緊急討論・京都新景観政策を考える
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5. 論点1 都市計画は変わるか

都市計画の桎梏と協議調整の場の可能性

関西大学教授 丸茂弘幸

 

 この勉強会を進める過程で、私の立場はどんどん前田さんの方に近づいてしまったという感じがしております。何が問題かということなのですが、よくよく考えてみると、許認可行政で都市景観をつくっていこうということに無理があるのではないかということにだんだん気がついてきたんです。


許認可行政で都市景観は救えるか?

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 今までの都市計画は、主に安全性や利便性を追求してきましたので、これは基準にもとづいて許認可行政をやっていけば、かなり効率的にできました。しかし今、我々が当面している問題は、それとは違い、文化的あるいは美的価値の増進という課題です。文化とか美とかいうものが、そもそも基準に馴染むのかというところで、従来の都市計画制度をそのまま強化する形で新しい課題に答えようとしている景観法、そして京都の新景観政策に、無理があるのではないかというのが、今日の話の骨子です。

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 基準になじまない美的価値をどう扱うか。政策を進めていくためには何かを決定していかねばならないわけですが、基準で決めていくのではなくても、美的価値で合意が得られれば一応選択はできるわけですから、政策は決めていけるわけです。あるいは建物を建てていいとかいけないとか決められるわけです。

 ですから合意による選択ということが、たぶん鍵になる。景観まちづくりには合意により選ぶ手続きが不可欠であり、その合意を得るためにはどうしても協議調整の場が必要になります。そういうことで合意のための協議調整の場づくりが課題になるだろうというのが考えられるわけです。

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 ではその「基準による認可」(これは今までの都市計画の基本的なスタンスです)、それからこれからどうしても必要になってくるであろう「合意による選択」。この二つの違いがどういうところにあるかと言うと、「基準による認可」では、なるべく非人格的な条件が求められるわけです。事前確定性(あらかじめ決まっていること)というか、あらかじめ明示されているとか、それを運用するに当たって公平で透明でなければいけない。

 それに対して「合意による選択」は、むしろ人格的な、人間的な条件が求められるわけです。判断力があるかとか、美意識がちゃんとしているかとか、見識があるかとか、説得力があるかとかです。ではこれに公共性がないかと言うと、やはり公開性、あるいは説明責任みたいなものが求められます。しかしそれは基準による認可のような透明な手続きにはなり得ないという側面があります。

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 ちょっと抽象的でわかりにくいのですが、建築デザイン・コンペを例に挙げて考えると分かりやすいのではないかと思います。

 建築デザイン・コンペでは、募集要項のなかに、まずテーマや趣旨があります。それと同時に設計条件であるとか、提出物の要件であるとか、期限、応募資格等があります。このうち応募作品の受理であるとか、審査対象の認定は、基準に基づいて認める手続きです。これらの条件は一意的に規定される条件で、先ほど言った非人格的条件で決まってくるわけです。

 これは透明で公平な手続きでやらなければならないわけですが、ここから先は本当の選ぶ手続きになります。優秀・最優秀作品の選定にあたっては、合意にもとづく選ぶ手続きが必要で、そのときにはテーマや趣旨が重要な意味をもってきますが、これは多義的な条件ですから、選ぶ人の色々な価値観などに左右されるわけです。

 そこで議論して協議して、協議でも決まらなければ投票みたいなことで優秀作品が決まっていきます。まあ、普通のプロセスなんですが、こういうプロセスが文化的なものを決めていく、美的なものを決めていくプロセスにはどうしても必要で、それを上の手続きだけで済ませようというのは無理があるわけです。


京都市の新景観政策の特徴

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 京都市の新景観政策の特徴は、そういう意味では、認める手続きは厳密化し、細分化しようとしているわけです。ところが選ぶ手続き(先ほどの最優秀作品を選ぶ手続きを参照してください)は非常に弱いんです。選ぶ手続きなしでも、地区の特性に応じた優れた建築のみが(いわば自動的に)認定されるように、事前明示的な条件や基準を厳しく、細かくしているわけです。

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 こういうことをしていると、どういうことが起きるかというと、まず、認める手続きの厳密化の弊害として、デザインの可能性を過度に制約してしまうのではないか。あるいは新手の既存不適格建築物を生み出してしまうのではないか。今までもこの既存不適格建築物を日本の都市計画はたくさん生み出してきて、それが一つの(私に言わせると)都市計画の桎梏なんですが、今までは人の生命に関わるから既存不適格が出ても仕方がないとしてきた。今度は景観を理由にしているわけです。本当にそういうことをしてしまっていいのだろうかと疑問が残ります。

 それからもう一つは、それとも関係するのですが、選ぶ手続きの進化を抑制しかねない。例えば、自分の家が既存不適格建築物として指定され、烙印を押されたような人たちが、この選ぶ手続きに積極的に参加できるだろうか、そういう問題を含んでいるわけです。

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 今のような弊害以上に、基準には失敗があります。先ほどから前田さんが、基準にしたがっていただけではうまくいかないことが多いという例をたくさん紹介されていたと思うのですが、これは大きく分けると二つの失敗に分けられます。

 第1の失敗は、誤って良いものを認定しそこなう失敗です。市が褒めているのに、今の基準にてらすと認定できない建物になってしまうという例です。第2の失敗は、誤って悪いものを認定してしまう失敗です。これは前田さんの説明の中では、今の基準通りにつくっているけど、本当にいいんだろうかという、そっちのほうの失敗です。悪いものでも認定してしまう。こういう二つの失敗を前田さんは指摘されていたわけです。

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特例による失敗の回避
 
 この失敗を回避するための制度が実は今度の新景観政策には含まれているのです。それが先ほど藤本先生もご指摘になったような制度です。第一の失敗の回避制度は新景観政策の中にある。それは例えば景観誘導型許可制度「景観の向上に貢献するもの関しては、第三者機関で審査の上一定の範囲で高さ規制を緩和する」 というような制度が盛り込まれているわけです。

 同様にデザイン基準についても、特例制度があります。あるいは優良な屋外広告物の特例許可制度もあります。しかし第2の失敗の回避制度は不在です。この第2の失敗を回避しようとすれば、例えば「景観を著しく阻害する恐れのある建築計画に関しては、第三者機関で審査の上、高さの最高限度を超えない建物であっても、あるいはデザイン基準に合致していても、建設を不許可とすることができる」という一文が必要になります。

 実際、景観の保全と向上にとって、基準に合っているからといって、「良くないものを認めてしまう」ことの方がはるかに問題が多いと考えられます。


追記ください

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特例の付随効果
 
 特例制度が導入され運用されると現れるであろう付随効果が二つあります。ひとつは基準のガイドライン化です。基準に適合していても認められないケースもあれば、基準に適合していなくても認められるケースもある、ということになれば、その基準はガイドライン以上のなにものでもありません。もうひとつの効果は<選ぶ>手続きの実質化です。特例の運用は審査を通して<選ぶ>こと抜きには考えられないからです。<基準>を守るために特例の運用には慎重にならざるを得ない、というのが市の姿勢であるとすれば、むしろ特例の多用によって<選ぶ>手続き主体の施策に変えてゆくべきだ、というのが差し当たっての私の提案です。

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合意による選択のプロセスをどうルール化するか
 
 しかしより根本的には、合意による選択のプロセスをどうルール化するかという問題に向き合わざるを得ません。スライド11は私なりに考えてみた試案ですが(細かくてすみません)、気になるところが多々あろうかと思います。それらを順に見てゆきます。

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ルールの検討課題1
 
 まず、景観への配慮義務あるいは地区特性への適合義務といったところで、わが国の一般の市街地の現状の中でどれだけ現実味があるだろうか、という疑問がわきます。確かに(ドイツなどと違って)種種雑多な建物からなる(場合によっては既存不適格さえ少なくない)わが国の普通の市街地において適合すべき地区特性を定義することは容易ではないと思います。しかし難しいからといってこれを放棄してはならないと私は思うのです。それこそが地区のアイデンティティを見出す作業にほかならないからです。このルールを課すことによって「わが町にふさわしいものは何か」を不断に問い続けること、このことがそれぞれの場所のアイデンティティを確立することにつながるのだと思います。

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ルールの検討課題2
 
 現状変更行為によって影響を受ける者の範囲をどう決めるか、も問題です。向う三軒両隣的なレベルから市域全体に関わるレベルまで様々だと思いますが、可視・不可視をはじめ景観分析の活躍の場でもあるかと思います。

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ルールの検討課題3
 
 協議調整の場をどう設定するか、も大きな問題です。コミュニタリアニズムという発音しにくい言葉か根本に関係しているらしいことを最近(セミナーのあと鳴海先生から)知りました。

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ルールの検討課題4
 
 第3者機関としての審査会をどう構成するか、専門家の役割をどう考えるか、も問題です。教養ある常識人のほうが専門馬鹿よりも確かな判断力をもっている可能性も考える必要があります。

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ルールの検討課題5
 
 最後に最も根本的な問題、協議調整は「お願い」の域を超えられるか、という問題が残ります。従来の事前協議が「お願い」の域を超えられなかったからこそ、強制力を担保してくれる景観法や京都の新景観政策に期待が寄せられたのですね。もちろん協議調整を前提とした施策においてもルールの造り方によっては高度の強制力を持たせることも可能でしょうが、景観のように主観を伴う価値を扱う場合には、強制する力が強ければ強いほどよいというものでもなさそうです。協議制度の運用を長らく続けてきた広島市や横浜市の経験は、「お願い」の域を超えられなければ意味が無いというわけでもないことを教えています。

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京都の伝統を生かす
 
 最後に京都の伝統を生かすということに関して一言いわせてもらって終わりたいと思います。「時を越え光り輝く京都の景観づくり」では、京都の古都としての伝統を生かすべく和風のまちへということが強調されていますが、京都のもうひとつの伝統である「自治」の方はあまり生かされていないように思うのです。協議調整の場づくりによって自治の伝統が生かされたとき、京都はどんな輝き方をするのか、そっちの方に私はより大きな夢を感じます。

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