「水都大阪」の再生  川の駅 はちけんや 誕生
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八軒家浜への関わり

 

 吉野さんに最後に誉めてもらって、今から話すのがやりにくくなったなという気がしますが、これから「はちけんや」の設計プロセスについてご報告させていただきます。

 吉野さんのお話にもありましたように、僕が実際の設計に携わるずっと以前から多くの方が実現に向けて努力されていました。私が関わるきっかけになったのは、2004年(平成16年)に吉野さんから「勉強会用に模型を作ってくれへんか」と言われたことでした。僕はその頃シーザー・ペリ事務所から独立してすぐで仕事もなかった時期だったので喜んで作らせていただきました。その後2、3年音沙汰なかったものですから、ああきっと別の誰かが作ることになったんだろうなと思っていたのですが、光栄なことに平成19年の事業コンペで京阪・関電・サラヤ・サントリー・毎日放送という大阪を代表する事業者チームの設計者として入らせてもらって、ようやく実現にこぎ着けることができました。今日は、そのプロセスについてお話ししようと思います。

 デザイナーの仕事は絵を描いて模型を作ってというものだという見方もあれば、逆に全ての仕事をデザイナーがやっていると思われることもあるのですが、こと公共建築においてはそういうものではないと僕は思っています。内情を詳しく話すと愚痴っぽくなる面もありますが、今日はそれも含めて聞いて頂いて、建築のデザイナーが、まちづくりにどういう風に関わっているのか、またどう関わるべきかのご意見を承れば、今後も僕自身のがんばりにつながっていくような気がします。


■八軒家浜の歴史性

 このあたりは平安時代からすでに交通の要所としてにぎわっていた場所でした。昔は「渡辺ノ津」と呼ばれて京都からここに降り立ち、ここから熊野に出発したという大阪の水運と陸路を繋ぐ拠点でした。江戸時代には、京都伏見との往復に利用された三十石船の船着き場として大いに賑わい、八軒の船宿があったことから八軒家浜と呼ばれるようになったとのことです。京阪電鉄ができるまでは、流通、交通の要所だったわけです。

 しかし、僕もそうだったのですがおおかたの大阪市民にとっては、八軒家浜は忘れられた存在で、知名度はものすごく低い。こんなに歴史的に大事な場所だったのに知らない人がほとんどです。大阪は、関東に比べたら名所旧跡がたくさんあるのに、知られてない場所が多くて、この八軒家浜もそういう大阪が本来持っているまちの魅力を生かしきれないまちづくりを象徴しているような所だったようです。こういう歴史的な場所に、官民挙げてみなさんが「水都大阪」のまちづくりをしていこうということになったわけです。

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八軒家浜にぎわいの歴史
 
 後でまたご説明しますが、デザインを決めて色を決めていくときに、左の写真にある浮世絵の色を参考にしました。浮世絵の色も実際とは少しは違うでしょうが、この時代に持っていた色合いや風景から感じるものを現代のデザインに取り入れて行くのも「和風デザイン」ではないかと思いました。

 右の写真は、明治の終わりか大正初め頃の八軒家浜で、まだ雁木が存在していた頃の風景です。その頃の雁木とお祓い筋(熊野古道)は少し雁行していたようで、今度のプロジェクトを始めるにあたって、その空間構成をもう一度再生してみようと思いました。この空間構成が建築デザインのひとつのポイントになると私たちは捉えました。

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空間構成の復元 水辺とまちをつなぐ
 
 以前は右の写真の岸岐(雁木)に船から上がってくると広場がありました。今回の計画でも、そうした水辺とまちをつなぐ空間をデザインすることが大事でははないかと考えました。


■コンペへの参加

 僕らがコンペに加わった時は約1500平米の施設を作っていこうというところからスタートしました。ただ、僕らとしては施設というより広場を作るという感覚でスタートしたプロジェクトです。

 このプロジェクトは、平成16年に熊野古道が世界遺産に認定されたことから、実現に向けての気運が高まったと聞いています。ちょうどその頃から色々な形でまちと川との接点が増えてきたように思います。おかげさまで来週の8月1日(2009.8.1)に、この「川の駅 はちけんや」がオープンすることになりました。このネーミングが決まったのは、つい最近です。

 「川の駅」は東京の方ではすでに30ほどあるそうですが、大阪では初めてです。しかも、完全に公共施設としての川の駅は初めてだと聞いています。東京ではNPOが運営することが通常のようです(会場より:公共の施設を転用している形が多いです)。また、これから大阪でもどんどん「川の駅」を増やしたいという話は聞いています。

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はちけんや 外部からの見え方
 
 左が第1期オープニングの時の写真です。右が工事前の写真です。

 近隣の住民の方々は長い間、川への眺望を持っていたわけです。だから、それを遮る建物になるのではないかと随分心配されていました。大阪府さん、事業主さん、近隣の三者で協議会を重ねてきたという経緯があります。回数で言うと60回以上と聞いていますが、その中でようやくボリュームが決まり、コンペを開くことが出来たわけです。ですから、テラスや1階部分はほとんど決まった状態(つまり、ここから上は建てられないという制約)の中で、スタートしたものです。右の写真の点線がその建物のほぼ限界線です。

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八軒家浜賑わい施設整備等事業(2008.2.12)
 
 これはコンペの時に提出したパースです。結果的には屋根を斜めにするなどいろいろ変わっていますが、私たちとしては形はどうあれ、賑わいを作り出すのが使命だと考えておりました。これだけ人が集まるかどうかは別として、人が主役になる空間を創ってきたつもりです。

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