今日は「伝建地区まちづくりの新段階」をテーマに増井正哉先生にお話し頂きます。増井先生のプロフィールを簡単に紹介しますと、京都大学工学部で助手を務められた後、奈良女子大に移られ、その後はずっと歴史的な環境や伝統的な集落の研究をされておられます。
パキスタンやインドの遺跡調査にも参加されています。以前うかがったお話では、イランやイラクの仏教遺跡によく似た場所【←?】だそうです。
今日のお話は、先生が日頃関わっておられる伝建地区のまちづくりについて、いくつか事例を交えながら、これからの伝建地区はどうあるべきかについてお話し頂く予定です。
それでは早速宜しくお願いいたします。
今日は多方面からいろんな方に来ていただいて恐縮です。伝建制度はまちづくりのツールなのか、議論になっていますが、私としてはちゃんと機能を果たしていると考えています。しかし、それがいいツールになっている、使いやすいツールなのかについては、考えていかなければならないことは確かだと思います。
伝建制度は成立してから30年以上経っています。制度としてはかなり成熟してきたと思います。ただ、その問題点が顕在化してきているのも事実です。例えば制度ができてからまだ間もない文化的景観と比較すると、地域でコアになってやっている行政の方や地域のオピニオンリーダーの方とお話をしていると、未成熟な制度でも段々整備していけばいいという中央行政的な考え方と、その中で生活している地域の人にとっては未成熟な制度のままではたまらないという食い違いがあったりします。その点、伝建制度の方は枠組みがはっきりしていて、良い意味でも悪い意味でもルーチンで仕事が行われているような気がします。
私は1979年、学部の4回生の時、初めて京都鞍馬の伝建地区の調査に参加しました。その時の担当者が、京都市は苅谷勇雅(現・小山高専校長)さんで、京都府は益田兼房(現・立命館大学教授)さんでした。私の先輩の山崎正史さん(同)が実測の指導をしてくださいました。そのとき、実測図を書いた民家が、今、重要文化財となっている滝沢家住宅です。
その後も、上賀茂・伏見・坂本・近江八幡・白杵・平福・美山北、南、下平屋地区と、調査をしたところで、伝建地区になった所があります。これらの調査は京都大学のスタッフとして関わりました。伏見は学生のM1の時と3年前の2回調査に入っています。
1994年からは現在の職場である奈良女子大に行ってからの調査です。個人的にはかなりの確率で、関わった所が伝建地区になっています。これは幸せなことで、調査した地区がじっさいに保存地区となって建物が修復されていくのを見るのは、工学出身の者として調査が世の中の役に立ったんだなという実感がわきます。
私の仕事
■講師紹介
鳴海:
■簡単な自己紹介
増井正哉:
1979〜
鞍馬・上賀茂・伏見・坂本・近江八幡(トヨタ財団)・
臼杵(トラスト調査)・平福(トラスト調査→伝建対策)・
美山北、南、下平屋
1994〜
醒ヶ井・五個荘金堂・大宇陀松山・東祖谷落合・伏見・
今井(見直し)
私はいろんな伝建地区に関わってきました。そのあたりのことについて聞いていただきながら、現状と課題を共有していただきたいと思います。
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