「際立たずおさまる」美しさか、「目立つ破調」の美しさか
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「おさまる」イタリアの都市空間

 

 
 おさまるということを三つの観点から考えてみました。私がそういったことを感じる原点には、イタリアの都市空間があります。大胆な都市空間であるけれども、本当に見事におさまっています。イタリアの都市空間はまさに私が言っているような都市空間です。感動的な、美しい都市空間です。

 こういった都市空間が、日本でも造り出せるのかという問題があります。文化の基盤がイタリアとは異なっているからです。さらに、近代建築、近代都市でこういった都市空間が造れるのかという問題があります。2つ目の問題はイタリアをも含めたインターナショナルな現代の課題です。

 「おさまる」美しい都市空間が造リ出せるか、日本ではほとんど不可能だと思います。そんなことを考える文化的伝統が希薄だからです。それでも、私はこれを目指すべきだと思います。江戸の町を作ったセンスは健在です。300年くらい頑張れば出来るのではないかなとも、思います。そんな事は不可能だと言う人が少なくないと思いますが、その想いは捨てたくないと思っています。それを捨てればわれわれは時流に乗るか、流されるかしかありません。流されるのが日本の文化だと反論されたら、もう開き直るしかありません。そうなってしまった時にわれわれ都市デザイナーの存在価値は何処にあるのでしょうか、と。最後は強気かやけくそか分らない話になってしまいました。

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