地方都市での「議論と合意」の景観まちづくり
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住民と行政が対立していた時代

 

 三重県伊勢市の伊勢河崎では、かつて勢田川の改修方針をめぐって住民と行政が鋭く対立していました。それが時間の経過と共に、反対運動から行政と住民が協働する方向に変わってきて、今は新しいまちづくりを展開しているところです。

 まずは、長年にわたって伊勢河崎の変遷の様子を映像記録におさめてきた長尾正男さん制作による『わが町 伊勢河崎の変遷』という作品を見て頂きます。この作品は2001年度に名古屋で行われた「まち・コミ映像祭」で第1回グランプリを受賞しました。(映像は本記録では省略しています)。

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(出典:伊勢市提供資料)
 
 簡単に経緯を説明しますと、かつて伊勢河崎も勢田川の水運を活かしてできた問屋町として発展してきました。江戸時代から伊勢参りをする人がたくさん来てますので、そうした人びとに物資を提供する重要な問屋街でした。水運沿いに発達した町は全国にたくさんありますが、そうした町は川に面して蔵や町家が建ち並らびますから、陸地で発達した町とは違う独特な生活の風景が形成されているところです。

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七夕豪雨 同(伊勢市提供資料)
 
 ところが、1974年に「七夕豪雨」と呼ばれる水害が伊勢地方を襲いました。かなり広範囲にわたって浸水被害を受けたことから、建設省が勢田川の河川改修をする計画を発表したのです。それは河川の川幅を広げる案で、それを受けて多くの町家が立ち退かなくてはならないことになりました(下の左の写真)。1970年代に反対運動が活発に行われたのですが、みなさんも想像できるでしょうが、1970年代は市民運動が建設省の案を覆すことはほぼ不可能な時代です。三重県も伊勢市も建設省案に賛成の立場を取りましたから、住民と対立することになり、その結果住民が賛成派と反対派に二分されてしまうことになってしまいました。

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勢田川改修の方針(伊勢市提供資料) 河崎まちなみ館(伊勢河崎の歴史と文化を育てる会)
 
 この河川改修反対運動の時期には、京都大学の西山夘三先生をはじめとする多くの専門家がボランティアで現地に来てまちづくりの応援をして頂きました。その応援を得て住民の中から「伊勢河崎の歴史と文化を育てる会」が立ち上がり、まちづくり組織となっていきました。その方々が中心となって、現在の伊勢河崎の歴史や文化を活かしたまちづくりへとつながることになったのです。

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