そしてその上流にある武庫川の源流は、篠山あたり、加古川水系の谷中分水嶺に近い場所です。昔、田松川(たまつがわ)という人工の河川を作りまして、武庫川水系と加古川水系とを結んでいるわけです。
田松川との分岐点から真南条川(まなんじょがわ)というのがあります。この真南条川が武庫川の源流だということです。その辺りには龍蔵寺(りゅうぞうじ)というお寺があるんですが、そこが源流で篠山から流れてきて三田の市街地を通って流れていきます。全長約66km、流域面積は約500km2、流域圏人口は下流の西宮・尼崎も含め約100万人です。
先ほど言いましたように、武庫川の勾配はちょうど中流付近で急になっていて、下流は非常にゆるやか、上流はほどほどにゆるやかという感じです。普通は山岳地帯を流れてきて河口に行くほど勾配がゆるくなるんですが、武庫川はちょうど峡谷付近が最上流という感じになっています。
それは六甲の造山運動があったためです。六甲に遮られても武庫川は下流へ流れようとして、造山運動中の岩を削り渓谷が出来たということです。そういうわけで、武庫川の一番特色のある場所は、阪神間から非常に近くにあります。 1。武庫川とはどんな川
武庫川の源流と流域
武庫川の流域図(兵庫県)/(C)武庫川の治水を考える連絡会協議会提供
さて、武庫川のことをあまりご存じない方もいらっしゃると思うので、ちょっと簡単に紹介します。図中の黄色い線で囲まれた部分が流域です。途中で仁川と合流しまして、西宮南部より下流は氾濫圏で、武庫川の堤防を越えると氾濫します。我々が武庫川の流域圏と言う場合はこの氾濫圏も含めて言っています。
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これは最下流の方です。
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武庫大橋です。
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仁川との合流点、阪神競馬場のあたりです。この辺りから下流では天井川の土手や高水敷の部分で松が育ち、結構緑が豊かな景観を作っています。
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仁川から少し上流の宝塚市役所と末広公園あたりでは、高水敷はありますが、ほとんど植栽がありません。また堤防の際まで市街地が迫ってきています。両岸とも簡単な植栽しかなく、ちょっと貧相な景観になっています。
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宝塚の中心市街地では、ちょうど真ん中を武庫川が流れてきていて観光ダムがつくられています。こういう堰があると、湛水によって周囲に潤いをもたらしてくれ、ちょっと風情のある景観になっています。
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これは宝塚のJRと阪急の駅前です。宝来橋というS字橋があります。河川敷がなく、両岸近くまで住宅やマンションが貼り付き市街地が続いています。 特に震災以降に旅館街がマンションに変わり、マンションが川の際まで建ってきているものの、そのマンションと武庫川との調和的関係がないというのが現状です。 景観的にみても、川から六甲山系への流れ、長尾山への流れという事を全然考えていない板状の建物が連続して建っています。 こういう事を、国のマイタウン・マイリバー整備事業のモデル地区として整備しているんです。実際にはマイタウン・マイリバーというような趣旨の地域性にはなっていないと思います。
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上流の方に行きますと、武庫川を中国道が渡っているのですが、この下にリバーサイド住宅があります。 ここは平成16年の豪雨で浸水したんですね。それで地元では、この住宅の建築許可をした市の責任だ、県の責任だといったような運動がありました。何年もかかって協議された結果、結局全戸移転ということになりました。 流域委員会とは直接関係ないですが、やはり渓流から下ってきて水が一気に流れるような所で、このような土地利用を許してしまったということで、川と周辺都市の土地利用の一体的関係が必要であると思います。
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ここが今懸案になっているダムの計画地です。左岸を川沿いに上っていったところにちょっと黒い所が見えますが、これは昔のJR福知山線の鉄道の線路敷とトンネルです。ここの法面両岸は硬岩でV字形ですが、ちょうど渓谷からの出口で、ダムの堰堤を作るために一番良い形をしているということで、昔からこの辺りにダムが計画されています。 ところがここは渓谷の入口なんです。ここからずっと渓谷が続いているんですが、そのしょっぱなの一番大事な所で、一番市街地からアクセスしやすい所なんです。また、この辺りには高座岩とか人面岩とか昔の人がネーミングした由緒ある岩がありますが、これらは全部自然の造形物なんです。また、岩の割れ目から細々と忍耐強く成長して咲いているサツキがあります。そういった希少な動物にも出会える場所なんです。 環境的にも良い、大事にしなければいけない、そういう所にダムが出来るということで、反対運動が起こったわけです。
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さて、ダムと聞いて普通一般的に思い浮かべるのは堰堤があって常時湛水するというイメージだと思いますが、武庫川は穴あきダムです。洪水調整池の堰堤といったら土木系の人はわかると思いますが、常時は水が普通に流れています。大規模な洪水が来ると、開口部の大きさによって水の流れる量が決まりますから、それ以上の雨の流量が来たら溜まるという仕掛けになっています。
その穴あきダムの開口部は6m角で、延長が80mくらいのトンネルなんです。重力式ダムの最下部に穴が空いています。
そういった構造上の問題、景観上の問題があります。
それは単にダムの堰堤が近くから見えるか見えないかという話だけではなくて、ここは貴重な自然景観であって、その一番大事にしたい場所に何故ダムがいるのかということなんです。
これはなかなか難しい議論なので、すぐには結論が出ませんが、一度大規模な構造物を造ってしまえば、そのまま半永久的に残るわけです。常時は水が溜まっていないので川も流れているわけで、魚などへの影響もないということですが、やはり何十年かに一度だけ役に立つようなものを設置することには随分抵抗感があります。
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ここら辺りは、笹部桜という桜の公園になっています。
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ここはJR武田尾駅ですが、この手前に神戸市の水管橋が通っていまして、平成16年に台風23号がきたときには管の中程まで水位が上昇しました。今も川を流れてきた結構大きな木の根っ子がひっかかっています。
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これは手前の方が神戸です。そこから三田に入って中心市街地とニュータウンを眺めた所です。 先ほど言いましたように三田ではニュータウン開発があり、1回/30年確率の豪雨に耐えられるように、このような河川改修をしているわけです。写真中央から左斜めに伸びる線がありますけれども、これが改修前の武庫川の流路です。これは少し蛇行しています。 また、三田には結構橋が沢山あります。10箇所くらいはあるのですが、どの橋も武庫川とあまり縁がないんです。こういうものをもっと活用しないともったいないという話をしています。でも、洪水敷あるいは武庫川の河川空間と、自然や町並みがなかなか一体として考えられていない、考えるシステムがないというのが現状です。これは宝塚の市街地もそうです。そこに河川行政と都市行政の大きなギャップがあると感じます。 河川側からしてみると、町屋さん、都市屋さんは口出ししてくれるな、川のことは川屋にまかせてくれないと何も進まないというなことです。アンタッチャブルになっていたんですね。それが今の貧相な景観を作り出しているのだと思います。
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これは三田の中心市街地で、上の方に有馬高校や三田小学校が見えます。ここに江戸時代の九鬼藩のお城があったんです。九鬼家はもともと志摩出身で九鬼水軍は伊勢志摩地方で信長の水軍として活躍していました。その九鬼藩がここに御池という池を作って、そこで水軍の練習をしたという言い伝えがあるのです。そういった面白い歴史物語が街の中に散らばっているんです。 それからもう一つ、ここに昔は船着き場があったらしいんです。何故かと言いますと篠山と三田の間に高瀬舟が運行していたそうです。今はそのような姿は全然思い浮かびませんが、まあそれだけ篠山から三田にかけては勾配が緩かったわけです。
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これはちょうど新三田駅前にあるえるむ橋です。渡ったところに三田市民病院があります。 この辺りも一部ですけれども河川改修されています。
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この辺から周辺に河畔林とか田畑が結構あります。自然河川の潤いポイントがあります。
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これは藍本の辺りです。左手にあるのが舞鶴道です。ここは今は洗堰(あらいぜき)が出来て、一部が湛水エリアになっています。子供の遊び場であったり、夏場には色々なイベントが催されています。 ここの洗堰を造ったときに色々調査をしましたら、貴重な貝の生息地である事がわかりました。そういったものを自然観察したりカヌー大会をしたり多目的に活用されています。 ここはまさに河川を活用した環境教育やレクリエーションの場であり、そういったことと河川整備が上手くバランスがとれたモデルゾーンとして兵庫県もPRしているところです。
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この辺りが先ほど言いましたように、大雨が降ると湛水する地域です。左に見えるのはJRの線路敷ですけれども、線路敷の近くまで水が来るんです。
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これは篠山のです。左が田松川です。右に折れているのが真南条川です。先ほど言った龍蔵寺の上の方の源流に至る川です。ですから見たらわかりますように、ほとんど運河のような形で加古川水系と繋がっているわけです。
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これは真南条川の上流です。
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