だんじり祭りを歩く
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岸和田だんじり祭りを見学して

京都造形芸術大学大学院博士課程 松川 奨

 

 今年初めて岸和田だんじり祭りを生で見て、自分はこれまでこの祭りに対してメディアの断片的な情報だけで構築された一面だけしか知らなかったことに気付かされた。それはもちろん地車がやりまわしを行いながら走り回っている姿だけであり、それ以外知らなかったのが事実である。今回のプレ・フォーラムには、岸和田市や祭りについて詳しい方が数名同行していたおかげで、普通に観光していては知ることが出来ないような話とかが聞けて非常に良かったと思っている。もし自分が何の情報も持たずに来ていたとしたら、おそらく観光マップに従がって岸和田駅からカンカン場とベイサイドモールとの往復だけに終わっていただろう。

 まず岸和田市には海のだんじり地区と山のだんじり地区があり、80基以上の地車があるとの話に驚いた。また海のだんじり地区の中でも旧市地区と春木地区とは別に祭りを行っているとのことから、この祭りが現行の市制の枠組みではなく、祭りが盛んになった江戸期の集落の枠組みで今もなお行われていることが容易に理解できる。

 実際に祭りを体験して強く感じたことは、祭りというものが地域に住む者たちにとっては重要な神事であり、その準備を通して地域の人たちが一丸となっていくところである。地車の引き手たち以外にも、彼らを支えるために町に住む者全員が一丸となって祭りに参加している。そしてそのシステムは町のコミュニティと密接に関わっている。それらは少年団に始まり、青年団から組・若頭へとあがるにつれて祭りでの重要な役割を任されるようになる。

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 各町内にはそれぞれの団が休憩できるスペースが設置されるが、岸和田市の人たちはそのスペースを作るためにわざわざ自分の家の1階部分を全面ガレージにしたりピロティにしたりとかの工夫を凝らしているようだ。つまり個人宅のスペースもコミュニティスペースとして提供しようとする程、祭りが生活に与える影響が大きいのだろう。

 また町の繋がり以外にも、22町で構成される旧市街地区は、各町が年番という代表を選出して祭礼の運営にあたる他、三郷と呼ばれる地区ごとに当番町を選出して三町が祭りの実際の運営を任されることから、各町の横の繋がりも深めていると考えられる。つまりこの祭りが持つ意味とは、祭りを触媒とした地域コミュニティの結束の強化に他ならない。

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 そう考えると祭りを観光する側としては、祭りの参加者に友達がいるとか地元に知り合いがいるとかの条件が無い限り、なかなか深く祭りに溶け込めないのが真実である。祇園祭であれば、各町の会所で粽とかを購入したりすることで、自身も祭りに貢献したような気分が味わえるが、こちらではTシャツやはっぴは町の関係者しか購入することができない。だんじり会館に行けばグッズなどは購入可能だが、それでは各町との人的交流などは望みにくい。となると、これから岸和田市が観光に力を入れていくのであれば、各町ごとにひいきやリピーターを取り込めるような、町外・市外の人との交流の作りかたに鍵があるのではなかろうかと思われる。

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