■都市マスタープランと市民ワークショップ
結果的にこの河川改修を止めることはできなかったのですが、この改修は勢田川の右岸を中心に行われましたので、左岸の町並みは残されました。従って、歴史的な町並みの骨格は左岸を中心に残っていますので、左岸を中心に今のまちづくりが展開されていくことになりました。
反対運動が起きてからは、まちづくりにおいては目立った展開はなかったのですが、あるきっかけから市と協働してやっていこうという流れになりました。こうした方針の転換とも言える「歴史と文化を活かしたまちづくり」へのきっかけになったのが、伊勢市の都市マスタープラン市民ワークショップだと思います。
これは都市計画法が1992年に改正されて市町村が都市計画のマスタープランをつくらないといけないということが制度化されたからです。それ以来、全国各地で市民と一緒になって都市計画マスタープランをつくっていく試みが行われるようになりました。
私も本格的に伊勢河崎のまちづくりに関わるようになったのは、このマスタープラン市民ワークショップに参加してからです。伊勢河崎のワークショップは、公開ワークショップでマスタープランをつくっていくもので、この当時東海地方では初めての試みで大きな社会実験として注目されました。参考までに申し上げますと、学芸出版社から出ている『市民参加のまちづくり』という本に、この伊勢市の市民と一緒の都市マスタープランづくりの様子が書かれていますので、機会があればお読みくださると幸いです。
この時のワークショップでは、伊勢河崎の問題だけではなく中心市街地を中心とした広い範囲をどうしていくべきかを市民と一緒に検討していきました。
第1回目のワークショップでは、まちかどウォッツチングをみんなで手分けして行って、各地域を歩いて調査していきました。この時参加した市民のみなさんからは、伊勢河崎の古い町並みを撮した写真がたくさん紹介されて、改めて勢田川と河崎の町並みは伊勢神宮を支えてきた歴史と文化の積み重なった町なのだということを認識いたしました。ここをちゃんと修景をしていった方がいいのではないかという意見が、市民のみなさんから出されました。
ワークショップで出されたこうした市民の意向が、市の方針を本格的な協働へと動かす大きなきっかけになったと思います。
|
|
第3回ワークショップ
|
第4回市民ワークショップ
|
左の写真に写っているチームのみなさんが、勢田川を中心テーマとしていろいろ調査をし、新しいまちづくりの提案をまとめて出して頂いたグループです。この中には、これからの勢田川づくりがあり、河崎の町並みの位置づけ提案もされています。
市民の提案が、最終回である第4回市民ワークショップでは「市民ワークショップ・マスタープラン案」として、当時の水谷市長の前で発表されました。
|
|
伊勢市都市マスタープラン表紙
|
全体構想図
|
ワークショップの結果を踏まえて、都市計画のマスタープラン策定委員会でもう一度案を練り直して出来上がったのが伊勢市都市マスタープランです。勢田川と河崎の町並みも正式なまちづくりの政策として位置づけられました。
マスタープランを発表したパンフレットの表紙写真にも河崎の町並みが取り上げられていました。市が方針転換したという意思表示として出して頂いたのだろうと思います。
右の写真の全体構想図では、市の中心部を流れる勢田川の右岸に、古い町並みを拠点として「歴史文化交流拠点」を作っていこうという位置づけがされています。また、勢田川そのものも「歴史文化交流軸」として位置づけ、水運を活かしたまちづくりをやっていこうということになりました。
■景観マスタープラン
|
|
景観マスタープラン
|
まちづくりブック伊勢
|
都市マスタープランで河崎の位置づけが決まったことで、その後の景観マスタープランでも河崎は重要な位置づけを占めています。景観上、力を入れていく地区として現在にいたっています。
市民と一緒になってつくった都市マスタープランの取り組みも、『まちづくりブック伊勢』として一冊の本にまとめました。これはワークショップの場で市民と一緒になって使う教材で、まちづくりのマスタープランはどうやってつくっていけばいいかを実際のまちづくりの現場からまとめていきました。この本で、町の見方など、まちづくりをしていく上で基本となるべきことを勉強して頂いて、ワークショップを上手に進めてマスタープランをつくり上げたという状況です。この本づくりも公開ワークショップでつくっていきました。
前に 目次へ 次へ
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ