4−4 マテーラMatera  よみがえる洞窟住居都市
          小林 郁雄 IKUO KOBAYASHI 神戸山手大学
 
 イタリア南部、長靴の土踏まずのあたりにバシリカータ州マテーラはある。古くからグラヴィーナ渓谷の荒涼としたカルスト地形の谷間に、7000年前の新石器時代から洞窟住居(サッシ)がつくられ、特に8世紀頃から迫害を受けてギリシャから移住した多くの修道士が住み着き、100以上もの洞窟教会もつくられていたという。13世紀に丘の上に大聖堂(ドゥオモ)が建設され、街の最盛期の15世紀には3300あまりの住居に2万人の人が住んでいた。
 しかし、時代を経て20世紀には洞窟住居都市は巨大なスラムと化し「イタリアの恥」と言われるまでになり、洞窟住居は赤痢などの疫病の温床と劣悪な居住環境から、全住民強制退去が1952年にイタリア政府によって進められ、新しい住居としてマテーラ郊外にニュータウンが建設された。(2009年3月29日放送のMBS毎日TV「The世界遺産」を参照した)

 今回の旅行では、主目的のメルカテッロのセミナーに集結する前に、南北両コースにわかれてイタリアを訪ねたのだが、アルベロベッロと共にこのマテーラが南コースの目的地であった。
 半世紀前に廃墟となった洞窟都市マテーラが、1993年世界遺産に登録されるに至った訳なのだが、それは今どのような状況なのか?
 丘の上の「市民の街」の広場から階段を下りていくと、斜面にへばりつく家々が重なっている。それぞれが洞窟住居で、その多くはホテルになっているようで、レストランなどもみられる。谷を挟んでかつて住んでいたであろう多くの穴居跡が今も遠望できる。
 一度は無人の街となったサッシは昔の洞窟をリニューアルして、新しい住居、観光施設として生まれ変わりつつあった。そこには昔からの小さなコミュニティを基本にしたニュータウンには無い暖かな生活を取り戻した新住民と観光客の融合した街がよみがえっていた。
 

市民の街から洞窟都市へ降りていく

洞窟住居(サッシ)都市マテーラの全景

観光都市マテーラ(右下がレストラン)

丘の上の市民の街のドゥオモ前広場

 

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