緊急討論・京都新景観政策を考える
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まとめ

 

司会

 みなさま、どうもありがとうございました。まだまだ議論を続けたいところですが、何分時間がございません。今日はここまでにして、最後にセミナー委員長の鳴海先生にコメントをお願いして今日の締めくくりとしたいと思います。


決め方には問題が残るが、決断には大きな意義がある

鳴海(大阪大学)

 JUDI関西のセミナーの最後に私がコメントするのがいつの間にか恒例となりましたが、今日はその役目を簡単に果たせそうにないなと思いながら聞いていました。

 京都では、昭和5年(1930)に風致地区がはじめて指定されました。その時、松室重光という人が雑誌で疑義を表明しています。京都らしさは風致地区のようなところに部分的に存在するものではなく、京都は全体として京都であらねばならない、というのが松室氏の意見でした。松室氏は、東京帝大の建築を出た後、京都府庁の建築系のお役人をしたという経歴の人だったと思います。京都を近代的な都市計画で扱ったら京都が壊れるということを言いたかったらしいのです。

 確かにその通りなのですが、都市計画を導入するということは伝統的な環境の中に近代を入れることで、新しい産業や経済活動を都市の中に成立させるためには新しい建築技術や都市計画を受け入れなければならなかったのです。

 その後、いろんな都市計画が京都に導入されましたが、都市計画規制の原則が高さから容積率に変わった時も、都市計画決定は所定の手続きで進められました。所定の手続きというのは、案の縦覧といった手続きはとりますが、市民に直接説明する手続きではないわけです。役所のどこかに行けば提案資料が見られるわけですが、市民は無関心であることが多く、大抵の人は自分の家がどんな用途地域でどんな規制があるのか知らないまま暮らしています。市民が十分理解しないままに、自分の家や土地のある場所の規制が、審議会や議会で決められてしまうのが、日本の都市計画の手続きでした。阪神淡路大震災の時も、自分の家が壊れて建て直そうとするとき、初めて自分の家にどんな制約がかかっているかを知る人が大半だったので大変なことになりました。こういう都市計画の決め方だと、いざというときに大変なことになるというのは、行政の人はみんな分かっていることだと思います。

 今回は、景観法ができたり京都の環境が変化している状況の中で(特に容積率規制になった後の変化はとても大きかったわけですから)、高さを抑える施策を打つことが社会的に受け入れられるだろうという雰囲気があったと思うのです。それをきちんとした観点から検討した上で高さを抑えるという決断を京都市は下したわけで、多少の反対があっても審議会が通し市議会がOKを出せば実行されるという手続きになります。重要な都市計画決定の手続きはそんな風に決まるわけで、手続き上の問題はいろいろあるにせよ、京都の決断はとても大きな意義があると思います。


デザイン基準をプロとして市民に説明できるか

 私も今回の政策に一定の評価はいたしますが、問題は先ほどの議論で出てきたデザイン基準やガイドラインについてです。

 私の研究室の学生が、和風の町並み作りに意欲を燃やしているまちをいくつか取り上げて研究をしました。小さい町で目標がはっきりしていると、地域の人たちが合意してひとつのテーマでまちづくりに取り組むことができます。以前は、私はそういうやり方がなかなか評価できませんでしたが、最近はそれもいいことかなと思うようになりました。

 そんな町の実態調査をしてみると、デザインの基準を伝達することが実際にはとても大変だということがわかってきます。私たち専門の者が観察すると、これはちょっとこまるのではないかと思うような町並みが形成されても、その地区の人には、「良い町になった」と思っている人が半分以上いるわけです。お互いの顔をよく知っていて議論できる環境にあるならそれもいいじゃないかと最近思えるようになりました。まちづくりをするなら、ひとつのテーマを持って取り組む方がいいと思っています。

 しかしながら、京都の場合、そういう小さい町の場合とは状況が違うと思います。もちろん、住民の審議会や協議会はどんどん育って欲しいのですが、今は市が示すガイドラインを建築のプロとして良いものかどうかを考えて欲しいと思います。例えば、なぜ軒や庇をつけなければいけないのか。大学で建築教育をしている人に考えて欲しいのですが、そういう内容を学生にどのように講義できるでしょうか。屋根の持つ意味、その設計技法、さらに問題なのは、軒や庇です。付け足しみたいな装飾的な要素の取り扱いをどのように講義するのでしょうか。ガイドラインやデザイン基準をちゃんと市民に説明できるかということも、JUDIとして考えてみた方がいいと思うのです。

 景観はいろんな役の立ち方がありますが、忘れがちな視点として申し上げると、京都の場合は表側の景観だけじゃなくて裏側からも景観を考えて欲しい。裏側を忘れて、京都の町中の環境の仕組みを変えてもいいと理解されてしまうと大変なことになるんです。もちろん景観も大切なのですが、京都の市街地構造を景観だけで考えてしまうととても困るというのが実感としてあります。

 ひとつひとつの建物をプロとして説明するとき、本当に基準だけで考えていいのかとかなり引っかかっています。デザイン基準とか、内容を改善しつつ進めてほしいというのが私の見解です。一応意見書提出には賛同しましたが、そういう問題意識を持っています。

 今日はいろいろ重要な話題が議論され、ひとつひとつが時間をかけて検討すべき課題が多かったのですが、これからもこんな機会を見つけて我々自身も考えていかねばと思っています。今日発表された方々、ありがとうございました。


JUDIとして議論を続けたい

司会

 JUDIとしても意見書を出してセミナーをやってオシマイにするのではマズイでしょうね。今日の議論でも基準だけじゃダメなんだとか課題もいくつか残しています。しんどいでしょうが、半年くらいで提言をまとめてはどうかという提案がございます。

 またもうひとつ、実は京都だけでなく大阪も大きな問題を抱えています。御堂筋あたりも景観的に大きな変化が生まれるという状況の問題があります。これも準備をは進めていきますが、大阪についてもJUDIとして発言できないかと考えています。また、みなさんのご協力をお願いしたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

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