2 町の豊かさとは何か−JUDI関西が見たイタリアの豊かさ 難波 健 KEN NAMBA 兵庫県 |
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■散りばめられた小さな町 イタリアの都市と集落の話は、それぞれ基礎自治体、分離集落と訳されるコムーネとフラツィオーネについて理解することが重要であろう。イタリアには20の州があり、州は県により構成されており、県はコムーネの集まりで、多くのコムーネは複数のフラツィオーネを擁している。コムーネは市町村、フラツィオーネは大字とか町といったイメージである。 ヨーロッパでは、フランスのコミューン、ドイツのゲマインデ、イギリスのパリッシュがコムーネと同じような基礎自治体なのだと思う。日本の市町村は、国の誘導により平成の大合併が行われ、役所の経費節減を旗印に新しい市町に統合されてきたことと比べるとしっかりとした基礎自治体を厳として堅持しているヨーロッパの行政組織が全く異なっていると思われる。 イタリアに限らず、ヨーロッパの道路や鉄道から見える景観の日本との明らかな違いとして、集落と集落の間には建物がないことには容易に気づく。道路に沿ったいわゆるリボン状開発は建築許可では認められないし、住民も望んでいない結果として、農村部の田園と集落のメリハリのある景観が形成されている。その大きな理由の一つがフラツィオーネの成り立ちにあるのではないかと、今回のセミナーに参加して思い至った。 日本の都市部は、線引き制度により市街化区域と市街化調整区域に分けられ、市街化区域は建物で覆い尽くすことになっており、線引きを行わない区域はいわば田園地帯といいながら、そこには農村集落だけでなく、都市的な建物であっても条件さえ許せば自由に建てられる、というのが日本の都市的土地利用制度の現状である。 「行政で機能するのは市町と国で、県は必要ない、早く道州制に移行すべきだ」という論を展開する学者や政治家は多い。市町が住民に身近な存在として有効に機能することについて私は大賛成なのだが、では市町が機能するために国が市町を束ねることがいいのかどうか、しっかりしたコムーネが統治するイタリアの小さなまちに比べ、日本の市町の実力はどれくらいなのだろうか。きめ細かな住民の考えを汲み上げる行政組織としてどのようなものがいいのかをわれわれはしっかり見極めなければならない。 イタリアに8100あるというコムーネは、人口250万人を超えるローマから、最小のコムーネの人口は33人だという。こういったフラツィオーネとコムーネがイタリアの農地と集落の景観をつくっていることをまず認識しなければならない。 意識の高い住民が居住するフラツィオーネは、歴史を踏まえた集落の形成を可能とし、その都市のヒエラルキーが独自の景観をつくり、それが観光にも結びついていると感じる。 ■町のつくられ方 今回のセミナーで、メルカテッロに関わる4人の専門家からレクチャーを受けて、イタリアのまちが何故観光に耐えるのかについて、いくつかの指針を得た。 メルカテッロは2000のイタリアの都市の中で150の観光都市の一つに選ばれたということであったが、その背景にはメルカテッロ独自の取り組みがあり、また国や州、県との確執もあったということである。 コムーネ独自の取り組みとして、旧市街の中心部、周辺、これから開発する区域と計画予定地に分け、集落周辺の農地の保全の方針を明らかにし、旧市街の歴史的価値の継承に積極的に取り組み、歴史的建物を尊重する施策、その結果は観光に行きつく。メルカテッロは住民参加で景観が守られているということであった。 この話を聞かせてくれたダニエル氏はメルカテッロで30年、建築・開発行政を受け持っているということであった。井口邸の改修計画でも、構造はもとより色に至るまで、彼とのコラボレーションがなければ承認されないということである。もちろん、彼の指導、判断に反対する業者はおり、30年の行政生活で15の裁判を受けたが、まだ負けていないと言っていた。裁判には勝てば行政が弁護士費用等を出してくれるが、負けると本人の負担となること、保険金は外科医と同じくらい払っていると言う。日本の行政とのシビアさは比較にならないようである。 給料はどれくらいもらっているかとの問いには、夫婦と子供2人を養うには十分、ただ、ほかの行政でも仕事をして給料をもらっていると言っていた。 コムーネの財源確保のためには民間開発による税収も重要であり、市民の利益を確保する視点での保全と開発のコントラストは、メルカテッロの城壁の外側のイタリアンデザインの住宅地と城壁内の旧市街との対比やカステッロ・デッラ・ピエヴェの城を修復したホテル、レストランといったコンバージョンも行政のP.P.(地区詳細計画)との共同作業によるプロジェクトであるということであった。 ■豊かなまちの顔 今回訪問した都市にはそれぞれ豊かなまちの顔があった。 南部のアルベロベッロは有名なトゥルッリという土筆のようなとんがり屋根の建物が観光資源であるだけでなく、今も現役の農家のとして集落景観のポイントとなっている。 マテーラのサッシという谷間の崖に刻まれた地下住宅は、地下空間の使い方に工夫を加えながら、更に廃墟のリニューアルにより新住民をも受け入れているようであった。 北部イタリア、リビエラのチンクエテッレの5つの地区では、いずれも漁村の断崖を背に建つおそらくは漁師のアパートであった建物がリゾートの拠点に変身してそれらしい景観をつくっていた。 これらの顔は、過去の一時期に形成された遺産を壊すことなく一種のコンバージョンをしながら護ってきた結果であり、地図でみると護られたエリアと新しく拡張されたエリアが明確に示されている、これは上記の3つのエリアに共通した点であった。すなわち旧市街と新市街の対比が都市の豊かさの根本にあるように思われた。 簡単に言えば、古い建物が活かされることにより、新しい建物も生きてくる、これが計画的に行われていることにより、豊かなまちの顔が形成されている。 ■豊かさをつくるために 最後に今回のイタリアセミナーで得た教訓を整理しておきたい。 @ 変わらないことへのこだわり メルカテッロの都市計画の歴史を講演したダニエル氏は市の都市計画を3つの時代に分けて以下のようなコメントをしていた。 1918〜1972 希望の持てない時期:土地利用規制が強化されて、旧市街地を定義し、開発可能なエリアを決めた。 1973〜1995 自覚がない時期:移民が戻ってきて人口が増え、不法建築、開発に対する制度が策定される一方、計画許可が住民に知らされず、住民にフラストレーションが起こる。 (しかし、別の言い方をすれば次の時代のメルカテッロの都市政策は1985〜1995の間にその全てが準備されていた。それはイタリア全土で展開された景観政策と地方分権の進展に歩調をあわせたものであると、井口勝文氏は補足している) 1996〜2009 計画の時期:旧市街地の歴史的価値の継承、農地の保全のルールが確定され、土地利用計画と住民参加による景観保全が軌道に乗りつつある。 ともかく、旧市街地の建物は誰も潰廃することは考えていない。その努力が今、観光として報われてきているという印象であった。 A 変えることの見極め しかし、変わらないだけでは豊かさは得られない。旧市街地のまわりの計画市街地にはイタリアのモダンデザインの住宅地が形成されている。城壁の中と外の違いは歴然としている。一方、井口邸の改修でみられる建物内部の改装は見事に現代的な様相を呈している。窓のサッシやその色、外に面した扉やシャッターについては施主である井口氏とコムーネの建築担当であるダニエル氏との間で議論が戦わされたということであった。 B 社会の仕組み こういった特徴的なまちづくり、すなわちアドリア海沿いに連続して、またチンクエテッレのリゾート地に海水浴あるいは日光浴の客を迎えて開くパラソルの下の客の生活を考えてみる必要がある。 アルベロベッロはわれわれが1泊しただけであったが、ここの料金表示はウイークリーであった。公務員は、年間39日間の休暇の取得が義務づけられているということであった。彼らは休日を、移動型ではなく滞在型で過ごしていることは容易に想像される。 こういった社会構造が特徴ある都市の観光を支えているのである。 C 専門家の努力 メルカテッロで会った都市計画専門家、建築家のガブリエーレ、町おこし協会(プロローコ)のリーノ、行政のダニエル、そして都市計画家で建築家のパウロ・スパーダがうまくコラボレーションしているのだと思う。 とりわけ日本で言えば一地方行政の担当者であるダニエル氏が、幅広く、地域の計画に深い造詣を持っていること、ここが豊かなまちの根本にあるのではないかと、日本の行政担当者として反省しきりのイタリアの印象であった。 |
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