景観法で都市は美しくなるのか
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教育が問題では

大阪大学 鳴海邦碩

 

金澤

 まずは鳴海先生と京都美術造形大学の井口さんにお話しいただいて、討論の口火を切って頂きます。

 それから、本日は沢山の方に来て頂きました。都市計画・都市デザイン・景観・造園関係の事務所の方々、それから大学研究者、行政の方々など、専門家の方々が大勢いらっしゃっていますので、お二方に口火を切って頂いた後には是非とも会場からご質問なりご意見なりをお伺いしたいと思います。

 それではまず鳴海先生からお願いします。


コルビジェは過去を否定する革命家

鳴海

 それでは簡単にポイントを絞ってお話をしたいと思います。

 私が聞きたいことは教育の問題です。先ほど土田さんがコルビジェのことを指摘されました。誤解を招くような言い方になるかもしれませんが、コルビジェは思想家に例えて言うとマルクスです。マルクスには世の中を変えなければならないという認識があって、それを実現するためには既存の社会システムとか経済システムを否定しなければいけないというところから出発しています。このような考え方と同様に、コルビジェはパリという中世以来の街を変えなければならないという考えに立って、そのような都市の姿を否定しないといけないという思想を組み立てたのです。

 コルビジェが、市街地に建って町並みを形成するような建築の設計をやったとはあまり聞きません。周りに空地をもった建築の設計が多いように思います。彼の思想的な仲間だったルシオ・コスタやオスカー・ニューマイヤーもそうです。彼らは発展途上のブラジルで、広大な敷地に、彫刻のような建築を設計し、「これが建築のモデルだ」と示したのです。

 戦前にコルビジェに学んだ建築家もいましたし、戦後にも多くの建築に関わる人たちがコルビジェの影響を受けました。そして日本の建築の未来はこれだといって教育が行われ、また建築論も展開されたわけです。モダニズムの建築論です。当時の政治的状況とも重なりあうと思います。皆がマルクスを標榜して革命だと言い始めたという状況もありました。

 コルビジェはそのように提唱しましたが、パリそのものの市街地では、そういう建築的革命はあまり展開されませんでした。イタリアのローマ郊外にエウルが建設されたように、パリの郊外では新しい街を創るという発想が広がった可能性はあります。しかし、古くからの市街地を根こそぎ変えるだけのポテンシャルというか強さはなかったので、依然として都市空間の革命は起きていないのです。


街並みを構成する建築を想定しないコルビジェ派の先生

 ところが、日本では、建築思想は理解できても、ヨーロッパの市街地の実態に関する理解はほとんどなかったと思います。つまり、都市の空間的な現実と、建築論とが分離してしまっていたのです。そういった都市空間の現実から分離した建築思想が、戦後の日本を創るという観点からとても格好良く見えたから、多くの若者が素直にこれらの思想を受け入れたのだと思います。私の学生の頃にもそんな先生がいて、ポエティックで、まるで詩を語るように「コルビジェはすごい」とか言うので、そうなのかと思ったりしました。

 しかし、そういうことを標榜する先生の多くは、町並みを構成するような建築の設計にはあまり関心がありません。皆、舞台に上がったというか、こってりと彫刻のように造れる建築を一生懸命やっていて、それが建築だと教えるということがとても長く続いたんじゃないかと思います。

 とりわけ戦後の建築を引っ張ってきた方々にはそういう人達が多いし、未だに信奉者が沢山います。そして今は多分そういう方々の孫弟子くらいの方々が学校の先生をやってると思います。それらの先生方が今どういった建築像を教えているのかは私にはわかりません。しかし、相変わらず以前のようなことを教えているとしたら問題があると思います。

 一方で、建築は芸術だという考え方も大きな影響をもたらしていると思います。建築は芸術であって欲しいと思いますが、新しく造られる建築がみんな前衛を目指すと大変なことになるのではないでしょうか。

 例えば学生のコンペなどでも、そういう作品が入賞するんです。こんなの絶対建たないだろうというような建築が評価されることがある。これはある建築景観賞の審査であったことでしたが、景観賞だから街に合っている建築の方が良いと私は素直に思うんです。ところが、別の考えを持っている先生は「街に反発しているのがいい」と、「力があって、意外性がある建築をつくる若い建築家をもっと育てなければいけない」と主張されるんです。とても変だと思うけれども、ときどきそういう意見が勝つ場合がある。


一方で、経済原理をコンピュータでなぞった建築が横行

 一方、もっと実用的に建築を設計しなければいけないということもあります。

 とりわけ最近のマンション設計などでは最初にコンピューターで「鳥かご」のような図をつくるそうです。斜線制限や日影条件を組み合わせた鳥かごのような図、つまりこの中に建物が入れば、建物の形態規制がクリアできる。この範囲で建築を造れるとわかったら、それを発泡スチロールみたいに削っていって、どうやったら格好良くできるか考える。それが建築設計の基本だと教えられたら、本当にそう思ってしまう人は沢山いると思います。

 実際のところ、建築事務所に入った新人はそういう仕事をさせられるそうです。「かごの中に入ればいい」と教えこまれたら、「建築設計というのはそんなものではない」と心で思っていても逆らえないだろうし、ましてや街に調和する建築がどんなだなんて意見も言えない状況になるでしょう。


建築界のリーダーを育てている東京大学の責任は

 私自身が学生時代建築学科で色々勉強してきたことを振り返ったり、その後教育に携わってからのことを色々考えてみましても、「普通に良いものを誰も当たり前に教えていない」という、奇妙なことを実感しています。とにかく個性的でとか、普通にないものとか、そういうことに力を注いで教育している可能性があります。社会的なプロを育てる文脈が異常なのかも知れません。

 土田さんの今日のお話の中にもそういう文脈が沢山出てきましたけれど、とりわけ建築界のリーダーを育てている東京大学の建築学科に近い所にいらっしゃる立場から、彼らは一体どういう役割を担ったかというところを教えて欲しいと思います。

 ともかく、現代の建築家は都市から逃げているように見えます。都市の事をほとんど語らなくなっているのも事実です。そういった状況についても土田さんのコメントが頂ければ幸いです。

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