質疑応答
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ベルクのテーマだと思いますが、資料の中に「日本文化の型、母型の発見」という言葉がございます。これは風景・景観にとっても重要なことだと思います。場所中心主義という発想が日本文化の普遍的な型であるとも読みとれますし、共同の文化を持った場所(コミュニティ)に重点を置けば、場所自体が特定の型を持つのではないかとも思います。日本の景観がちぐはぐであるのは、本来あったはずの「場所の型」を失っているからだとも言えるのではないでしょうか。本来あるべき「場所の型」が景観デザインにつながれば希望を持てそうな気もするのですが、先生はいかがお考えでしょうか。
木岡:
日本の場所中心主義がひとつの型かという点については、その通りです。それをベルクは、日本文化の型、特に空間認識の型であると言っております。
場所自体も型と言えるかどうかについては、私はそうした発想をしたことはないのですが、場所をどう考えるかはきわめて重要な問題ですね。場所を風土の広がりと同じように捉えることもできるわけですから、日本という場所から発言することもできるでしょう。フランスを一括して一つの場所として言うこともできますよね。それをもっと切りつめて、個人に属するものという捉え方もできるかもしれません。私は場所の多義性を認めた上で、場所に型があると言っていいんじゃないかと思います。
ただ、その「型」が問題でして、ベルクが「母型」という言葉で言っているように、そこで何か文化的表現が生まれる源、規範、枠組みという意味で、「型」という言葉を使いたいと思っています。日本のある地域、ある場所が、型として機能するとすれば、そこにしかない風景、そこにしかない文化が展開するということを意味すると思うんです。そうであれば、おっしゃることに私も賛成です。場所と型は切っても切れない関係性を持っているということですね。
しかしながら、みなさまの実践の立場から考えて、「本来あるべき型を見いだすことができれば都市計画としてうまくいくかどうか」ということについては、私もそう言えればどれだけ幸せかと思うのですが、日本の都市(日本の都市空間とか場所という言葉でもいいですが)が持つ本来の型とは何かは、これまで誰も問うていないし、誰もまだ答を出していないと思うのです。それは開かれた問いとして、われわれの前にあるのです。
おそらくベルクは、日本の町家を一種の型だと考えていると思います。近世以来の伝統を持ち、日本の風土に非常にうまくマッチしてきた共同体的な都市居住のあり方を認め、評価しています。ですから、ベルクは屋敷型の論理ではなくて、下町・町家型の論理に共感を寄せています。しかし、同時にそれが現代の都市に引き継げるかということになると、「それは無理だ」とも言っているのです。「現代の町家が求められている」というベルクの言葉そのものが、今の都市居住の型を作らねばならないという課題を提示したわけで、ベルクはその答を持っていません。
現代のほとんどアメリカナイズされた(近代化された)都市空間の中で、本来の型を忘れたという発想は非常によく分かります。しかし、近代に取って代わる本来の型、あるべき場所のあり方をどう打ち立てるかについては、残念ながら私は答を持っていませんし、おそらくほとんどの先生方も確信を持ってこうだと言えないのではないでしょうか。しかし、これに関するご提案やご意見があれば、私はぜひ聞きたいと思っております。
二つほどご質問させていただきます。
最初に、町並みの景観が共同体の秩序の現れということであれば、よく言われていますように日本の都市は近代になればなるほど地域社会が崩壊し、共同体どころか家族の絆も薄くなってどんどん個人として分散し、バラバラになって個化する状態であるのが現状だとすると、日本の都市の現れ方もますます無秩序的な方向に進むという認識でいいのでしょうか。
木岡:
なかなか難しい問題でして、通り一遍の答しかできないような気も致します。町並みが共同体の秩序を表わしていて、それが日本の伝統的町並みの中にもあったけれども、明治以降の近代化の過程の中で、共同体や家族が崩壊して、個の方向に行くのが大勢か、というご質問ですね。確かに近代化が日本社会の中で持っている意味は、「個人主義」良く言えば「個の自立」でしたから、それは同時にそれまでの社会的な型、共同性の意味を失っていったという負の面もあるのです。
この二つの面を切り離して考えることはできないという制約がありますので、この先も個人主義化するとしても、ただ単に西洋型の近代的個人という方向に行くとは私は考えておりません。それ以前の前近代の記憶や生き方も、同時に共存すると考えています。非常に複雑な形で、秩序と無秩序が並行していくと思います。単純に無秩序化するという言い方はできないでしょう。
つまり、一面から見ると無秩序であり、悪しき近代化みたいになるでしょうが、同時にわれわれは「時間の中の秩序」を持っているところがありますから、例えば団地の中の毎年行われる地蔵盆のように、コミュニティづくりにおいて西洋型とは違う新しい秩序を育んでいくこともあるのです。おおざっぱに言えば、前近代と近代が共存しつつ、せめぎ合いつつも、客観的には「個」が力を持っているかなという感じです。個人、共同体というふうに一元化はしないと思います。楽観的に言うと、日本の都市犯罪がニューヨークをしのぐような事態にはならないと思います。それがありえないようになっているんだと思います。
これは個人的に興味があっていろいろ調べたりしているのですが、「家庭」つまりファミリーのことをなぜ日本人は家と庭という言葉で表現したのか。つまり、アメリカの郊外住宅のような庭付き一戸建てというイメージで日本に入ってきて、郊外住宅の開発の時期と重なって、日本ではそれを日本人の標準的な家のイメージとしてずっと求めてきたと僕は理解しているのです。
われわれは普通、家庭という言葉を使うときは家族のことを意味しているのですが、あえて日本人はその言葉に家屋と庭というイメージに置き換えていきました。これについて、先生のお考えをお聞かせください。
木岡:
日本では「家庭」が、郊外の庭付き一戸建てに集約されるようなイメージに結びついてしまったけれど、本来は家庭とはもっとソフトな人間同士の結びつきであり、人間関係の絆の中で語られるべき言葉が、家屋敷のコンセプトになっている。そのことをどう考えるかということですね。
これは、ベルクさんや鳴海先生もお書きになっていたと思いますが、おそらく日本社会の中に武家社会の伝統が生きているということだと思います。武家社会は家屋敷の論理であって、町人のように町家や長屋に住む論理とは別のところにあるんです。近代化の流れの中で、屋敷型のコンセプトと町家型のコンセプトがいろんな絡まり方をしてきました。例えば、超高層ビルディングが公開空地をたくさんとっているのは、屋敷型論理の発想ではないかとも思えるのです。前近代にあったはずの屋敷の論理が、近代化の中のきわめてモダンな都市計画の中に変な形で再生してしまっている、それが実体ではなかろうかと思います。
しかし、日本では高層マンションの一室で一生を送ってもいいと思う人も、今でこそ出てきていますが、ほとんどの日本人の到達点は庭付き一戸建てになっています。結局、これは江戸時代以前の庶民の願望を、こういう形で帰着させているのではないかという気もいたします。
資料の最後に「環境倫理学に代わるベルク風土学との出会い」という言葉がございます。これについて、もっと詳しくお聞かせください。
ありがとうございます。肝心の所が展開できなかったと思っていましたので、喜んでお話しさせていただきます。
なぜ私自身が風土学に惹かれるようになったか。これにもいろんな偶然が作用するのですが、1980年代の終わり頃に大阪府立大学の総合科学部に就職致しまして、そこで哲学や倫理学の授業をやることになりました。その時は地球サミットの時期とも重なって、環境問題、環境危機ということが盛んに言われている時期でした。その時点で、私に何ができるか、哲学をやっている立場でどんなことで環境に寄与できるかを考えたときに、ひとつあったのが環境倫理学(enviromental ethics)です。
しかしこれは、欧米が主体となって開発してきた環境の倫理です。その中で、これまでの近代文明を一定程度反省して、例えば人間だけが持っていた生存の権利を自然にも認めようとする「自然の権利」論が出てきます。また、倫理学というのは、同じ社会に生きている同時代人の間で考えられてきたのが、そうじゃない、将来世代に対しても責任があるのだとする「世代間倫理」という新しい概念も持ちだしてきた。
これらの考え方は、一見すると新しい考え方のように見えます。しかし、私はそれらの考え方とつき合ってきて、きわめて大きな異和感を感じるようになりました。そういう問題を引き起こしてきた西洋近代文明の問題の根元には、一切触れていないからです。自分たちが起こしてきた問題を、自分たちの態度変更で何とかしようと言うわけですが、そういう態度変更が全世界的にどれほどの意味を持つのか、という反省がないのですね。環境倫理学の言う「自然の権利」論が、東南アジアやラテンアメリカのような、もともと自然と共存し調和して生きてきた人びとに対して、本当に通用するのかについては、おおいに疑問です。
自然を搾取して生態学的危機を引き起こした西洋的な特殊性の中で、自分たちのそれまでの倫理、思想を作り替えるところから環境倫理学は生まれたのですが、そういうものが全地球的なグローバルな環境危機に対応できる要素はほとんど持っていないと私は考えました。何よりも、環境倫理学には南北問題の認識がない。環境危機の本質は南北問題だと私は考えますから、富める北が貧しい南を利用対象として抑圧する構造の認識がなければ、何の意味もないのではないでしょうか。南北問題とは、何も地球上の北と南だけの問題だけではなく、都市と農村、日本で言うと東京と地方の関係も南北問題と言えますよね。
そういう構造には指一本も触れずに、地球に優しい生き方はどうだとか、自然に対して人間はへりくだれと言うのは可笑しい。私が一番許せないと思うのは、「人類みんなが責任がある」という言い方ですね。こんなのはウソです。「人類みんな」を持ち出したら、誰も責任を負わないというのと一緒なんです。誰が何に対してどういう責任があるのか、をはっきりさせるのが、私の考える環境倫理ですが、環境倫理学はそういうスタンスを持っていませんでした。私は、最近のエコブームを憤りをもって見ているのですが、「明日のエコでは間に合わない」と言われると、反射的に「何を言ってるんだ、馬鹿野郎」と言いたい。乱暴に言うと、一人一人がティッシュペーパーを節約しようで終わっているのが、現在の環境倫理、環境哲学なんです。私は、自分が環境倫理と風土学の授業をやるときに、「君たちは騙されている」という話から始めることにしてます。結構学生にとっては衝撃があるようです。
そんな中、風土学に出会ったとき、私はこれだと思いました。オギュスタン・ベルクの名前はだいたい1990年頃から知られてきました。この人の言っていることは難しかったのですが、風土学について関心を持ちつつ、なんとかそれまでの哲学や倫理学のあり方を変えていこうと模索してきました。
その後、2002年に1年間にわたる在外研修の機会をいただきまして、そこでパリのベルクさんにお世話になりました。これが決定的な転機になったわけです。
ベルクさんは西田哲学をファシズムみたいだと言って批判しますが、私から見ると、それは全然読めていない全く間違った視点なんですね。そういう誤解を与えたのは、日本人の哲学者が間違ったことを書いて、それをベルクさんが信用したという経緯があるのです。ですから、西田哲学について私の視点をメールで書いたり論文を送ったりすると、時には激しい反論が返ってきたりしますが、一応私もベルクさんと差しで勝負していることは認めていただいているわけです。
私は、これからパリへ行きまして、フランス国立社会高等学校研究院で「近代日本における風土学的思考の運命」というタイトルで、4回連続の講義をやる予定です。その内容では、ベルクさんや和辻に触れないわけにはいきませんから、危うい場面がそこに生じるかもしれません。私は、できるだけ衝突を避けるようにしつつも、言いたいことは理解してもらおうと考えています。
私は、ベルク先生が私を一応認めてくださっているものだと思っています。私には、哲学者のパートナーは一人もおりません。風土学のパートナーも日本にはいないと思っています。なぜかというと、ベルク風土学の優れた所も問題点もトータルに含めて、それと対決する姿勢を持った人が日本にはいないからだと思っています。私はそういう意味では、ベルク風土学との対決を通じて初めて日本の…と言いますか、私の風土学が形を取ることになるだろうと思いますし、それをライフワークだと心得ています。だいたい、こんなところでしょうか。
今日はとても刺激的なお話をしていただきました。私と木岡先生は、先ほど申し上げた去るある研究プロジェクトの準備を通じていろいろ議論をしてきました。その中で、環境の問題が社会でいろいろ言われていますが、環境問題は風景とか景観の問題に顕著に現れ、そのことを重視する視点の方が大事で人間的であるという木岡先生のお考えがとても面白かったんですよ。
今の世の中では「地球に優しくないと生きていけない」という考えが席巻していますが、そういう視点では、地域地域で異なった環境に生きる人々の理解を得ることは非常に困難だと思います。今日は、そうじゃなくて、ひとつひとつの風景や景観に関わっていくことで、地球全体に通じていく可能性があるということを教えて頂きました。木岡先生のお話は皆さんにもいろんなヒントになっただろうと思います。これを機会に木岡先生といろいろディスカッションする機会が持てればと思っておりますので、木岡先生、今後ともよろしくお願いいたします。
木岡:
こちらこそよろしくお願いします。最後に宣伝をひとつ。私は大学院で、「都市の風土学」というタイトルのオムニバス形式の講義を、水曜日の6時〜7時半にやっています。これは公開講義でして、社会人の方どなたにも無料で参加して頂けますので、関心をお持ちの方はどうぞご参加ください。今日はどうもありがとうございました。
●母型、型の発見について
中村(ランドデザイン):
●共同体崩壊の現代の都市の方向性について
金澤(大阪産業大学):
●なぜ「家」と「庭」で家庭なのか
金澤:
●私にとっての風土学:補足
鳴海:環境倫理学に代わるベルク風土学との出会い
木岡:私の風土学への道
パリでは、ベルクさんに近いところで彼の書いているものを読み、彼が読みかつ批判する和辻哲郎や西田幾多郎について、改めて自分も読み直しをいたしました。そういう作業をすることで、私はベルクさんに私淑するというよりは、ベルクさんの目線でものごとを見る中から、ベルクさんのメゾロジーとも一線を画する方向が見えてきたということです。
●コメント
鳴海:
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