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駒ヶ林地区は神戸市中央区から南西に5kmちょっと、長田区の一番南に位置しております。面積約19ha、人口約3,090人、1,458世帯、高齢化率が31%という所です。 ここは奈良・平安時代から大輪田泊の舟繋所であった古い漁村集落でした。現在は住宅を中心に魚の加工所やいろんな工場が入り交じる住商工の混在したエリアとなっています。 古い街ですからお地蔵さんや公民館といった古い景観資源があるものの、まとまりを見せてよい雰囲気を持っているというわけではなく、ぽつぽつ残っている程度という感じです。一言で言えば、漁村集落の路地構成を残した高齢化の進む木造密集地域です。 他の所も同じだと思いますが、狭小敷地や未接道敷地が多く、建替え更新に課題があります。また、特に神戸については震災による空地の問題もございます。ここでも地区内にいくつも空地が残されています。
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駒ヶ林は1〜6丁目まであります。あとで説明させていただく近隣住環境計画は、このうちの一街区、1丁目南部地区だけで進められています。
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上の地図は駒ヶ林のすぐ北側に位置する久保町です。こちらは大正時代から耕地整理で街がつくられており碁盤目状に街区が構成されています。その碁盤目の中の路地はもちろん色々ありますが、一応、区画がある程度整っています。 ところがそのすぐ南にある駒ヶ林は、下の地図のように道のパターンがめちゃくちゃです。昔はある程度整っていたようですが、戦後の建替えの中で法律も守られずに建て増しされたりして、かえってぐちゃぐちゃになってきたということもあるようです。
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「左義長(さぎっちょ)」という大きなお祭りが駒ヶ林にはかつてありました。砂浜で漁業の入会権を争うケンカ祭りです。昔は活気のある所だったわけです。昭和30年代の浜の埋め立てにより中止され、いまは行われていません。
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これも昔の写真です。一部に大きな道路があり、このように船があげられていました。
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路地の中には共用の井戸があって、そこは料理などをする場所でもあったし、子供が遊ぶ場所でした。
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ときにはこのように花嫁さんが歩いていく場所でもありました。実はこの写真は現在の婦人会の会長さんです。
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そして今現在の街では、道幅が平均して1.8mくらいの路地があちこちにあります。広いところもあるし、ちょっと狭い1m未満の所もあります。
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この駒ヶ林でどういったまちづくりを進めてきたのか、最初にポイントだけ説明します。 まず平成3年にまちづくり協議会が出来ました。そして平成12年頃から神戸市のまちづくり条例に基づくアドバイザーとコンサルタント派遣によって私が関わることになったわけです。 それで、これがこの地区の特徴的なことかもしれませんが、駒ヶ林町1丁目が先導的に活動していって、その後、まちづくり協議会が地区全体を包括して活動していくという二段構えが自然に行われることになりました。以上についてまず「2。駒ヶ林町1丁目地区の取組み」で1丁目の動きをご説明し、次に「3。駒ヶ林まちづくり協議会の取組み」をご説明します。 ここでのまちづくり支援活動は、ワークショップを多用した住民・行政・コンサル協同型の進め方であると言えます。住民の方が頑張って前へ前へと行って、その後を行政がついて行くという感じではありません。三者一体となって進んできたという感じです。 また1丁目ではスポット創生事業や細街路整備事業(やすらぎ小路)を先行的に実施し、機運が盛り上がったところで、まちづくり構想を作っています。その後、それを見ていた全体のまちづくり協議会でも、まちづくり構想を作りました。構想をつくり、それを協定にまで持って行き、それに基づきルールづくりやものづくりを行う。これは神戸市のまちづくり条例に基づいた進め方です。 そして1丁目では、今、さらに近隣住環境計画をつくろうとしているところです。
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