見えた。これがデザインの力だ!
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観察および批評することの重要性

 

鳴海邦碩(大阪大学)

 松久さんと藤本さんから、評価すること、観察および批評することの重要性の指摘がありました。分科会ではそうした議論はあったのでしょうか。


日本人は良いものにも、悪いものにも何も言わない

高原浩之((株)HTAデザイン事務所)

 分科会Bでは、京町堀では安田ビルと坂倉ビルにはまちに良いデザインの建物と言う銘板を建てて、逆に悪いビルには設計者と発注者の名前を掲げては?といった意見もありました。

 バブルの頃、海外の建築家から、日本は何でも建てられるからうらやましいと言われたことがあります。

 ヨーロッパと比べて日本では、良いものにも悪いものにも、誰も何も言わない。公共に対する意識が低いのかもしれません。


具体の現場から観察して考えることが必要

中村伸之(ランドデザイン)

 評価する、評価されるという緊張感のある関係が重要かと思います。自己中心的というかナルシズムに陥ってはだめで、常に外に目を向けておく必要があります。同じコミュニティの中に他者的な存在が有るか無いかで、私たちの世界観も変わってきますし、緊張感も違います。常に他者を取り込んでいることが、コミュニティの活性化につながります。

 緊張感を保ちつつも、他者と上手く調整することや、お互いの妥協点を見つけるために、評価基準が生まれてくるのだと思います。京都でも、今、建物の高さなどを評価基準として景観条例の整備が進んでいます。地元に生まれ育った人のナルシズム的な世界観と、他所から入ってきた人の世界観が大きく異なる中で、鍛えられながら景観基準も生まれてくるのだと思います。

 さらに言えば、「かつてあった京都」「あるべき京都」から出発すると、余りに現実と乖離して具体的な着地点が見えなくなる。「今あるがままの京都」を観察することから初めてはどうか。デザインコードやデザインマニュアルなど、机上で一般的な議論をしていては、現実に対応できなくなる。具体的に現場から観察して考えることが必要なのです。静かなオブサーバーよりも、行動的なオブサーバーでなければならないでしょう。


見識は誰で持てる筈

長町志穂(LEM空間工房)

 日本ではあらゆるジャンルで、批評・批判・ディベートといったものが文化として育っていません。デザインの評価システムが構築されていないことを感じます。評価基準やシステムを作るべきだという話がよくありますが、30点くらいのものを50点ぐらいにすることには効果があると思います。しかし、100点のものは絶対に生まれてこないので、基本的には反対です。

 都市デザイン批評の土壌があり、批評が活気付いていくと、デザインのレベルも上がってきます。そのためにも見識のある人がしっかり精査して評価することが必要なのです。

 作ることに関しては、その人のそれまでの時間の使い方や鍛錬によって作る適性を持った人と、そうではない人が分かれてきます。しかし批評に関しては、教養と見識があれば出来るものです。デザインをしていない人が、デザインに対する強い思いと見識を持つことで、デザイナーよりもより完全な批評をすることができることはあるのではないでしょうか。

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