景観基準について、先ほど長町さんが提起した問題について述べたいと思います。
具体的にものを作っていくときに、デザインのひとつひとつのエレメントに建築のスピリットをどう反映させるかという課題が、設計する立場としてあると思います。今回の新景観政策ではそれを「軒庇」という誰にでも分かる基準で出していますが、もうひとつの「和風」という言い方はとても分かりにくい。でもとにかく「軒庇」と「和風」という指針を出したわけです。
「軒庇」はモノとして、みんなにはっきり分かる都市デザインのエレメントだと思いますね。我々はよくデザインキーワードとか都市デザインのボキャブラリーだとか言いますが、軒庇のようにみんながイメージを共有できる言葉、モノのエレメントとしての言葉をいっぱい持っているほど、その町は個性的に統一された、ある種のテイストのある町に必然的になっていく。それがかつての京都であり、日本中にあったかつての町の姿です。今はそれを全部失って、我々は共有できるボキャブラリーを何も持っていない。そういう状況の中で、デザイン基準をどうしようかと考えているのが、全国の都市景観の現状だと思います。
理想的なデザイン基準ができればそれで全部良くなっていくのかと言うと、そんなことはあり得ない。みんなが常識的に共有できるボキャブラリーを集めたものがデザイン基準なのであって、言ってみればデザイン基準はデザインをするための足がかりにすぎないのです。丸茂先生の話しで言うと、コンペの募集要項みたいなものです。そこから出発して積み重ねていくのが、実際の町の姿になっていくのです。今は募集要項無しでコンペをやっているようなものですから、デザインの良し悪しを論じる以前の問題です。だから、今はデザイン基準=募集要項を作っている段階と考えた方がいいと思いますね。デザインの良し悪しはそれからの課題です。
京都市は今まで「軒庇」でやってきた多くの実績がある町なんだから、まずは「軒庇」でやってみようということだと私はとらえています。そして、京都の共通のボキャブラリーのひとつとして「軒庇」だと、仮に市民」が納得したとすれば、それを使いながら必死でデザインしていってどんな町が作っていけるか我々は挑戦する。それだけでも私はけっこうある種のテイストのある町はできると思うんですよ。もちろん、「軒庇」でいいのか、他に無いのかの議論はまだまだ必要です。
さらに、私は京都市が「和風」というデザイン基準を打ち出したところに、意味があると考えています。「和風」という切り口でみんなで具体的なモノ、デザインボキャブラリーを作ってみようじゃないかということじゃあないですか。近代化の中で伏流水のように流れてきた「和風」の近代を今一度京都で、真剣に、具体的に考えてみませんかという、これは市から我々に突きつけられた挑戦状ではないでしょうか。
私は大阪に住んで仕事をする生活が長かったのですが、京都に来ると烏丸通りのオフィスビル群を見ても大阪とは違うテイストを感じるんですよ。それはやはり、ボキャブラリーに通じる京都のデザイン作法をみんなが持っていて、それを意識しながら作ってきたからだと思えるんです。新しいものの中にも独特のテイストはあるし、もちろん古いものもまだまだたくさんあります。それを確認しながら、ボキャブラリーをひとつずつ増やしていくのが、今回のデザイン基準の作り方ではないかと思います。
この点だけは、井口さんと私はどうしても折り合えない部分ですね。井口さんの最初の話では町並みがガタガタになって共通のボキャブラリーがない、だから京都市はまず「軒庇」「和風」のボキャブラリーを出してきた。そう言いながら後半の話では町並みをよく見ると京都独特のテイストがあるというお話でしたが、それは矛盾してますよ。
私が言いたいのは、今の町にすでにいろんな特徴があるのだから、その特徴をしっかりとらえていく作業が先ではないかということです。だって和風と言いましても、今日見た怪しげな建物も「和風だからOK」ということにしていたら、大変な事態になりますよ。
宮本:
何が和風なのかという議論もされたことがないですね。
丸茂:
今のまちに明快な基準はないにしても、何かの手がかりはあるはずだし、それを探す作業こそ一番大事ではないかと考えています。
実際に町中で設計の仕事に携わって住民の生活感覚を肌で感じている者としては、大学の先生や専門家がOKを出して審議会でそれがサッと通ることに大丈夫なのかと不安を感じています。
私の提案としては、各地区で審議会を作って、全てのデザインをコンペ方式に近い形で通すのはどうかと考えています。審査員は地区で立候補して「私はこういう町並みを実現したい」と訴え、住民が審査員を選ぶようにする。その代わり、町の審議会が決めたことには無条件で従う。その際のガイドラインは、高さと壁面後退、色合いぐらいで細かいことは決めない。そのぐらいの自由性がなかったら、町は書き割りのようになりますし、活気も失われると思います。
だから、私は市に地区の審議会を作れと要望を出していく方が、いきいきした京都の街並みにつながると思います。
藤本:
地区で協議会、審議会を作れという提案、私も最終的にはそこに行き着くべきだと思います。住民が審査員を決めて、デザインの尺度を公開でやってもらえれば理想的です。でもそうなるのにはすごく時間がかかります。しかし、そこに至るための第一歩だととらえています。
法律を扱っている仕事柄、よく建築紛争を取り扱うことが多いです。見ていると、紛争になってしまうのは、既存の地域に異質なものが出現した時です。これは現在の法制度のどこかに欠陥があると思わざるを得ません。今の建築基準法は、その建物が合法である以上は、異質な建物を拒否できないようになっています。
そこで法律家から建築の専門のみなさんに期待することとして、新しい建物を作る場合、それが既存地区の景観秩序に合っているかどうかを判断できる基準を作っていただきたい。それも抽象的なものではなく、高さや色など地域のファクターをはっきりさせていくことは建築家のみなさんの義務じゃないかと思うのですが。
丸茂:
いやいや、そうした明快さはやはり法律家にやっていただきたい。
議論が白熱しているところに水を差して申し訳ないですが、時間がありませんので、最後に意見書を出していただいた清水さん、松川さんにそれぞれご発言いただきます。
清水(東京芸大):
私は宮本さんとよく似た意見です。つまり、壁面線と高さを抑えることが、町並みにとって効果的だと思います。その次のデザインについては、基準を細かくやればやるほどおかしくなるような気がします。井口さんは、軒庇だけでもある種のテイストが作り出せるとおっしゃいましたが、そんなことをしたら和風ディズニーランドのような町になってしまうのではと危惧します。
高さ、壁面線、色、素材、大きさの分節化(これはプロでないとちょっと難しいかと思いますが)、ボリュームを落とすといったこと、基準はこの程度のことでいいのではないでしょうか。
それ以上のことになると、例えば「和風を作れ」と言われると非常に難しいと思います。和風の高層マンションなんて歴史的にもなくて、参考に出来るものがありませんから、腕のない人が設計すると逆にヒドイものが出来てしまう可能性が大きいと思います。ですから、規制をすればするほど悪いものができてしまうというのが私の実感です。悪いものをなくすという方向には働かないだろうと思うのですが。
今日の事例を見ても、どれもが目立ちすぎていると思いました。例えば、マンションなら「図」にならずに「地」になる方向を目指すべきで、その中で図となる本当の和風が目立つようにすべきだろうと思います。全てを「図」と考えて、和風にしようとする方が問題でしょう。他がどんどん地になって目立たなくなり、良いものだけが町の中で図となって浮かび上がって、そこに新たによく考えられた現代の和風が「図」として加わるようにしていかないと、規制だけ強化するのは、より変な事態になっていくのではと思っています。これは京都の中心市街地のこれからの方向性について思うところで、伝建地区などの山裾の地域についてではありません。
僕は藤本先生の意見に賛成で、やはり地元の人が主導権を持って空間をよりよくしていく必要があると思うんですよ。今は学生の立場でいろんな町を見て回っていますが、地場産業がしっかり根付いて地場の大工さんが建物を作るところでは、地域の特性を生かして良いものをつくろうという姿勢が見られます。そんな所では優秀な建築物ができる可能性が高いと思います。
京都で最近問題になった御池のリクルートマンションも外部の業者が京都の作法を無視して作ろうとしたことが発端だったわけですよ。やはり地元の人間が地元にとってどんな建物がいいかを考え、信頼できる人に任せられるような仕組みを作っていければ一番の理想だと思います。
和風について
「軒庇」から始まる近代「和風」都市デザインへの挑戦
井口:
和風だったらOKでは最悪
丸茂:
デザインには自由度が必要
宮本:
しかし基準がないと異質なものを拒否できない
生田:
和風をつくれと言うのは無理がある
司会:
地元の住人と地元の業者さんが大切
松川:
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ