着地型観光とまちづくり
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6 着地型観光のルーツは町並みまちづくり

 

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 だいたい着地型観光の内容はお分かりいただけたかと思います。

 では着地型観光のルーツはどこにあるのかというと、私は1960〜70年代にかけての歴史的町並み保存の活動に、求められるのではないかと考えています。

 住民参加という点でも共通点がありますし、1970〜1980年代にかけて自治体と住民が一緒に地域づくりに取り組み始めた流れが、この着地型観光にも流れているようです。


●6-1 地域性と観光開発

 さらにそのルーツを探っていくと、みなさまよくご存知の西山夘三さんの研究にたどり着きました。この方は、1960年代にずいぶん観光開発の調査をされておられるのですが、現在の着地型観光につながるような視点をすでに持っておられました。以下にその根拠となるような言葉を紹介します。

     
     「観光資源というもの全体をまとめて見ますと、結局、われわれの生活環境そのもの、それにプラス、直接経済生活に結びつきがうすいが、文化財や自然景観ということになります」(1965年)。
 
 1960年代は官民挙げて経済生活に邁進していた時代ですが、その時代に生活環境を重視する発言をされていたことは、今さらながらに慧眼だと思います。

     
     「国土を経済優先の『開発』で画一化してゆくことではなしに、それぞれ自然的条件や伝統的な生活と文化を守り育て、『地域性』を確立してゆくことが基本とならねばならない」(1975年)。
 
 ここで言われている地域性も、着地型観光においては重要な要素であることは述べた通りです。


●6-2 地域社会と観光客との関係

 1970年代後半になると、西山先生のお弟子さんにあたる三村浩史先生が次のようなことを述べておられます。

     
     「わが国のこれまでの観光政策のみならず観光に関する研究を振り返ってみると、観光する側およびその需要を先取りするために観光開発する側からのさかんな議論があったのにくらべて、観光を受け入れる地域社会から見た考察が立ち遅れていることは否定できない」(1978年)。「地域社会と観光客との対等互恵的な関係をどのように築いていくか」(1978年)。
 

●6-3 住んでよいまち

 1980年代に入ると「地方の時代」ということが盛んに言われましたが、それに先だってすでに70年代後半には清成忠男さんが次のようなことをおっしゃっています。

     
     「地域主義の立場に立つと、観光とはなによりもまず『住んでよいまち』をつくるということになる。そこに住んでいる人びとが、主体的に『住みよいまち』をつくるということである」(1978年)。
     「さらに重要なことは、『住んでよいまち』は『観てもよいまち』だということである。『住んでよいまち』には、独自の生活文化が生まれ、この文化にふれたいという観光客にとっては、自らの視野が広くなるとともに安らぎも得られるということになる」(1978年)。
 
 この言葉なんかは、2003年に小泉首相が言った「観光立国宣言」の内容そのままじゃないかと思うのですが、すでに30年近くも前から言っていた人がいるのです。


●6-4 まちづくり観光

 もうひとつ、まちづくり観光を提唱した猪爪範子さんの言葉を紹介しておきます。

     
     「観光そのものが地域文化に他ならず、生活文化の横溢する『地域』である」(1980年)。
     「観光事業はその地域の住民と広く結びつくものである。『まちづくり』は住民自らにより地域の主体性を確立することであり、社会的・文化的な自立性を高めてゆく動きがその町や村を個性的に変え、生活を豊かにすることで、こうした動きによって展開する観光開発は『まちづくり観光』である」(1980年)。
 

●6-5 地域を育てる観光開発

 2000年以降に観光まちづくりということが言われるようになりましたが、1980年にはすでにそうした考え方が出てきているのです。そう思うと、観光の世界では「失われた20年」ということになるのではないかとも考えてしまうのですが。最後に再度、三村先生の言葉を紹介します。

     
     「地域を育てる観光開発をめざす観光が、地元の商業、地場産業、農林漁業、文化活動にどう結びつき貢献するかも、観光地を評価する上での、いよいよ大切な尺度となるものと思われる。地域づくりに誇りを持つ主人公たる地域住民がそこにいなければ、観光客も成立しないのである。主客のつき合いということが大切であろう」(1980年)。
 
 この言葉なんて、もう完全に着地型観光の目標と言いますか、理念と言っていいと思います。現在、日本各地で農漁業あるいは工業、商業をベースに新しい概念の地域おこしとしての観光開発が始まっています。第6次産業と言われていますが、1980年代にはすでにその考え方も提唱されていたんです。

 ただ残念ながら、80年代後半にはバブル経済のもとでリゾート法などが作られ、こうした住民主体のまちづくり観光が大きく立ち遅れてしまったのはご存知の通りです。観光がいかにまわりの環境に影響されやすいかということでもありますが、立派なお考えが20年ほど埋もれてしまったのは、とても残念なことです。


●7 着地型観光による文化創造

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 最後に、これからの着地型観光がどのような展開をしていくべきかに触れておきます。

 まずはビジネスとして成り立つかどうかですが、いろんな問題がございますが、インターネットの活用が鍵になるだろうと思います。

 もうひとつの役割として、着地型観光は日本文化のPRに大きな役割を果たすのではないかと思われます。ですから、地域の観光およびまちづくりに、いかに日本文化を取り込むかが、これからの課題と言えるのではないでしょうか。

 例えば、堺は千利休を生んだ町ですし、茶器だけでなく茶室も他の町に比べたら多かったそうです。裕福な商人によって作られたそうした茶室を「市中山居」と呼んだらしいのですが、町の中に自然を取り込んだ空間を楽しんだ文化があったのです。今の日本でそれを楽しむことはなかなか出来ないのですが、こういう良質の文化を創造していくことも着地型観光のひとつの目標ではないかと思います。

 私の話は以上です。どうもありがとうございました。

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