見えた。これがデザインの力だ!
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デザインを創り出すものは

 

デザインの中の二面性

金澤成保(大阪産業大学)

 分科会C「レイヤーのデザイン」にいました。デザインの力を信じることがデザインの力だというのは、自己撞着的な感じもしますが、この問題の抱える難しさがあるのかなと思います。

 傲慢と規範というキーワードがありましたが、創造性というのは常に打ち破っていく事ですから、あまのじゃくで傲慢なところがあるのです。その一方で、風土性とか時間のレイヤーというものには、今まで作り上げてきたものに対する尊敬が込められている。このようにデザインの中には二面性があり、おさまる方向だけでなくそれを超えていこうとする力、また既に出来上がってきた自然などの本質的なものに対する造詣や尊重しようという力、この両方を持ち合わせることにデザインがあるのです。

 これまでデザインは創造性を強調しすぎてきたし、都市デザインの分野ではあまりにもおさまる方向や、風土性などを強調しすぎてきた。その両方の側面の中で自己矛盾を抱えながらやってきたのがデザインの仕事だと再確認できました。

 デザインというのは時間だけでなく様々なレイヤーの積み重ねでできている。典型的な例では新しい技術やグローバリゼーションなどであり、先ほどの千里ニュータウンの真っ白なモダンでキュービックな建物に関しても、あれは時間軸のレイヤーではなく、現在存在しているレイヤーから飛び出たことにおもしろさを感じているのです。


デザインを作り出す根拠

吉野国夫(DAN計画研究所)

 色々な議論がありましたが、私が気になった内容に、デザインを作り出す根拠というものがありました。

 デザインする人の視点に対し、建物を持っている人の不動産という視点があり、これが建築というものを否定している。北川さんは「不動産は消費される動産である」という意見を出されましたが、日本の制度も含めてデザイン、建築空間、都市環境などがきちんと定まっていかない要因なのかと思いました。

 どういう町のデザインをしていくかは、その地域のコミュニティである住人たち、つまり不動産を持っている人たちが決めていくものであり、デザイナーたちは不動産を持っている人たちを説得しないと、よくない方向に行ってしまうのだろうと思います。

 また最終的には、デザイナーは形に責任を持たなければならないというのも印象的でした。

 町の形がどうやって動いてきたのかという本質的な議論には至らなかったのですが、私は商店街の勉強をしてきた中で、千年単位で動いてきたと思っています。商店街の原型になった町家は、10世紀後半に中国の華南地方から入ってきた街屋で、絵図にも描かれています。道路に面してミセの間があり奥にイエ又はオクの間がある形式は今もそんなに変わっていません。そういう意味で、日本の町のデザインの原型は10世紀くらいに出来たものなのかと思います。

 次に変化があったとすれば応仁の乱以降であり、それは本当の意味での日本の都市ができたからです。また16世紀以降には西欧のデザインが入ってきたことによって、オリジナルの日本型というものが完成し、日本のデザイナーに大きく影響を与えてきたのですが、残念ながら現在そうした新しい型と呼べるほどのデザイン様式がデザイナーから提案されていない。あるいは広く実現していないというのが実情ではないでしょうか。

 なお今回のディスカッションの成果は、これまでのデザイン会議がややもすると、建築家やランドスケープの方は本業のデザインで依頼された敷地の中だけ、あるいは与条件という形で、環境デザインの最終の形をづくる者としての責任を逃れてきたような面に対して、明確にその責任が共有された事だと思います。

 北川フラムさんの代官山の報告は都市環境づくりは「町の住人や就業者、地権者を含めた息の長い運動」として展開されるべきだし、建築家やまちづくりに関わる者はその覚悟が必要との問題提起でした。

 各デザイナーは、最後はモノに対する責任者として、与条件だからと逃げることなく、そこにも切り込んでいく事の重要性が全体で認識されたと思います。その際、重要なのはやはり地域住民、とりわけビルオーナーの町に対する思いや長期的な愛着であり、そこにもまちづくりの関わる専門家が関わっていくべきでしょう。

 しかし、その方法論や行政とのかかわりなどの実務面は今後に残された課題だと思います。

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