「際立たずおさまる」美しさか、「目立つ破調」の美しさか
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

 

若いデザイナーが置かれた状況

 

デザイナーはどうやって仕事を獲得するか

 デザイナーがどうやって仕事を獲得するか、このことがいろんなことに関係してくる可能性があります。今年、私は建築業協会のBCS賞の審査員をすることになり、各地の建築を視察する機会を得ました。色々な建築を見て、改めて、建築家と言われる人の作品と大手ゼネコン、大手の設計事務所が設計するものとでは考え方が大きく違っていることを感じました。これにはとても大きい問題が背景にあるように思います。

 デザイナーが仕事を獲得するためには、誰かがそのデザイナーの仕事を評価しないといけません。どういうことで評価されるかというと、例えば目立つデザインとか人を呼べるデザインです。井口さんが言われた「おさまるデザイン」は熟練したデザイナーにしか来ない注文で、若いデザイナーにはまず絶対来ないでしょう。必然的に、若いデザイナーは目立たないと仕事が来ないという状況になります。そういう世の中の状況をどう考えるかも、あとでみなさんにご意見をうかがいたいところです。

 とりあえず、デザインは発注者に理解されなければいけないという状況にあります。発注者が賢いといい仕事になる可能性があるのですが、発注者があまり考えず趣味が悪いとなると大変だと思うんです。つまり、デザイナーの側だけの問題ではなく、発注者がデザインを理解してないという問題もあるのです。

 じゃあ、そういう発注者を相手にどうやってデザインの力を発揮するか。それは並大抵のエネルギーではできないことです。

 こんな状況の中で、デザイナーを目指す人は、若いうちから「目立つ」あるいは「人を呼べるデザイン」をせっせと勉強しているのです。そういう構造がそもそも変だと私は思うのですが、ではどうすればいいかについてはまだ明確な解答はありません。


集客が全て 大衆時代の評価構造

 「人を呼べるデザイン」、つまり「集客デザイン」がなぜ重要な評価軸になってきたかというと、大衆化社会になったことが背景にあると思います。大衆から分衆へとか言われますが、基本的には大衆化社会という性質は変わっていないと思います。あまり詳しくは論じる時間がありませんが、住居における暮らしの時間、会社における仕事の時間、そしてその間に、多様な余暇の時間があります。余暇の時間が拡大するにつれて、余暇の空間も多様で、その集積も大規模になってきました。そういう社会状況の中で、人を呼ぶことができる、人を集めることができる、そうした役割が社会的にも経済的にも高く評価されるようになってきたわけです。大衆に迎合すると金になるという単純な構造が幅を利かせるようになって、ものを作る人はその風潮に合わせようとしています。

 例えば、ある市の市長さんが「公共施設は利用されないといけない」と言ったとしましょう。言われた方は「この施設の役割はどうか」を一生懸命考えると同時に「どうしたら人は来るのか」を考えるのです。それで「利用される施設=人を引きつける施設、だから人で賑わっているのがいい」と考えて、お役人が出す結論は「テーマパーク的な施設がいい」となるんです。それで公共施設はテーマパーク的な安直なデザインや子供向けのデザインになってしまうのです。

 本来なら公園がいつも賑わうのは変で、静かに自然を味わうために行く場所という性質も必要です。しかし、公園の設計コンセプトにもおうおうにして「賑わい」が強調されてしまいます。発注者の「賑わいの施設=テーマパーク的施設」をそのまま受けて、人がいっぱい来て楽しそうだったらそれでいいというデザインになってしまいます。これはそもそも発注者が悪いんです。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ