日本の原風景の源流を探る
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文明の精神と風景

 

江戸文明の死

 以上が日本での風景の変化ですが、さきほど井口先生がおっしゃっていたように、渡辺京二さんはこの現象について「江戸文明の死だ」と表現しました。さらに渡辺さんは「文化は生き残るが文明は死ぬ」ということを言っていて、「民族の特性と文明の心性は別だ」とも言っています。民族の特性はなかなか変わらないけれども、文明の心性はもろくも消えてしまうということです。

 この民族の特性については、日本人の変わらない傾向として、

 ・知的訓練を従順に受け入れる習性
 ・国家と君主に対する忠誠心
 ・付和雷同を常とする集団行動癖
 ・外国を模範として真似する国民性の根深い傾向
 といった点をチェンバレンは挙げています。渡辺京二さんは安土桃山時代から江戸の初期に外国人が来た頃の事をも分析しているのですが、その頃外国人が指摘してきたことと同じだと言っているわけです。


文明の精神と外形

 ここでの文化と文明の分け方というのが、我々が普通使っている意味とは違うなということを感じなくはないのですが…。例えば福沢諭吉は『文明論之概略』のなかで文明の精神と外形ということを言っていて、「文明の外形はこれを取るに易く、その精神はこれを求むるに難し」としています。

 文明の外形の典型として「衣食住有形の物の如きは、自然の勢いに従い、これを招かずしてきたり、これを求めずして得べし」としています。

 ブータンなどは積極的に守ろうとしているわけですが、日本の場合は積極的に入れよう入れようとしたわけです。それを福沢諭吉は批判していて、文明の精神をまず会得することを先にすべきだということを言っているわけです。

 その文明の精神と言っているものと民族の特性と言っているのはよく似ていると思います。要するに独立自尊と言いますか、自分できちんと考えられるようにならないと駄目だということを言っているわけです。

 ですから開化の順序としては、まず人心を改革して、社会の諸制度を改め、その次に初めて有形の物を取り入れていけばいいと。「この順序を倒にすれば、事は易きに似たれども、その路忽ち閉塞し、あたかも障壁の前に立つが如く」だと言います。どうも我々は明治以来その逆をやってしまって、今閉塞状況に陥っているのではないか。ある意味で日本とは本当に逆のことをブータンではやっているのではないかという気がします。


ブータンの実験

     
     ブータンの実験
    ○GNH 国民総幸福度
     幸せ=財/欲望  欲望∽情報
     幸福度の変数:経済開発、環境上の保存、文化的促進、政治
    ○伝統文化復興政策
     民族衣装「ゴ」着用の義務付け
     建築様式に関する詳細な規定(保存の観念はない)
    ○英語による教育
     英語の普及は文化的アイデンティティの自覚を促す?
     英語で教育された岡倉天心の日本文化発見
        “Book of Tea” “Ideal of East”
         東京美術学校の制服は和服、欧州旅行を和服で通す
         フェノロサとの日本美術発見
 
 英語による教育のところで気がついたことの一つは、実は英語で教育されるということと、文化を保存するということは、二兎を追うようであって、むしろ逆なのかもしれないということです。

 例えば岡倉天心はアジアは一つだということで、日本やアジアを熱心に主張した人ですが、書いた本は全部英語です。彼は横浜で小さい時からむしろ英語で教育を受けて育ったわけです。そしてフェノロサというハーバードの秀才と一緒に日本を歩いて、そこで日本の文化のアイデンティティを発見していった。日本人が、英語が下手だということと、外国の文化を簡単に受け入れてしまうということは、多分同じことなのではないか。ブータンの人はアジアの中で一番英語がうまいと言われているらしいのですが、そのことと文化を保持しているということは、ひょっとすると関係しているのかもしれないと感じました。

 それから建築様式に関して、保存という観念はないのだということを言っている人がいます。保存ではなくてむしろ様式を継承しているだけなのではないか、新しくどんどんつくっているのではないかと。この2点について感じた次第です。


ブータンの伝統文明の行方

 ブータンは地球上最後の開国なのではないかという気がしています。例えば北朝鮮をはじめとして、まだ鎖国状態にある国はありますが、本当に純粋な意味での開国というのは、最後の国ではないでしょうか。しかもそこで今までとは違う開国のスタイルをとっている。このことがどういうシナリオに結びつくのかを考えた時に、3つくらい考えられるのではないかと思いました。

 一つは近代化が遅れるだけで、いずれは今の文明は死滅し、普通のアジアの国になるのではないかと。そういう兆候というか危険を感じてこられた部分もあったのではないかと思います。

 もう一つはシナリオ2として、自然と伝統を生かした観光立国により東洋のスイスになる。実は開国を経験しない国の多くは(ヨーロッパの国の多くは開国という経験をしてないわけですけれども)、普通に生きているわけです。伝統が残っているということは珍しくもなんともないわけです。

 それからシナリオ3として、ヒマラヤの辺境から文明の逆流が始まるかもしれない。例えば建築について言うと、伝統建築というのは実は地産地消建築であって、保存と言うよりも時を越えているために保存を考えなくても残っていくというところがあると。ひょっとすると地球環境建築の発信源になりえるのではないかと感じました。その辺はみなさんにご意見をいただければと思います。

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