2人のデザイナーが語る「街のあかり」
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質疑応答

 

 

■照明デザイナーを始めたきっかけは?

赤羽(メーカー)

 今でこそ照明デザイナーとして活躍されている人はたくさんおられますが、内原さんがお始めになったころはまだまだ創成期の頃だったと思います。内原さんが照明デザイナーを始めようと思われたきっかけがございましたら教えてください。

内原

 ご存知かと思いますが、私は石井幹子さんの事務所におりまして、学生の頃から石井さんや永原さん、そして東宮さんなど日本に3人いる照明デザイナーのことは認識していました。1980年代から90年代に石井事務所に10年間いた頃は、本当にたくさんのプロジェクトがありました。私はいわばそうした諸先輩が切り開いた轍の上を歩いたと思っています。

 ですから、決して私は開拓者ではなく、もともと社会的に立派な照明デザイナーの先人がいた所から出発しているのです。ただし、この15年間の歩みは、けっして安易ではなかったなと振り返ることはあります。

 あかりは時間と情緒からどうしても離れられない所があります。私が京都生まれということもあってか、今の世の中の流れに何か感覚的に釈然としないということもいっぱいあるのですが、どうもそれが光の領域にぴったり当てはまったという思いが強く、それでなんとか今日まで仕事をやってこれたかなというところです。


■仕事における普遍的なものは?

高原(HTAデザイン)

 私が独立前に所属していた事務所で、いくつか、内原さんのデザインプロセスを近くで見せていただき、感動しました。私たち建築の分野でもそうなんですが、デザイナーという人間はクライアントや社会からすぐに効果を求められると思うんです。特に、イルミネーションや照明デザインということになりますと、出来たものに対して「人が集まる」「コストが安い」などいろんな意味で目に見える成果を求められて、それに向けてデザインしていくことがあろうかと思います。

 手法としてはいろんなものをいっぱい持っておられるでしょうが、どんなプロジェクトでも変わらないものを自分の中にもってないと、都市から住宅、神社にいたるまでの仕事はなかなか出来ないのではないかと拝察いたしました。そうした普遍的なものがあれば説明していただけないでしょうか。自分としても参考にしたいと思います。

内原

 デザインの最大の魅力というのは1人の人間が考えることで、それが小さな提案でも、社会的な一貫性に変貌する可能性を持っています。ただし、我われがデザインの仕事を受けた時点で、委託者の意向がありますから、なかなか我われの思いを通せないことはたくさんあります。私も自分の思うとおりにやれている仕事の方が少ないのです。今日ご説明した仕事でも、実際の成果よりも自分の考えていることの方をいっぱいしゃべってしまいました。

 実は芝浦では色温度がバラバラになり始めていますし、表参道でもランプが切れ始めているということもちゃんと正確に話さないといけないとおもっているのですが、やはり自分の意向を分かってもらうためにはとても時間がかかるということがあります。これは建築でも同じかもしれませんが、毎回同じようなことを繰り返すようでも、やはりそこでぶれてはいけないという思いはすごく強くあります。

 ですから、明るさだけを求められているのに十分な明るさを提供しない理由は何かというところなんかは、問いつめられて「ハイ、ごめんなさい」と転んでしまうか、あるいはぎりぎりまで踏ん張っていけるかということだと思います。例えば、750ルクスを求められてそれを749ルクスで止めていれば、それは喝采できることだと言いたいですね。しかしそれは検査では通らないわけです。でも、750ぎりぎりになっているということは相当良いプランだと言いたいのですよ。そこをめげないで主張する。それが本当に重要なことだと思っています。

 質問の答えになっていませんけれど、やはりデザイナーという人間は1人で頑張って立って、いろんな体制でも屈しないでいかないといけない。それはいつも強く感じています。


■なぜクライアントの意図とは違う仕事内容になるのか

難波(兵庫県)

 お話をうかがっていると、仕事を受注してからクライアントの思っていることや最初の依頼とかなり違う仕事の展開をされているという気がしました。クライアントの意図していないような仕事をする内原さんになぜ発注が来るのか、その仕組みを教えてください。

内原

 今日私が話した内容は、仕事についての説明というより、私の思いを語るという部分が濃くなってしまいました。このご質問に対してはどう申し上げていいやら…。

 仕事の委託を受ける場合は、プランの前にデザイナーへの相談として依頼を受ける場合も多いんじゃないでしょうか。つまり、お互いふわふわとして実態が見えない中で、クライアントとコミュニケーションをとるうちにいろんなことが見えてくる。我われはその時に、光は明るいだけでなく、いろんなグラデーションがあるものでいろんな魅力的な表現ができるということを説明していくんですね。そうすると「ああそうか、明るいのがいいと思っていたけれど、こういうやり方もあるんだ」とクライアントの思いが変わっていくこともあるんです。

 私の説明は不備なことも多いですが、クライアントの最初の意図とは正反対の所に落ち着くことも多いです。今日の私の話は、そこをさらに大げさに言ってしまったという点ではお詫び申し上げます。


■それぞれの照明基準の違いをどう乗り越えるべきか

岸田(竹中工務店)

 まず長町さんにお礼申し上げます。当社の建物を格好良くライトアップしていただきありがとうございました。「竹中のライトアップはなかなか良いね。さすが竹中やねえ」と社外の人からよくお誉めいただいているんです。

 ところで、内原さんに質問があります。私が今日の話で一番関心を持ったのは芝浦の例です。今大阪でも「光のまちづくり」を合い言葉にいろんな所でライトアップが行われているのですが、実際の問題として歩道や道路、橋、公園などにはそれぞれの照明基準があって、水辺のライトアップと銘打って橋をライトアップしても、一方で橋の上の道路照明が煌々と照らしていて、ライトアップの効果を減じてしまうということが起こってしまいます。それは官の方で調整していかねばならない事ですが、やはり現場ではそれぞれが自分の基準でやってしまうのでうまくいかないというのが現状です。これは内原さんにうかがっても答が出ないことかもしれませんが、こうした現場へのアドバイスはございますか。

内原

 開発事業に関わって良く分かるのは、水際、道路、公園と全部担当も違えば管理も変わってくるということです。それを同じタイミングで何かやってくださいと言っても、全然無理で、ひとつ動かそうとすれば年度が代わるぐらい時間がかかります。まず設計側としてはそういう官に対応していかねばなりません。とてもコンセプトが良くて知事あたりが動き出しても、担当の管理官が首を縦に振らないと実行できないという現実があります。たぶんそういうことが全部組み合わさらないといけないんだろうなと思います。

 芝浦の例で見ると、とりあえず竣工に当たっていろんなことがチャレンジされて成功しているのは、やはり事業者のパワーがあったということがひとつ上げられますね。私は事業者とつき合ってみて、やはり事業に携わる担当者の強い意志がとても大事だと感じました。

 また、それと同時に大きな流れと小さな流れをうまく噛み合わせることを考えないといけないと思います。小さな流れとは各々の管理者の合理性や機能性の要望にも細かく対応していくことです。光源の色温度は合理性と機能性も満たして、さらに選択肢として選んだ仕様だと考えています。例えば芝浦では、東京都のウォーターフロント再生という大きな軸の中に事業者が参加して、管理側もその目的に向かって、段々流れが変わっていくという感じでした。それについてはデザイナーの出る幕というよりも、そういう形のタイミングと人の意志が合わさったのだろうと思います。


■街における主役と脇役

岸田

 もうひとつ伺いたいことなのですが、ライトアップする上では建物に主役と脇役が出てくると思うんです。暗い部分があってこそ、ライトアップされた対象が引き立ちます。京都の寺院などは主役が明確でわかりやすいですが、まちなかではそうではありません。どの建物もどんどんライトアップするようになると街全体が道頓堀のような状態になってしまうんじゃないかとも考えてしまいます。まちなかをライトアップする時の主役、脇役を決めるときにはどうすればいいか。その辺ご意見うかがえればと思います。

内原

 主役と脇役について、ひとつお話ししとこうと思います。オランダではずいぶん前から観光政策の一環として夜間の都市景観に力を入れていますが、ライトアップについてはどの建物をメインにしていくかで賛否を市民に問うというやり方をとっています。私がその議論でいいなと思うのは、「この建物がいい」ということはオーナーが発言するのではなく一般の市民から出てくるということです。やはり都市景観は市民の財産なのだから、この建物がいいと一般の市民が言える感覚というのは素晴らしいと思います。

 今回長町さんがされたような大きなイベントの場合は、専門家だけでなく一般からの意見も出していただきたいし、それをデザイナーが汲み上げてクリエイティブな動きに収斂していくということが同時に起こるべきだと私は思います。ですから、どちらが主か従かというのは、むしろその都度入れ替わる可能性があるもので、普遍的なものではないと考えています。都市空間の中では昼間主役に見えた建物が、夜はその座を明け渡すというのも魅力のあることです。

 私が今回言いたかったことは、どうやって地域的なもの、個人的な意見をシステムとして取り入れられるかという点において、クリエイターも行政も共有するべきだと思っていますけれど。


■グリーンベルトのLED盗難対策

櫻井(日建技術コンサルタント)

 長町さんにうかがいます。グリーンベルトの光の敷き方は、植栽を傷めないようにふわっと置いたとおっしゃいましたが、それでは盗難の不安があるのではないかと思いました。そこで何か工夫されたことがあれば教えてください。

長町

 盗難対策については、私たちも議論はいたしました。しかし、御堂筋のイルミネーション全体に対して毎日警備がされていたこともあって、グリーンベルトに対しては特に対策をとりませんでした。今のところ大丈夫なようです。人混みがあれば大丈夫ということなのかなあと思います。


■まとめ&感想

鳴海邦碩

 もっとお二方に聞きたいことはいろいろとおありかと思いますが、そろそろ時間ですので、最後に私の感想を述べて今日のセミナーを終わりたいと思います。

 「闇を照らす光」というなかなか面白い本があります。私たちが電気の光を手にしてから百年ぐらいしか経ってないのですけれど、それ以前とそれ以降の人間の感覚の違いを描いた本です。電気が一般化する以前、夜の外を照らすものと言えばお祭りの日ぐらいしかなかったのですね。そういう闇の中に電気の光が出現して以来、商店街が盛り場化したということが都市の発展の歴史の中にあります。夜の盛り場に人々が慣れてしまったという歴史から、今はまた商店街が衰退しつつあるわけですが。

 今日のお二方の作品とお考えを聞いていると、今度は光の新しい時代、夜の都市の次の時代が来ているのかなという気がして、なかなか面白く感じました。お二方ともビルを照らすという単純なものではなく、夜の光で新しい存在を訴えたいという気持ちをお持ちですよね。それは当たり前の事なんだけど、自分とこだけ照らしたいお施主さんにとってはあまり望んでないことなんです。しかし、お二人の光に対する思い、環境にとって大事ないろんなものにもう一度光を当ててみんなに見せてあげたいという思いが伝わってきました。私たちは、夜になると環境の違う側面に気がついて感動するということが今日のお話でとても良く分かりました。

 これから、夜の景観はアーバンデザインのひとつのジャンルというだけでなく、ひとつの都市文化として定着していくのではないかと思いました。今日おいでの若い方々も、そうした観点から研究されたり、いろんな可能性について提案されることもこれから意味のあることではないかと思います。

 個人的には、京都青蓮院の楠の木を照らすというのはすごいなあと思いまして、ぜひ一度見に行きたいと思っています。

 今日は、とても素晴らしいプレゼンテーションをしていただいた内原さん、長町さんどうもありがとうございました。

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