ベルク風土論の日本的展開
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III 風土学の日本的展開

 

●二つの風土学?それとも…

〈中心〉から考えるか、〈周辺〉から考えるか
 最後に、結論めいたことを申し上げます。私は今日のお話で、ベルクというフランス人地理学者・日本学研究者が、日本と接することでメゾロジーという己れの学問を打ち立てたという話を紹介しました。これはひとつの風土学を表しているだろうと思います。それに対して、社会的、歴史的、文化的位置の違いを持った和辻は、ベルクとは違うタイプの風土論を考えたということも紹介しました。

 ベルク風土学の方は、絶対的な文化的中心に立つ主体が、一定の自己相対化によって生み出した風土学だと規定したいと思います。これに対して、和辻の風土論は、周辺的な位置に立つ特殊な己れのあり方を具体化することから生まれたと考えております。どちらの考え方も多元主義です。様々な文化の多様性、多元性を認めることは共通していますが、ベルクは普遍性から発想するのに対して、和辻は特殊性から発想するという違いがあります。

 この考えが正しいとしますと、中心から考える風土学と周辺から考える風土学の、二つの風土学が存在することの意味が問題になってくるのではないでしょうか。しかし、私は二つの風土学があるとは考えたくないと思っています。

時代と場所を異にする風土学的反省をいかに媒介するか
 現在、われわれが持っている知識や技術など、ほとんどの学問体系は西洋近代に形成されて今日に至っています。そして、みなさんも私もそうですが、西洋的な学問を己れのモデルとして、それを踏襲してきました。そこに、先ほどから言っております「隠れた自己中心性あるいは権力」があることを、あまり考えずに生きているのではないでしょうか。なぜそうなってしまうかの最大の要因は、他者と正面から出会うことなく、他者を抑圧し搾取してきた近代西洋文明の性格にあると思います。

 私は、今は西洋近代にきわめて批判的、否定的なスタンスをとっております。しかし、問題はそこにだけあるのではありません。例えば、日本の近代化のプロセスがそうであったように、むしろ敵対的な関係にある周辺あるいは外部の他者が、西洋の模倣追随に明け暮れてきた歴史があるからです。

 なぜ敵対的かと言えば、要するに西洋という中心が帝国主義侵略をして、場合によっては植民地にして搾取をしてきた歴史があるからです。そういう歴史の責任の一端を、追随してきた側も担うべきだと思います。要するにわれわれの学問・文化は、西洋という自己反省の乏しい世界のモデルを無批判的に取り入れて、今日まで至ったのではないかと考えます。だとすれば、単なる中心でも周辺でもない、中心と周辺の双方において、こうした世界の現実を根本的に反省することが必要だと思われます。

 このような現状認識に立ったときに、洋の東西の異なる場所において、ベルクのメゾロジーと和辻の風土論という、違ったタイプの風土学的反省が展開されるということは、歴史的にきわめて重要な意義を持つと思うわけです。ですから私は、ベルクのメゾロジーと和辻の風土論は、別々の学問を意味するのではないと考えます。それは異なる時間と場所において着想され展開されるべき、風土学的反省の形であると考えたいと思います。

 もちろんベルクと和辻のスタンスや問題に対する答え方は違うわけですが、そのこと自体が風土の多元性によるものなのです。したがって、二つの風土学を切り離して、「どちらが上だ」と考えるのではなく、互いに媒介させるような仕組みを作り出さなくてはならない。こういうふうに私は考えています。


●私にとっての風土学

 私はベルク風土学と出会って、今申し上げたような考えに立つようになりました。現在は、ベルクと和辻それぞれの立っている立場を踏まえた上で、自分なりの風土学の体系化を考えているところです。風土学的な反省を、この二人から受け継ぎながら、自分なりに展開したいと考えています。最後に、私の問題意識として三つの課題を挙げておきます。

     
     (1)風景の論理
     (2)風土の論理
     (3)邂逅の論理
 
 この問題意識が具体的に実った時に、三つの著作が世に出るであろうと思っています。ですから、それまでは死ぬわけにはいかないな、ということを最後に付け加え、私の話を終わります。今日は、私の拙い話を最後までお聞き頂き、ありがとうございました。

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