質疑応答
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一昨年JUDIフォーラムでも「都市観光の新しい形」というテーマで「地元型」を取り上げてディスカッションしました。今日の着地型観光も同じ土俵の話だと思いながらお話を伺いました。ただ、少し違うのは、今日は着地型観光がビジネスとして成立するかどうかが重要な点になっているようです。
しかし、こういう観光は儲かるかどうかよりも、地域に対する愛着や誇りが大きな動機になっていると思うんです。特にボランティアで地域観光に参加する高齢者たちは、人の役に立ちたいということが大きな動機になっているようで、将来はどうか分かりませんが、今はお金が目的にはなってないのです。
日本でも林業が大変難しい状態なので観光のなかで林業の手助けにいこうとか、欧米のツアーの中には、お金持ちがアフリカとかのスラム地域に行って一定期間奉仕するというものもあって、これもツーリズムとして紹介されているんです。このように観光は大きな可能性があると思うのですが、今は在来型のホテルとか交通といった観光ビジネスの概念を超えた動きが始まっているところです。その動きを認識しないと、これからの観光のあり方をうまく捉えられないのではないかと考えます。
着地型観光はそうした従来の考えを超えたツーリズムになりうるのか、その辺のお考えを伺いたいと思います。
着地型観光は、社会的な生きがいとしての効果を認めるのか、あるいは経済的にも自立できる効果を認めるのかという二つの選択があろうかと思います。
社会的な効果についてはたくさん報告されていますが、経済的な効果についてはまだ事例が少ないのですが、今後期待できそうな話はあります。先に例に挙げた体験交流型のタイプですが、農林水産省と文科省と総務省が事業化を進めていまして、5年後には全国の小学生を1週間農漁村に滞在させるという計画があります。今年は50地区で、モデル事業として受け入れの条件づくりを始めています。受け入れ条件として1週間滞在できる、100人以上が滞在できることをあげています。具体的には小学校5年生のときに1週間滞在させるという構想ですが、これが実現すれば、農漁村に経済的な効果が出てくるのではないかと思います。
また、信州の飯山市が有名ですが、全国で健康ツーリズムが盛んになれば、健康管理ということで値段も安いものではありませんので、これも地域に経済的な効果をもたらすのではないかと考えます。
一方、高齢者の生きがいで思い出しましたが、新潟の村上市のひな祭りを飾る催しが有名になりましたが、これも由来を説明するのは地元のおじいちゃん、おばあちゃんなんです。訪れた訪問客に自宅のひな祭りの説明をするお年寄りの姿を見て、市の福祉の職員が「こんなにおばあちゃんが、いきいきとしてうれしそうな顔をしているのは初めて見た」と驚いたそうです。これなんか着地型観光が高齢者の生きがいに結びついた好例だと言えるでしょう。
村上市の場合はNHKの日曜美術館のプロデューサーに熱心に訴えて紹介してもらって、多くの人が訪れ、また全国に広まりました。
二つの選択肢と申し上げましたが、やはりどちらも求めていかないと、片手落ちになるのではないかと思います。
金井:
ビジネスの形はいろいろあると思うのですね。着地型観光で地元の雇用や産業が創出されるのが理想だと思うのですが、それはなかなか難しいでしょう。展開の仕方は様ざまだと思います。
安心院では、農家の方が自分の農業を一緒に味わってもらうために、お客を一組しかとらないんです。部屋はいっぱいありますから、経済的なことを考えたらもっと旅行者を受け入れたらいいんですが、経済効果じゃなくて生活や生き方を味わってもらいたいから、そうしたやり方にしたんです。従来の収入にちょこっとプラスになるぐらいの収入なんですが、新しい価値観の創造の方が大事なんです。どうやって生活していくのかというと、昼間、観光バスでお昼を食べに来る人たちが大勢いますから、経済的な収入はそちらで補えるんです。
着地型観光はどうしても地元の生活の仕方に関わってくる部分が大きいので、経済的な面からだけでは語れないことがたくさんあります。ですから、どういうモデルが成り立つのかを、いろいろ観察しながら考えていくことが大切ではないかと考えております。
大阪のミナミで商売をやっておりますが、この着地型観光を収益性のあるビジネスにしたいと思って「道頓堀スタジオジャパン」というまちづくり会社を作りました。そこで、着地型観光をやっている側から発言させて頂きたいと思います。
もちろん活動する上で苦労はしています。集客の仕組みがうまくいっていない、あるいはプロデューサーを育てないといけないなど、いろんな課題に取り組んでいる最中です。
今やっているのは、コミュニティビジネスと言いますか、少量多品種になるのですが、利益が上がらないもので、地元の商店街からも「そんなことで本当に商売と言えるのか」という声があがっています。
同時に考えなくてはいけないのは、着地型観光で儲けようとするなら、いったい誰が儲けるのかということです。それは、流行らなくなっているお茶屋や飲食店、あるいは商店街が着地型観光で再びお客が入るようになることなのか、儲けは、お客を集める旅行会社に行くのか、地元の商店なのかは大事な問題だと思うのです。
さきほどの堺の例は個人的にも存じていますが、一生懸命まちづくりに取り組んでいる人たちが、観光にも取り組んでいる例だと思います。
また観光カリスマという方々が着地型観光の成功には欠かせないと言いますが、彼らは観光でまちづくりを進めるだけでなく、ビジネスの仕組みもしっかり作ってまちづくりをされているような方々だと思います。
いずれにせよ、大阪はもうものづくりだけでなく、着地型観光のビジネスを成功させないことには再生しないと思っています。さらに積極的にビジネスとして推進していくために、若いメンバーで「(株)インブリージョン」という会社をつくって次年度からさらに本格的に取り組んでいくところです。
着地型観光が儲かるか儲からないかの話の前に、お金が回らないと続かないということがあります。どんな形の観光であれコストはかかるということを申し上げたいと思います。
着地型観光の基本は、現在ある魅力(それが顕在化しているかどうかにかかわらず)の活用だと思うのですが、そのストックの魅力を持続させていくためにも、なんらかの投資をして育てていかなくては、価値はどんどん減っていきます。その価値維持だけのためだけにも、コストはかかります。
さて、そのコストはいったい今後誰が払うのか。今のところは地域の方々の献身的な努力やたまたま残っていたストックを活かすことで成り立っているのですが、今後は維持(あるいは新たな価値創出)のコストをちゃんと負担していく仕組みを作っておかないといけないでしょう。
それを旅行客の支払うお金でまかなえるかというと、まだ立ち上がったばかりの着地型観光では絶対に回収できていないでしょう。
だから、旅行客が満足したサービスや地元の魅力に対して、それに見合う対価を払えるのかどうか、もし払えないのであれば、違うところからコストを回収する仕組みが必要になってきます。
先ほど、福祉面からの効果が話されましたが、ひょっとしたら着地型観光の効果を測る物差しをもっといろいろ用意しておく必要があるのではないかと思います。そうすれば、観光客以外の、コストを支払う組織や人が見えてくるのではないかという気がします。
いずれにせよ、今は立ち上がりの段階ですが、持続していくためには着地型観光の魅力自身を維持し、さらに深めていく必要があります。そして、それにかかる費用は観光客が支払う対価だけでは間に合わないだろうから、そこをどうやってクリアしていくかが重要な課題になってくると思います。
今の角野さんの話に関連して、質問させていただきます。着地型観光の資源はいろいろあろうかと思いますが、多分一番重要な資源は「人」だろうと思います。伝統産業でも商店街の人でも、人の営みが面白いから観光が成り立つんですね。だから人を育つためにはどうすればいいのかということも、よく議論になります。角野さんの意見も、質問にするとそういうことになるのではないかと思います。
その点について、お考えをお聞かせ頂けますか。
尾家:
今は何でもかんでも観光資源と呼ばれているようで、とうとうテーマパークも観光資源だといわれるようになっていますが、欧米では観光資源(リソース)の部分と観光対象(アトラクション)をはっきり区別して、観光資源からアトラクションが生まれてくると分析されています。
私も観光資源は何かをもっとちゃんと把握しないと、何でもかんでも観光資源だと捉えてしまうのは問題だと思っています。
そして、観光資源を考えていくと、ご指摘のように人はやはり重要な観光資源だと思います。
では、ご質問のコストについてはどうかですが、大きな課題になっています。
やはり私は、産業にならないと継続していくのは難しいんじゃないかと考えております。今は着地型観光に観光庁(国交省)も経済産業省も力を入れておりまして、補助金なども出してくれますので、地域のコンソーシアムが取り組んでいます。しかし、いつまでもそれが続くわけがありませんので、やはり産業として育てないといけないと考えます。
ちなみにマスツーリズムの時代の観光産業は、旅行会社の役割がとても大きかったのですが、そのわりに低収益だったんです。一言で言えば、薄利多忙でした。それでも企業として何とかやってこれたのは、発地で商売をしてきたからです。交通費も含めて旅行にかかる費用が丸々旅行会社に入るわけですから、そこからコミッションとしての利益を上げることができました。
ところが、着地型観光では旅行者は勝手に現地に行くから、交通の扱いがなくなる分、旅行会社にとっては売上、ひいては利益がとても低くなってしまうのです。その割には、手間は従来型の旅行と変わらない。
それを考えると、今までの観光産業をモデルにしていたのでは、これからの着地型観光は産業にはならないでしょう。しかし、地域のみなさんの生きがいとしてだけ捉えるのでは、持続不可能です。
もう一つの効果としては、文化的な効果をあげましたが、これも文化産業として成り立たないと経済的な自立はできないのです。果たして我々を含め観光客がそれに価値を認めてお金を出すかどうか。そういうものにお金を出す層が出てくるかどうかで、これからの着地型観光の未来が決められるような気がします。
金井:
私はもっと単純に考えているんですが、価値を生み出したら、それが経済的な価値や文化的な価値であろうと、人はそれを求めて移動するものなんです。着地型観光も今はいろんな価値を生み出す訓練をしている最中ではないでしょうか。産業にしろ文化にしろ価値を生み出すための訓練は時間がかかりますけれど、今はいろんな仕組みを作る段階ですから、この時期に結論を出すのはまだ時期尚早ではないかという気がします。
私は京都市内でまちづくり団体の活動をしております。その活動の一つとして、修学旅行の高校生を年に数回ほど受け入れています。その立場から申し上げますと、こうした観光は産業化しないといけないと言われると、つぶれてしまいがちなんです。
高校生と一緒に歩いてサポートしてくださる方々や、いろんな話を聞かせてもらう地元の方に、いくらかの謝礼は支払いますが、それは気持ち的なものでして、どちらかと言うと地元の方がよそから来た若い人と話をすることを楽しむ部分が大きいように思います。
また、まちづくり型観光では地元の方が住んでいる町家や芸術センターなどの公共施設、つまり既存ストックの活かす事ができます。すでに基盤があるところで、それをゆとりとして活用ことで、地元の人も満足できるし、無理なく持続もできるんじゃないかと考えています。こういう所へ、いきなり産業化しろとか企業が入ってくると、かえってややこしいことになってしまいます。
システムとしては、僕らも大手の旅行代理店から紹介を受けて高校生を受け入れていますが、その時に人数を少なくしてくれという条件をつけています。例えば、1学年150人ならばそのうちの30人ぐらいなら受け入れ可能です。そうでないと、案内する我われも楽しめないんですね。
我われが楽しいのは、高校生の話を聞いて驚いたり楽しんだりできるからなんです。例えば僕らが「京都にはどんな狭い道でも名前がついているんだよ、君たちの所は?」と聞くと「僕らの所は名前がついている道なんてない」なんて答が返ってきてびっくりしたりとか。地震があった新潟県の山古志村からの高校生と歩いたときは、復興するときに村の景観をどう作り上げていくべきかなどという話になりました。いろんな子どもたちがいて、それを見ていると今の若い人たちもまだまだ捨てたものじゃないなと嬉しい気持ちになってきます。話していると私が感動してしまうんです。それが大きい。こうした観光は動きとしては小さいものですが、これはあまり産業化して欲しくない部分です。
とは言え、こうした観光を持続させていくためには、こういったソフト部分に加え、何か売りものになるものがほしいとは考えています。売りものとは、お土産などの形として売れるものや飲食などで、それが充実すれば収益も上がるし、あるいは周りの人にもお金が回っていくのではないかと考えております。
私は今、ある地域でものづくりのお手伝いをしているところですが、マスツーリズムの時代と着地型観光の時代でお土産の分野で変化があれば、そのポイントを教えていただきたいと思います。
尾家:
お土産はその土地に行ったという記念品ですので、着地型観光でも需要はあります。しかし時代を考えると、旅行者がお土産に対してシビアになっていることがあげられるでしょう。たとえばお菓子一つとっても、形だけのお土産、添加物だらけでまずい物がある一方、本物志向のとても美味しい物があると千差万別です。何を買って帰るかは、今の方が選択眼が厳しいと言えます。
着地型観光でも、観光に来られた方は何かお土産を買いたいという心理に根強いものがありますので、住民がお土産にも真剣に取り組んでいます。すでにあるお餅とか、そんなものでも良いのですが、商工会議所や農業関係でも何か新しいお土産を作りたいと思っているようです。その成果はまだ分からないのですが。
また、先ほどの中村さんのお話で気になったのは、ボランティアガイドについてです。今は各地域に観光ボランティア団体が広がり、着地型観光の主役になっています。
それに対してボランティアが観光産業の商売の妨げになっているという例があるでしょうか?。
観光で利益を得ないといけない観光産業がボランティアによって阻害されることはありえないと思います。アメリカ社会はボランティア活動が日本以上に盛んですが、ボランティアによって産業が被害を受けたという話は聞いたことがありません。おそらくプロとボランティアによる活動領域の棲み分けができているんじゃないかと思います。
これからはどんな活動もそのクオリティが問われる時代になってくると思いますので、専門的なガイドさんはプロとしてちゃんとガイド費用をもらった方がいいと思います。
着地型観光はいろんな観点があろうかと思いますが、基本的には観光をビジネスとして考える部分が多いと思います。
先ほど着地型観光の3タイプをご説明いただきましたが、その中でAの体験交流型とBのニューツリズム型は、観光のコンテンツを充実する企画がメインだと思います。しかしC観光地再生型は、観光都市の再生が主な目的で、切り口が他の2つとは違うように思いました。このABCはどういう考え方で分けられたのか、そもそも3つしかないのか、オーバーラップしてもよいのか、その辺を少し補足して説明していただければと思います。
尾家:
本の出版に際して事例部分をどう整理して載せるかにあたって、最初は大都市と地方の小都市、農山村というように地域で区分しようと思ったのですが、どうもそれだとしっくりこないんですね。ですからビジネスの視点で区分けしてみたんです。
観光地再生型だと、あるホテルの従業員が独自のツアーを作って宿泊しているお客さんに参加してもらうなどの形があります。今ある現象と言いますか、観光事業者の主体という部分で区分け致しました。
3年前に研究会をはじめたときに、着地型観光の定義は何かとアカデミックな分野から来られた方から言われたのですが、実業から来たものは一つのプロジェクトをやるときに定義なんて考えませんから、びっくりしました。まずは着地型観光現象を見て分析していくことから始めようとしています。
ひょっとしたら、この3つの分類はひとつの過程でのタイプ分けということになるかもしれません。本当にどういうものが着地型観光と言えるのかという定義については、まだこれからだと思っています。
2003年の政府の観光立国宣言以来、いろんな活動が展開されていますが、どうも国のやり方は当初は場当り的なことが多く、法整備一つとっても、また支援策にしても、後追いが多かったような気がいたします。
そんな中で、着地型観光については国の施策が地方を元気づけていると思います。つまり最近旅行業法が改正され、ローカルな小さな旅行業者やNPOなどを主体とした活動が広がり、地域に密着した歴史や文化を織り交ぜた旅行商品が生まれてきました。地元のホテルや旅館などの宿泊施設ではそうした旅行パンフレットの設置に協力し、旅行者の滞在日数を増やすなどの成果をあげ始めています。これなんかツーリズムを豊かにした好例ではないでしょうか。
ところで、今日いろんな分野でグローバル化が進んでいますが、かえって生活の場としてのローカルとかコミュニティの価値が見直されています。一方で、地域社会に生活する人たちがその地域の価値を再発見することによって自分たちの住むところを良くしようと努める動きがあります。
他方、ツーリストとしてそこを訪れる人たちはその土地固有の自然に触れ、地域の生活文化に主体的にかかわることで人々の生活に革新をもたらすとともに、ツーリスト自らもそこから心の糧や豊かさを感得するといった、いわゆる“クリエイティブ・ツーリズム”の動きがあります。
このことからもわかるように、ツーリズムの深化は、国民一人ひとりが「よりよく生きる」という哲学的命題とも関係してくると思います。その辺の新しい動きについて、ご意見をお聞かせください。
尾家:
第三種旅行業者にも条件を限定して募集型の企画旅行の主催を解禁した改正からまだ1年足らずですが、徐々に広がりつつあると思います。法制度は問題が起こってから、そこに法律を当てはめていくパターンが多いのですが、第三種については国交省はわりあい早く制度化したと思います。
旅行業界には二つの大きな団体があります。一つは海外旅行の主催も扱う大手の旅行会社の団体である日本旅行業協会、もう一つは全日本旅行業協会といって中小の旅行会社や地方の旅行会社(例えば地元のバス会社の子会社など)が中心になっています。
その全日本旅行業協会が5年前から着地型観光を全国大会のテーマにしています。これは、地域の旅行会社が生き抜いていくためには、地域から出発する旅行者を扱うだけではだめだ。外部からその地域に来てもらえるようにする、そのオペレーションを扱うようにならないといけないと考えたからです。
ここ5年いろんなディスカッションを重ねています。つい最近、全日本旅行業協会は「地旅大賞」という賞を設けました。地旅とは着地型観光のことです。その旅行商品として成功したもの、あるいは内容が素晴らしいものに賞を出そうという趣旨で始まった賞です。
ところで、今は旅館やホテルなどの宿泊施設がお客さんに着地型観光などの旅行商品を販売することは旅行業のライセンスを持たない限りできないようになっています。それを、ひとつの広域で何軒かの宿泊事業者が着地型観光商品を扱うことができるような仕組みも、今年できた「観光圏整備法」で整えられました。
今、玄道さんが言われた「我われがよりよく生きるため」という言葉ですが、実は私はこれはこれからの観光産業におけるポイントになるんじゃないかと思いました。例えば、私も温泉は好きな方ですが、日本人の温泉好きがある意味日本の観光をダメにしたんじゃないかと考えているんです。
とにかく、お湯につかっていれば大満足なんですから、観光産業も景観やまちづくりについてはないがしろにしてしまった。今、湯布院や黒川が脚光を浴びているのは景観を守って、お湯だけではない観光地を作ったからです。ところが大型の温泉施設をつくったところは停滞しています。
イギリスの観光資料を見ると、イギリス人の観光の希望目的は田園滞在が30%、都市観光が30%、歴史的遺産を訪ねるが30%でバランスがとれているんです。日本人は過半数が「温泉」と答えます。ひょっとしたら日本に温泉がなければ、日本人も観光の目的がいろいろになって、観光地の景観、観光対象としての自然も保たれていたんじゃないかとも考えてしまいます。
興味深いお話ですのでまだまだご質問やご意見はあろうかと思いますが、そろそろ時間ですのでここで締めくくりたいと思います。
着地型観光はなかなか魅力的な名前で、全国ではいろんな積極的な取り組みが見られるようです。いろんな可能性がありますし、これからのまちづくりのひとつの方向性として活用できる部分があるのではないかと思っています。そういう部分では期待もしております。
先ほどのお話の中にもありましたように、国際的な観光がこれから盛んになっていくであろう時に、外国からの観光客に我われは何を提供できるか。日本に関心があって日本の良さを期待してやってきたけど、日本良さが失われてしまっている。アレックス・カーやいろいろな人たちが1980年代にそうした告発本を出しました。私はそんな本を読むたびに、これは日本にとって相当やばいことではないかと思ったのですが、着地型観光の視点からもう一度日本の町や自然を組み立て直す可能性が出てきたのではないかと思います。
これは随分昔に西山先生や三村先生も指摘していたということですが、単にビジネスとしてやっていくだけでなく、日本の環境の再生にも大きな期待が持てるのかもしれません。着地型観光だけでそういうことができるわけではありませんが、環境への社会的な認識が着地型観光によって高まっていき、国の取り組みも強くなっていくのではないかと期待が持てそうだと思うところでございます。
昨年JUDIフォーラムでもツーリズムを取り上げましたが、JUDIとしても関心のあるテーマですので、またテーマとして取り上げながらまちづくりや都市環境デザインの在り方について議論を重ねていきたいと思います。今日はお二方に貴重なお話をうかがえました。どうもありがとうございました。
●儲かるに拘ると新しい観光の形が見えないのでは?
金澤(大阪産業大学):
●生きがいと経済的自立の両方が大切では
尾家:
●まちづくりとビジネスの両立を目指したい
野杁(道頓堀スタジオジャパン):
●観光資源の維持コストをだれが払うのか
角野(関西学院大学):
●資源としての人が育つには?
鳴海:
●着地型観光の産業化して欲しくない部分
中村(ランドデザイン):
●お土産はどう変わるか
藤本(京都市立芸術大学):
●観光ボランティアと観光産業
尾家:
●着地型観光の3分類について
中島:
●ツーリズムの新しい動向と国の施策は
玄道(FM COCOLO−前歴史街道推進協議会):
●着地型観光の視点が日本を再生できる
鳴海(セミナー委員長):
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