一番最初にしたことは、60ワットのボールランプを自分で抱えて絵にして事務所開設の案内を皆さんに送ったことです。当時はパソコンで絵を描くということもまだ普及していなかったので、一生懸命作った覚えがあります。
照明をやる上でとても重要だと思っていたのが、「時間・空間・情緒」です。空間というのは物理的な条件で、場合によっては100%それで完了するように思いがちですが、それに時間という概念が入ることによって初めて情緒的になりうるのではないか。そんなことを考えておりました。
1994年にスタートした当時、私は最初京都で仕事をしていました。その時京都では「遷都1200年」のイベントが動き出し、いくつかの寺院がライトアップして夜間拝観を始めていました。それが始まる2年ぐらい前から私は京都に来ていましたが、その頃は行政と観光資源を所有している寺社仏閣の中が良くなくて、例えば京都ホテルに泊まっている人は拝観お断りなんていうことが言われていて、なぜ仲良くできないんだろうということを考えていました。
開発というベクトルと保存というベクトルがうまく交わらないということが背景にあったのですが、そこで私は時間という概念を用いてみたらどうだろうと思ったのです。昼間は近代的な都市景観と機能性を見せ、夜はスイッチを切り替えて全く同じロケーションながら違う景観を見せる。そのことで我われの価値観も大きく変えられるんじゃないか、光しか京都の文化を保全するすべはないということを訴えておりました。
では、その言葉をいくつかのプロジェクトの中でどう実現していったかをご紹介していきます。 京都での仕事
■1994年スタート
ちょうど15年前といいますと、日本のバブルがはじけた直後といった時期です。こんなタイミングでよく独立するなと言われましたが、現在ももっと厳しい状況の中、「15年前の仕事がないときに、何を考えていたんだろう」と振り返ってみました。
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ご存知の通り京都の清水寺は、建物の雄大さで有名です。特に大きな屋根は歌にも詠まれていますが、それをどう見せるかが問題でした。屋根に照明を当ててくれと散々言われたんですが、清水寺は大きな渓谷の中腹に位置している寺ですから、寺の前には地面がなくてなかなか照明も付けられないという事情もあり、私はあえて借景を照らすことで屋根の姿を印象づけるという方法をとりました。
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この借景に光を当てるという使い方は、その後いくつかの寺院を手がける上で私にとっては大きな経験になりました。 寺社仏閣のライトアップでは、過去の建築物がどう光るかということを求められるものですが、銀閣寺は月待ち山という名前の築山があるように月明かりで見るためのお庭で、どちらかというと東山の一角にひっそりと庵を結んだという印象の寺です。 我われが人工照明という技術を持ち込んだとき、銀閣自体を光らせる以外の見せ方もあるだろうと考えたりしました。また、銀閣は国宝ですので、電気配線が中に取り込めないのです。写真の火灯窓は光ファイバーで光らせているのですが、それは建物が表現する夜の姿は「人の気配」をそこに入れることになるだろうと考えたのです。ですから、外から建物に光を当てるのではなくて、内側から光を灯したのが我われの表現方法です。
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銀閣寺では非常に貴重な経験もしました。この香炉行灯をデザインするにあたっては、京都の老舗を回って「ぜひこのイベントに協力していただきたい」と説得して回りました。この香炉行灯は本来は中に置くもので、庫裡の前に置くやり方は邪道かもしれませんが、空間に香りを入れたいということで説得しました。最初は苦々しい顔で話を聞いていた老舗の社長も、そのうち「やってみましょう」と言って下さいまして、社長自ら焼き物の壷をお持ち下さいました。それは高価な伽羅のお香がふんだんに使われたもので、価格では図ることもできない練り香をたくさんご寄贈いただきました。 この行灯にはハロゲンライトを使っています。香炉の熱のための照明につかっていまして、2回反射した光が表に出てくる原理になっています。
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青蓮院門跡大楠 |
ここで樹齢八百年の大楠のライトアップをする時も、先ほどの借景の手法と同じ考え方を採用しました。実はここでも樹木そのものを照らしてくれと言われて何回か実験してみたのですが、常緑の楠はボリュームがありすぎてなかなか綺麗に見えないんです。ですから大きな幹の裏側に光を配置して、そこで幹の形が浮かび上がるようにしました。昼間の大楠が大きくゆったりと枝を伸ばしているイメージとは全く違う形になっています。まるで樹木が歯を食いしばって空気と対峙しているような緊張感が浮き彫りになっているようで、そういう姿も見ていただきたいと思ってライティングしております。
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これは1996年に1回だけ行われた夜間拝観です。その時はあまりにも人が来すぎて狭い住宅地が混乱してしまい、金閣寺はその後周辺住民との間で「もう二度としない」と取り決めてしまいました。 参道のライトアップでは、露地行灯が宙に浮かんでいるイメージにしました。なぜわざわざ宙に浮かせたかというと、我われはよくプレゼンで「光がお客様を待つように」と言いますが、それを機械的な設備が光っているように見えては「待つ光景」には見えない。しかし、高さの工夫をすると、そこに違う気配が出てくるんです。金閣寺の参道ではその明かりを「手燭」の高さにしてみたいと思って作りました。門を入って参道を見たとき、明かりの向こうに人が待っている感じが出ればいいと思って、高さを決めました。
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金閣寺 |
金閣寺は本当はこんな風に閣の中に入らないと分からない美しさというのがいっぱいあるところで、お庭も回遊式庭園と言われていますが、一番美しい姿は閣から見た姿なんです。我われは金閣の中にそれだけの労力が注がれているところに、日本的なエネルギーを感じました。
ところで、金閣寺をライトアップすると言えば、大抵の人は金閣そのものがぽっかり美しくライトアップされるということを期待するのですが、我われはその期待を裏切って、金閣をシルエットにして庭を浮かび上がらせるという手法を取りました。正直に言うと一般のお客さんは「あ、金閣が消えた、もう終わったんだ」と言って帰っていったので、私はこれが人を感動させる手法だったとは言えません。しかし、京都のお庭の素晴らしさは山を借景にしていることだと考えましたし、我われのコンセプトとしてはそのお庭の美しさを浮かび上がらせることでした。
山にものすごい数の投光器を置きました。ですから鹿苑寺の執事長との間で「いったい何をやってるんだ、早く金閣を照らせ」と散々ケンカをしてしまう修羅場もあったのですが、我われとしてはどうしても金閣をシルエットにして庭を浮かび上がらせたかったのです。今でも思い出深い仕事です。