3 イタリアのアグリトゥリズモ
  
3−1 垣間見たイタリアのアグリトゥリズモ(Agriturismo)
          千葉 桂司 KEIJI CHIBA (株)URサポート
 
■その1.「ドイツ人のバイクツーリズモ」
 突然、大爆音と共に十台ぐらいのバイクの集団が、メルカテッロの町の中心広場へ突入してきた(写真1)。アメリカンフットボールのようなガードの上にバイクスーツを着た若者たちだ。ヘルメットを取れば長いブロンド髪の女の子もいる。聞けばドイツ人のグループで、イタリアの田舎町でマウンティンバイク・ツーリングを楽しむ一団であった。泥だらけ、埃まみれのバイクから、かなりの田舎道をツーリングして来たことが分かる。広場は、たちまち休憩で立ち寄った突然の訪問者たちと村人たちとの交流で賑やかになった。
 丁度この時、この町のチェントロストリコ〔歴史的都心〕広場で、我々の昼食会が始まるところであった。広場の端に並べられたテーブルには、たくさんのハムやチーズや料理と共にワインが並ぶ。隅では名物「豚の薄切り」料理が始まり、辺りに香ばしい香りを漂わせる。食べきれない料理に、先ほどのドイツ人ツーリストたちを招くと、ひときわ賑やかな会話が弾んだ。
 多くの旅行者が訪ねるトスカーナの豊かな風景と、村々のアグリトゥリズモは人気が高い。丘の更に向こうにどんな風景が見えるのか、訪ねたくなる気持ちがよく分かる。(写真2)。

○「アグリトゥリズモ」のこと
この言葉は、Agriculture(農業 )と、Turismo(観光)という2つの言葉をつないだ造語である。一般には「農場が営むツーリストのための滞在施設」を指し、農家で採れた農産物などをゲストに供する、あるいは「都市と農村の交流」などとある。そこに共通するのは、都会の人たちの自然や農村への憧れと、農村の経済的安定やスローな生活文化との触れ合いの双方が期待されている。とはいえ、そこは日本人の旅のスタイルと大きな差があるようだ。欧米人には長期型・滞在型が多いのに比べて、日本ではまだまだ短期型・周遊型が中心である。農村や農家でのこうした観光への取組みや、施設整備も大きく遅れてもいる。そろそろ日本人の旅のスタイルも変わっていい頃かもしれない。
 
写真1 写真2
 
■その2.「修復されたカントリーハウスでのフルコース」
 都市国家の歴史をもつイタリアの田舎を行けば、遠くの丘や山のてっぺんに城壁や塔の建つ小さな集落が幾つも目に入る。さて、メルカテッロから西へ約2Km、我々はそんな風景の中にある村を訪ねた。村の名はカステッロ・デッラ・ピェーヴェ(写真3)。街道から外れた丘の上にぽつんと、その村は見えた。なんとそこでの昼食は、創作イタリアンのフルコースと聞いて驚いた。廃村になっていた数軒の集落を修復し、ホテル・レストランとして再生。他には小さな塔のある教会だけ。食事は民家の庭先に日よけテントを張った席でいただく。しかしそこからぐるりと見渡せる周囲は絶景である。地の野菜や肉などの食材を使った美味しい料理が次々と出てくる。地元のワインを飲み、前菜からメインディッシュまで賑やかな食事は続いた(写真4)。時間は只々たゆたうだけだ。
 さて、これにはオマケがついた。仲間の1人、学生のM君が料理の1つにアレルギーを起こし突然倒れてしまった。こんな田舎で救急車が来てくれるかと大騒ぎになったが、レストランのオーナーが親戚の医者を呼んでくれた。なんと驚いたことに、来てくれた医者は、つい先ほどメルカテッロで訪ねた領主の館(Palazzo Ducale)のご主人だったのだ!この方のおかげで、M君は事なきを得たのはもちろんである。イタリアは広いが世間は狭い。治療費も受け取らないドクターのおかげで、我々は既に陽が傾きかけた時間の経過も忘れて、気持ちのよい田舎の食事と空気と、そして人情をもらった1日であった。

○「カントリーハウス」とは
この集落の入り口には「カントリーハウス」の標識(写真5)が掲げられていた。これはアグリトゥリズモの宿泊施設とすることを前提に、田舎の家屋を改修する融資や助成を、州や町から受けた施設であることを表す公認標識である。
  
写真3 写真4
 
■その3.「オレンジの旗」の誇り
 メルカテッロの役場で、我々は町の歴史や都市計画、プロジェクト開発などについて興味深い講義を受けたが、この築後数百年の役場の入り口に、目立たない小さな旗のマークが貼られていた(写真6)。これは「オレンジの旗」と呼ばれ、「ツーリングクラブ・イタリアーノ」(イタリア旅行協会と訳される*)が選んだ「イタリアの山間地にある豊かで小さな町」の認定マークである。全国約2000の地方小都市から145の都市が選ばれ、メルカテッロは2002年に選ばれた(2009年の資料によれば現在160都市)。基準は人口5000人以下、歴史的資源と生活文化を守ってきた小都市を表彰するもので、ゴミに関するエコロジーへの取り組みも評価基準の中にある。これをクラブが3年毎に審査し決定する。メルカテッロの誇りである。
 *「ツーリングクラブ・イタリアーノ」(TCI)は、自転車旅行の愛好家によって1894年ミラノで設立。歴史と権威のある独立非営利法人で会員は50万人。旅行文化の普及と振興を図ることを目的に、旅行代理・施設経営・出版などの事業を展開する。

○プロローコ」(Pro-Loco)のこと
 上記TCIの小都市の紹介誌には、その都市毎の観光案内センターとして「プロローコ」の名が出てくる。我々も町の案内にはプロローコのお世話になった。この観光情報の提供や旅行案内センターの役割を担う団体は、イタリアで約40年前から始まったボランティア組織である。都市毎に独立し、日本で言えば特定都市のNPOまちづくり団体である。歴史的文化財などの資源保護や推進、あるいは音楽コンサートや展覧会・祭りなどのイベントも開催する。
 活動は行政と教会そしてプロローコの3者が協力し、地元を巻き込んで行われる。運営資金は町からの補助金や寄付と、メンバー(の専門家)の出版事業など自ら稼ぐ資金で運営されている。ちなみにメルカテッロのプロローコの代表者は町の文房具屋さんであった。
 
写真5 写真6
 
■その4.「B&B」のもてなし
 人口1500人の町に、10年前は1軒だった宿泊施設が今10軒ぐらいに増えたそうだ。「オレンジの旗」のせいか、近年村を訪れる旅行者は増えているそうである。我々の泊まった小さなB&B“ソッコルソ”は、メルカテッロの町はずれを流れる小川のほとりにあった。B&Bの朝食は、広い庭の藤棚の下にテーブルをしつらえ、お手製のパンやケーキにジャム、それにチーズやハム、果物が盛られている(写真7)。気さくなオーナー夫婦のもてなしを受ける。清々しい朝の空気のなか、とてもアットホームな気分でカプチーノを飲みながら会話が弾んだ。その夜は井口邸に村の人達を招いてパーティー(写真8)を開き、その中で催した日本式「お茶会」では70人以上の町の人たちに和菓子と抹茶を体験してもらった。(写真9)
 田園のスローな時間に身を置いて、町の人たちの暮らしを垣間見、時に一緒に楽しむ、こうしたアグリトゥリズモの旅は、至福のライフスタイルかもしれない。

○この3つ、何処がちがう?
「アグリトゥリズモ」「カントリーハウス」そして「B&B」とは、井口氏から入手した10軒の宿泊施設一覧表に記された3つのタイプ分類である。「アグリトゥリズモ」タイプが6軒、「カントリーハウス」タイプが2軒、そして「B&Bその他」タイプが2軒。聞くところによれば、@お百姓が農家の副業として農家民宿するのがアグリトゥリズモ、A田舎だけど農家ではない民家を修復したのがカントリーハウス(食事なし?)、そしてB田舎でも農家でもない民宿がB&Bだとか。さて泊まる我々からすれば料金は別として、何処も快適さに変わりはないと思えるのだが・・・。
写真7 写真8
写真9 写真10

■その5.「ポッピのワイン祭り」
 いよいよメルカテッロを去る日の朝、8時半に村の入り口に集合した我々は予約したバスを待った。しかし待てど暮らせどバスは来ない。やっと連絡の取れた運転手はまだ家にいた!ここから2時間はかかる街から来るというから驚きだ。しかし「これがイタリアだ〜」とか。いつ来るとも分からないバスを、爽やかな木陰のカフェで待つこの時間が、不思議と気持ちいいのはなぜだろう。去りがたいメルカテッロへの思いからか、或いは諦めて待つ我々の体の中に、はやイタリアの時間が流れていたせいだろうか。
 お昼前にやっと着いたバスに乗り込み、ミケランジェロの生家のあるカプレージェ・ミケランジェロ村に立ち寄り、イタリアの高野山といわれるサンフランチェスカ修道院を経由した後、我々は目的地のポッピに着いた。丘の上の城壁に囲まれた旧市街にあるホテルへの道は、祭りのため既に車は進入禁止となっていた。
 この町で年に1度の銘醸ワイン試飲の夕べ「ワイン祭り」が、今夜開かれるのだ。始まるのはなんと夜9時から。我々はホテルでフルコースの夕食もほどほどに街に繰り出した。チェントロストリコの広場と1本しかないメインストリートには、花で飾られたワイン樽や荷車が置かれ、テーブルは既にすごい人で埋まる(写真10)。こんな村でも通りに面した連続する家々の1階は全てポルティコが連続し、奥はお店になっていた。近郊で製造されたワインが所狭しと並べられ、チーズやハムやら農産物が売られる。11ユーロ払うとワイングラスと首から吊るす袋をくれる。それにグラスを入れてぶらさげ、16箇所ある銘柄別ワイン売りの店から、気に行ったワインを4回利き酒できる仕組みになっている。
 観光として売り物にしている風もなく、ただそこに暮らす人々の楽しみと、近郊の人々との賑やかな触れ合いが夜中いつまでも続く。美味しいワインを味わい、ほのかな酔いと街の喧騒が心地いい。小さなイタリアの田舎に暮らす人々の、明朗で豊かな暮らしの一端を垣間見た1夜であった。
 

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