景観法で都市は美しくなるのか
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たしかに問題だが

都市環境研究所 土田旭

 

建築から総合性を奪った都市工学科の分離

土田

 僕は灯台もと暗しだな(笑)。東大と言っても最近は知らないうちに学科が沢山できました。失業対策なのかもしれませんが。

 僕達の頃には構造も含めた建築系の教授は7人くらい、教授・助教授合わせて十何人かだったはずなのですが、今では両方合わせると30人くらいいるそうです。都市工学卒を加えると50人くらいになるのではないでしょうか。つまり東大教授という人が沢山いて、もう珍しくも何ともないんです。なんとかセンターとか、なんとか研究所とか、いろんな関連施設がそこら中にあってよくわからない。私学も増えていて、私の友人から一寸大人の人たちまで、建築デザイン系で先生をしていないのはごく僅かでしょう。ですから私みたいなコンサルタントだけでなんとか喰っている人間は結構希少価値があるんです。

 特に東大の場合、まあ大阪大学の場合も同じような事が言えると思いますが、1960年代半ばに都市工学科ができた。そのあと社会工学科とか環境工学科とか、いろんな類似の工学科がほかの大学でも沢山できましたが、あれが災いを起こすのではないか、いやもう起こしてるんじゃないかと私は思うのです。

 というのは、都市工学科の学生は建築のことをほとんど何も知らないんです。逆に建築の学生は、自分たちの先生は建築の先生で、建築を勉強しているのだから、都市計画とか国土計画だとか防災とかいったことはあっちにまかせとけばいいや、という感じなんです。かろうじて西村さんがアーバンデザインの歴史や街並みみたいな事を教えているのですが、やっているのは「研究」で、街並み保存に関する実務トレーニングはしたいないのではないか。

 昔は建築学科の中で両方何とかやりながら一人前の建築家を育てたようなところがあって、それでも時間が足りなければさらにマスターコースで補うといったシステムだったのが、今はちょっと促成栽培のやりすぎ、あるいは「研究」になり易いテーマに「選択と集中」がおきている感じがします。


敷地を与えない建築教育

 それから、東大の先生が何を教えているのかはあまり知りませんけれども、建築家でもある大野秀敏さんと話をしていたときに「どうして課題を出すときに敷地を与えないで建築だけを設計させるのが流行っているのか。建築も例えば美術館とか芸術ホールとかいった課題だけでデザインスキームを出させる。そんなのでよく教えるね」っていったことがありました。敷地は与えてないんですよ。だからはっきり言ってしまえば空間ゲームみたいなことをやってるということになると思うんです。

 しかし、考えてみればそういうような建物は沢山ありますよね、と言いますと大野さんは「僕は違いますよ、僕はちゃんと敷地を与えて、街がこういう状況のところでこういう敷地で考えてくれといって課題を出します」と言ってましたが、戦後の流れの中には、いわゆるインターナショナリズムというか、そういう建築運動もあったわけで、そういう人達は地域性とか風土とかは関係ないわけです。

 磯崎新さんもいつか「俺は世界中どこへ行っても同じデザインやるんだ」と言っていました。そういう人は確信犯としてやっているので仕方がない。磯崎さんには街の中は頼めないなと、まわりがちゃんとわきまえてるからいいんです。それは彼にとっても幸せな事だと思います。

 それから、例えば昔僕らが公営住宅や公務員宿舎を計画するときには標準設計というものがありました。その標準設計は5〜7年に一度しか改訂しないんです。その標準設計の箱(棟)をもとに配棟計画をします。僕らは配置計画と呼んでいますが、要するにどこにどういう建物を並べるかという計画です。そうやって建物を並べたものを材料として出すと、設計者は次に住棟が引っかかるいくつかの場所を選んでボーリング調査をし、地耐力がどのくらいか調べます。標準設計に「地耐力いくつ以上でこの設計は成り立つ」と書いてあるので、地耐力が足りないところは、地耐力が標準設計に合うまで杭をバンバン打って地面を締めるわけです。こんなことがまかり通ってるのを知って驚きました。

 要するに土地や敷地、あるいは街の場所などの状況を考慮に入れない。どうしてそういうふうな事になったのかなと思います。


新築一辺倒から訣別出来ない日本

 実は東ヨーロッパの東ドイツとかポーランドでは戦後プレハブで労働者住宅をどんどん造ったのはご存じでしょう。わが国でも一時プレハブ熱が高まった時期があります。それが今では人口が減ってしまったので使い物にならなくなったので、「減築」っていうのでしょうか、5階建てで造った建物を3階建てにするとか、2階や平屋にして別の用途にコンバージョンする事が、流行っているようです。もちろん新築するお金が無いからそうするわけですが、悪い方法じゃないと思います。かつての酷い団地が、それでいくらか救われてるようになるのですから。

 日本でも団地建替が課題になっています。本当は増改築や建替やいろいろ使って、かつて平行配置ばっかりだった所を、もう少しなんとかしたら良いのだろうけど、日本の場合は「耐震基準を満たさないので壊します」となるでしょう。そんな国は日本だけだとは思いますが。一寸残念です。


『日本の都市空間』の功罪

金澤

 東京大学が40年くらい前に『日本の都市空間』という日本の伝統的な都市空間のデザイン原理を集めた大変な本を出されたわけですが、実はそれを一生懸命書かれた人達が、ある意味では日本の伝統的な空間を壊してる方でもあるという事を、今お話を聞きながら思い出したのですが。

土田

 いや、あれに参加されてる方の中には壊してるかもしれないし、僕らの事務所でも多少曖昧なところがないではないけれども、今の東大の先生は書くどころか生まれてないよ、あの頃には(笑)。

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