川づくりに都市側がどう関わるか
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はじめに

 

武庫川に関ったきっかけ

 武庫川になぜ関ったかですが、たまたま宝塚市の河川担当の課長さんから、「今度武庫川流域で県の流域委員会という組織ができて、委員会つくって色々やるよ、田村さんどう」というような事でお話を頂いたことがきっかけです。

 普段、私は都市関連のコンサルタントをやっていますが、たまには地元の都市づくり、まちづくりに関わろうということで委員として参加しました。

 川は大事な資源だと日頃から思っていましたし、せっかく阪神間に住んでいて、武庫川に自転車で遊びに行くこともありました。大阪から帰ってくる電車に乗っていると、すぐ武庫川が目に入るんです。結構綺麗な川だと思っていたんです。そういうこともあって、自分がやっている専門領域から色々言えることもあるだろうということで、参加することになりました。

 これがとんでもない所に足をつっこんでしまって今に至っているわけですが、まあそれは追々お話したいと思います。

 現在、全国でいろんな流域委員会ができたり河川の審議がされていたりしています。これは何故かと言いますと、平成9年(1997年)に河川法が大改正されたからです。

 それまでは治水・利水の側面から川づくりを行っていたのですが、そこに環境という側面を加えて、また住民の意見も聞いて河川整備をしなさいということになりました。そこで、地域の意見をいろいろ聞くため、それぞれの地域で流域委員会というな形で盛んに議論されるようになったわけです。

 というのも、要するに「地域の川」はそれぞれの地域でいろんな捉え方をされているわけです。我々が知っている川は、子供の時に魚とりをしたり、川原遊びしたりということで、地域の生活、歴史文化、あるいは遊びと切っても切れない関係にあったわけです。夏休みに田舎へ帰ると、そのほとんどを川で遊んでいました。魚取りしたり川原で芋を焼いたりしていました。もっと言いますと、川の文化が地域の文化みたいなところがありました。地域の産業にしましても、農林にしましても、水車などを使ったエネルギー供給の事例なども含め、深い関わりがありました。また川のいろんな場所で、様々な伝説や言い伝えもありました。


川と都市の関わり

 さて、本来、川と都市、あるいは街は、両方が上手くリンクしながら地域の計画、産業あるいは地域活性化等々密接な関わりを持たないといけないのですが、どうも近年、特に高度成長以降、川と我々の生活、あるいは地域との関係が希薄になってきていると思います。

 それは何故かというと、まずは川としての水の力がほとんど利用されなくなったということがあるでしょう。もちろん地域によって田圃とか用水路で使われ、ダムで貯水といった使われ方はあるのですが、ほとんどの場合川は「排水路」であって、雨水をより早く海へ排出するための水路としての役割でしか認識されていないからです。

 また私たちが子供の頃は淀川みたいな大きな川でもよく遊んでいましたが、今は川に近づいたら危ない、危険だということで、学校も子どもを川に近寄らせない、親も川へは遊びに行かせないという具合です。子どもの教育的な観点からも川を遠ざけるということが進んだわけです。

 一方で我々の生活排水が下水道につながり、川の最下流域で処理されて海へ放流されるといった具合に、要するに川の水の循環システムが生活と切り離されてきました。そのようなことからも、川との関わりが薄くなり、ほとんどが川へ関心を示さなくなったと思います。

 このようなことは全国のどこの川でも見られますが、武庫川でもまさにその通りの問題・課題を抱えているわけです。


洪水

 一方で、大雨が何年かに一回は降るだろう、それで川が増水して下流の氾濫域が大変になると想定されるということで、下流ではやはり「上流でダムをつくってなんとか治水対策をやってくれ」といった声があがってきます。

 上流は上流で、武庫川の場合は特に、篠山と三田の辺りの最上流から上流にかけては地形上勾配があまり無いため、よく溢れる場所です。ちょっと大きな雨が降ると田圃が冠水してしまうため切実な問題となっています。

 ところで武庫川の上流といいますと、昔は福知山線が川沿いを通ってました。電車でトンネルあるいは鉄橋を渡りながら川の景色を眺めながら武田尾とか三田に行きました。また日常的には渓流遊びをしたりハイキングやピクニックを楽しんだりといった具合で、阪神間の大都市から至近距離にある自然の景勝地として、随分賑わってきた所でもあります。

 このように、武庫川というのは非常に多様な顔を持っているわけです。


武庫川のダム問題

 その武庫川に対しまして、随分以前からダムの計画がありました。

 昭和37、8年でしょうか、当時は生瀬ダムと言いました。しかしダムの話がなかなか前に進まなかったわけです。ところが、近年三田の丘陵地が宅地開発され、同じく神戸市北区の丘陵地でもだんだん都市化して、武庫川への洪水時の雨水流出量増大が問題になってきました。

 当然開発に伴って洪水調整地を作ることが義務づけられ開発後も開発前と同水準の雨水流出量以下になるよう調整されます。最終的には三田の市街地の方に流れていきますが、三田の市街地は1回/30年の確率の洪水に耐えられるように河川改修をしてあり、上流の方はそのエリア内で、水の排出量と受け皿容量がある程度バランスがとれています。

 しかし生瀬から下流では、川の特徴が大きく二つに分かれます。生瀬から六甲山系の間を通って流れていた武庫川は、扇状地を作りながら仁川合流点まで掘り込み河川となって流れていきます。これは周辺の地盤が川よりも高く、それなりに安全性はあるんですが、ただ川幅が狭く大きな雨が降ると内水被害が生じるといった問題があります。

 また仁川から下流は河口まで天井川になっています。川底よりも周辺の民家の方が低い位置にあるため、常に氾濫の危険があります。

 本来、川は下流から整備していくものです。下流の方が流量が大きく、特に武庫川の場合は西宮・尼崎・宝塚といった阪神間の都市が集積しています。そういう意味でも下流から流量確保の整備をしていかなくてはいけないのですが、それにはお金もかかるし、すぐには出来ないということで、中流も放置しておいて、とりあえず上流の三田のエリアを1/30の確率の洪水に耐えるよう整備したわけです。

 ですから三田と河口の方とで整備の順番が逆転しているようです。それもあって、渓谷にダムを造れば一石二鳥、三鳥ということで、ダム計画が15、6年前から、本格的に検討され始めました。


ダム反対運動と流域委員会の設置

 さて、それに対しまして当然渓谷の自然環境を守ろうと、ものすごい反対運動が起こりました。

 ダム事業というのはやはり公共事業の中でも悪の枢軸みたいに見られています。一方で先ほど言いました西宮など下流からは早くダムを作ってくれという意見もあって、この10年ほどはいろんな意見が錯綜していました。

 その錯綜していたのを、なんとかしたいということで、賛成派も反対派も中間派もひっくるめ、良い解決策を探る方法はないかと考えられ、4年前に当時の貝原知事が流域委員会をつくって、そこで議論して解決を促そうとしたわけです。

 その流域委員会を本格的に発足させる前に、武庫川流域委員会準備会議を立ち上げました。そこでどんな流域委員会の形にしたらいいのか、メンバーの人選から、どこまで何を審議するのか、公開の仕方など、1年にわたって色んな議論がされました。その準備会議が流域委員会こうあるべしという答申を出したわけです。それを受けて今回のこの流域委員会が組織されました。

 流域委員会は約25名の委員で構成されています。そのうち15名は学識経験者や反対派・賛成派の各代表、あるいはそれ以前から活動してきた諸団体の人達です。残りは公募です。10名の定員に対して60名以上の応募があったようですが、小論文や面接を経て選ばれました。この公募委員と専門委員とで構成された25名で議論してきたわけです。それがちょうど3年ほど前の3月末から始まり、昨年8月末には委員会からの提言書を出しました。ですから、それまでに2年半かかったわけです。

 流域委員会としての本委員会は計49回ありました。その間にそれぞれ流出解析、環境、農業、まちづくりといった専門の分科会という形でワーキンググループを作り、そこでも委員会と併行して議論を進めていきました。

 それから本委員会を開催するにあたり、どのように委員会を進めるかということを話し合うために運営委員会が開かれました。これも本委員会の前に必ず1回開かれました。

 その辺を併せて延べ200回、時間で言うと1000時間くらいの委員会になったわけです。私も仕事柄事務局をしたこともありますが、普通の審議会とか委員会の類でしたら、だいたい4〜5回、一番ひどい例では1年間に3回というのもありました。最初は顔合わせ、第2回目くらいで中身を審議して、第3回目は最終報告。それも1、2回目はせいぜい2、3時間というところでしょう。

 これは委員長が偉かったと思います。元々神戸新聞の記者をしていた方で、そういう社会問題に興味を持たれていて、千種川の流域委員会でも委員長をしておられた明石の人です。武庫川はとにかく中途半端にやっても結論がでない、だから徹底的にやらないとあかんということで、反対派・賛成派いろいろある中で、いろんな課題に対して徹底的に議論したわけです。

 それも公開の場でやるわけです。ですから25名の委員が出席していましたが、出た限りは一言二言絶対しゃべろうという人が結構いましたし、ダムの話も含めて全部ゼロベースから、武庫川の河川流域に関わるものは全て議論して提言書で出していこうという事でやってきたため、時間が非常にかかったわけです。

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