吉野さんに最後に誉めてもらって、今から話すのがやりにくくなったなという気がしますが、これから「はちけんや」の設計プロセスについてご報告させていただきます。
吉野さんのお話にもありましたように、僕が実際の設計に携わるずっと以前から多くの方が実現に向けて努力されていました。私が関わるきっかけになったのは、2004年(平成16年)に吉野さんから「勉強会用に模型を作ってくれへんか」と言われたことでした。僕はその頃シーザー・ペリ事務所から独立してすぐで仕事もなかった時期だったので喜んで作らせていただきました。その後2、3年音沙汰なかったものですから、ああきっと別の誰かが作ることになったんだろうなと思っていたのですが、光栄なことに平成19年の事業コンペで京阪・関電・サラヤ・サントリー・毎日放送という大阪を代表する事業者チームの設計者として入らせてもらって、ようやく実現にこぎ着けることができました。今日は、そのプロセスについてお話ししようと思います。
デザイナーの仕事は絵を描いて模型を作ってというものだという見方もあれば、逆に全ての仕事をデザイナーがやっていると思われることもあるのですが、こと公共建築においてはそういうものではないと僕は思っています。内情を詳しく話すと愚痴っぽくなる面もありますが、今日はそれも含めて聞いて頂いて、建築のデザイナーが、まちづくりにどういう風に関わっているのか、またどう関わるべきかのご意見を承れば、今後も僕自身のがんばりにつながっていくような気がします。 八軒家浜への関わり
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これはコンペの時に提出したパースです。結果的には屋根を斜めにするなどいろいろ変わっていますが、私たちとしては形はどうあれ、賑わいを作り出すのが使命だと考えておりました。これだけ人が集まるかどうかは別として、人が主役になる空間を創ってきたつもりです。
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