親会で陳先生を囲んで教えていただくことにしましょう。

 今のお話を聞いてふと思い浮かんだのは、昨今の建設不況の中で、中小建設業の業務領域の新規展開として「まちづくり領域への展開」が一部で検討されていることです。身近な地域のディベロパー、コミュニティ・ディネロッパーの可能性がないかどうかということです。今、陳先生がおっしゃった提案も夢ではなさそうな時代になっているという気もします。

 近々開かれる建築学会(2005.9.2、近畿大学)でも、陳先生も交えてこうした問題を議論していく予定です。

 陳先生、今日はどうもありがとうございました。

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