コンバージョンが街をおもしろくする
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

 

はじめに

 

 コンバージョンのセミナーの講師をするのは、久しぶりなんです。一番多かったのが、2003年頃でしょうか。2003年問題と呼ばれ、東京でどんどん再開発によってビルが建っているけれども、団塊の世代が引退すると、大量にオフィスの床が余るだろうと言われたためです。その時に住宅化が進むのではないかと、コンバージョンの話が結構出ていたわけです。

 それ以降しぼんできてしまったようなところもあって、話題にはなったけれども、コンバージョンは本当に進んでいるのか、実際どんな事例があるのかが心許ないところだと思います。正直、僕も思ったほど進まないなあと思っています。それがなぜかという話も後でするつもりでおります。私は研究者ではないので、普段仕事をしていて、お客さんやそこで出会う人の話など、肌で感じていることを、事業者の立場でお話しできたらと思っております。


●コンバージョンが目的ではない

画像no02
 
 最初に言っておきたいのは、決して転用(コンバージョン)が目的ではないということです。『こんなふうに住みたい』ということをやっていくと、時々転用を伴うことがある、都心居住をやっていると、そういう場面が出て来るということです。

 私が最初にコンバージョンをやったのは、1999年ですから、10年近く前です。関西で有名なコーポラティブマンションで都住創というのがあります。あのシリーズの中の一つに、基本的に集合住宅なのですが、一部オフィスとして造られている部分がありました。それを住宅にしようと中古で買ってしまった人がいた。その人がリフォーム屋さんに相談に行ったところ、「えらいもん、買わはりましたね」と。風呂もついてないし、打ちっぱなしで断熱もされていないので、思っていたよりも高い金額を提示されたわけです。三社くらい行かれて、「どうしようか」となった時にうちに来られたのですが、僕は「あ、面白いもん買わはりましたね。これはいいですよ」と言ったわけです。トリオネット(三層になっているオフィス)でした。

 僕らは別にコンバージョンをやっているつもりはなくて、普段のリノベーションをやっているつもりだったのですが、登記が住宅ではなくオフィスなので、それに住宅ローンをつけるにはどうしたらいいかとやっていって、何年かしてから、「あ、あれはコンバージョンやったんやな」ということに気づいたということです。

 だからコンバージョンは目的ではない。結果そういうこともあるということです。別にオフィスだけではなくて、工場や倉庫など、普通に言えば「なんでわざわざ工場や倉庫に住まなあかんねん」という話ですが、人によれば、ライフスタイルで、そういう所に住んだ方が都合のいい人もいるんです。ただ、そういう人を変わり者と片付けてしまうのかということです。

 僕らも「隙間産業ですな」と言われると腹が立つのですが、隙間産業をやっているつもりは全くなくて、数字的にはマイナーではあるかもしれないけれども、もしかしたらどこかでゴロっと変わるような気もしています。コンバージョンを例えば住宅業界、不動産業会、建設業界の中で特殊解のような感じで言うのではなくて、普通になっていくような世の中にしないとダメだろうなと本心で思っています。

 これは実はかなり本気で思っていて、どちらかというと「戦うぞ」くらいのつもりで、それを住宅だけではなくて、産業遺産であるとか、公共空間においてもやっていきたい。さきほど「無理やりコンバージョン」という話がありましたが、僕は全然無理やりとは思っていません。要は公共の桟橋をカフェにしてしまうのも、全部知恵だと思っているんです。それがないと街はいつまでたっても面白くならないと思っています。いきなり結論めいたことを言いましたが、それを頭の隅に置いておいていただいて、この後の写真を見ていただければと思います。


●コンバージョンの原風景

 非常に個人的な話なんですが、若い方でもちょっと知っているかもしれない、「
傷だらけの天使」という伝説のドラマがあります。1974年のドラマです。僕はその頃10歳なんですが、生で見ていました。夜10時からやって終わったら11時ですので、怒られるものですから、小さいテレビを布団に持ち込んでこっそり見ていました。

 今から考えても、なぜそれほど興奮していたのかわからない。「お前、何がわかるねん」というところですが、当時何かドキドキして週末にそれを見ていました。水谷豊なんかが出てきた頃で、ドラマの中ではエンジェルビル、実際には代々木会館という雑居ビルのペントハウスに、ショーケンが暮らしていて、ショーケンが牛乳瓶の蓋をパコンとあけて朝が始まるというのが、いつものオープニングの場面だったんです。

 なぜかこれにめちゃくちゃ興奮していたんです。「都心に暮らすというのはこういうことだな」と。このとき僕は大阪の東成区に住んでいたんですが、そこは町工場ばかりで、自分の中では大阪市内が都心という感覚は持っていなかったと思います。でも何か都心への憧れのようなものがあって、「大人になったら都心に住むぞ」というようなことをずっと思っていました。

 鳴海先生からも、“なぜ街に人が集まらないのか”というお話がありましたが、それは大阪に限らず、色んな地方都市、東京でも実はそうなんですが、ど真ん中に人が少ない。ダウンタウンに住んでいる人数が、日本は今も少ない。都心居住などといってタワーマンションができている今も、諸外国に比べると少ないんです。でも僕はとにかく住みたくてしかたのなかった人間なんです。これを見て育ちました。

 撮影に使われた代々木会館のペントハウスは、まだあるらしいんです。そのディテールがあるホームページに出ています。これが僕の都心居住&コンバージョンの最初のオリジナルになっているものかなと思っています。

 ペントハウスの内部の様子がDVDのホームページに載っています。冷蔵庫はあったけれどもキッチンはなかった。当然風呂もなかった。でも今思うと、子どもの頃、長屋なんかに住んでいると家に風呂はなかったんです。もっと時代を遡れば台所もなくて、共同の井戸なんかでやっていたところもあったと思うんです。

 そう思うと家とオフィスの違いなんて、あるようでない。長屋などはまさにそうで、長屋は仕舞屋(しもたや)ですから、しまっている時もあれば店をやっている時もあって、何かを変えて転用しているわけではなくて、住む人が決めているだけの話です。そう思うと、転用と大層に考えるからいけないので、住んでしまえば住宅だと思っています。

 もう一つは、10年ほど時代が新しくなって、「フラッシュダンス」です。たぶんドキドキした人もあるかと思います。これは女性の人の印象に残っているとよく聞きます。

 シェニファー=ビールスという女優が演じたものですが、昼間は溶接工として働くダンサーの卵が、ピッツバーグの倉庫で暮らしているという話です。ドラマとしてはそれが面白いからと、設定されたようです。倉庫を改装した所でダンスの練習をしているわけですが、ドラマだから出来ている話で、本来ならそんなもの、高くて借りられるわけがありません。サクセスストーリーなんですが、これにも興奮した覚えがあって、このときは19〜20歳くらいだったでしょうか。

 最近でも何かいわゆる普通の家ではない所を舞台としているドラマは、探偵モノを初め色々あるでしょう。フラッシュダンスの彼女ならば、自分のやりたいことと住居が結びついているわけです。そこに住んでいたら、わざわざスタジオに行かなくてもいつでも踊れる。探偵の場合も、街中暮らしでいつでも出動できるというので、それがオフィスであり、それが住まいでもあるわけです。

 考えてみると、かつては商店街で、下では店をやりながら上で住んでいたということはよくありました。工場で住んでいるとか、パチンコ屋で住み込みで働いているとか、住居と職場とか、住居と趣味がもっと近接だったのが、どんどんどんどん分化していったという歴史が近代以降なのではないかと思います。それが話をややこしくしてしまったのではないか。でも自分はやっぱり何かそういうところに興奮を覚えたわけです。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ