伝建地区まちづくりの新段階―その現状と課題
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祭りと町並み

 

■長野県奈良井での祭りとの出会い

 ここでは私は建物ではなく、祭りの調査をずっとやっていました。伝統的な家の意匠、町並み、通りと家の関係を見ると、軒や室内がとても上手に祭りに取り入れられているんです。それに興味があって祭りの調査をはじめました。

 調査のなかで、奈良井における町並み保存は、修理・修景事業がけっこう関係しているということが分かりました。要点だけ申しますと、奈良井では伝建地区になったが故に伝統的なデザインがだんだん無くなっているという実態があります。

 奈良井で使われているガイドラインの中に「格子」というのがあります。実はこのデザインは伝建選定の時にはほとんど見られなかったのに、伝建地区になってからは、これがものすごく増えているのです。伝建以前は、摺り上げの板戸が主流だったんです。重伝建選定以降に伝統とは関係のないデザインになっていることが調査で分かって、これは困ったことになったと思ったんです(牛谷直子・増井・上野邦一「重要伝統的建造物群保存地区における現状変更に伴う景観変容に関する研究−楢川村奈良井重要伝統的建造物群保存地区を事例として−」『日本建築学会計画系論文集582号』2004.9)。町並みの中で、新築の修景事業をするとき、どんなデザインをしていくかはすごく大きな課題です。


■大津の事例

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大津の町家と祭り
 
 大津の場合は明らかに町家のデザインと祭りが関係あると思いました。ここの町家はとても大きな窓や2階の作り方に特徴があって、2階は通り側に床の間があったりします。これは祭りの影響を受けた形だろうと思います。

 大阪教育大学・碓田智子先生によると、富山県城端では、祭りのしつらえをするために、一時的に押し入れを取り払ったり、敷居を外したりできるような仕掛けが町家に仕込んであるということです(碓田智子・岩間香・増井・谷直樹・中嶋節子「町家と町並みの変容が祭礼住文化に与える影響−城端曳山祭の空間演出に関する調査研究−」『日本建築学会・住宅系論文集 4号』2009.10)。

町家には、いろんな仕掛けがあって、祭りのためのしつらえが映えるようになっている場合あるわけです。


■滋賀県日野町

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大津日野における新しい傾向(2009年調査から)
 
 通りに面しているところに不思議な窓が開いています。見ただけでは何のための機能か分からない不思議な空間演出です。何のためかというと、5月3日のただ一日のお祭りのしつらえをするためだけに、わざわざ作られたものなのです。民家の様式にも祭りのしつらえが影響している典型的な例だと思います。


■再び、長野県奈良井について

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奈良井の祭礼空間
 
 奈良井は中山道に面している宿場のなかでは町家がよく残っている地域です。中山道は祭礼時に象屋台が通る町並みと獅子屋台が通る町並みがありますが、奈良井は獅子屋台が通る宿場町です。御神輿・神馬・獅子屋台家の前を通るときは、通りに面した窓を全部開放し、お迎えするのが近世からつづく習わしです。

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奈良井の祭礼空間の構造
 
 大津でも祭りのために2階にこういうしつらえをしている家が15〜20%ぐらいあります。日野でも1割ぐらいあったと思います。ただ、奈良井の場合は9割以上で、こういう祭りのためのしつらえがされていて、その比率の高さが分かります。

 
奈良井では全部のお家の図面をとり、研究にまとめました。(増井「町家のしつらい」西岡陽子・岩間香編『祭りのしつらい−町家と町並み』思文閣出版 2008.2)。


■奈良井では通り側第一室を保全

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祭礼空間の変化
 
 奈良井伝建地区では、よそと違って外観のみを保全するのではなく「通り側第一室を保全する」ことになっています。つまり、壁一枚を残すやり方ではなく、通りから入った一室分を保存するのです。こうしないと、通りと中の空間の関係性が維持できなくて、町並みが保全できなくなるからです。

 近代以降の日本の住宅の外観はどんどん閉鎖的になっていきました。現代においてもそうです。こうした考えがないと、内部を改修するときに、どうしても各室が閉鎖的になりがちで、じっさい、そういう傾向が見られる伝建地区もあります。

ただ、奈良井の場合は、通り側第一室を閉鎖的にするという考えは当初からなかったのです。伝建の調査のときアンケートしてみると、住民の皆さんに「祭りの時に通り側第一室をこういうふうに使うから従来の間取りにする」という考えがコモンセンスとしてありました。


■薮原の場合

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薮原宿の祭礼空間
 
 ところが、奈良井のすぐ近くにある薮原という町は残り方が違いました。薮原は奈良井よりも大きな町だったのですが、30年前、すでにどんどん通りが閉鎖的になっていっていました。昔の絵図で見ると間取りは奈良井とまったく同じで、祭りの時は通りに面した一室を開放していたのです。しかし、町家の改修が進むにつれ、祭りの方もどんどん衰退していくことになったのです。

 祭礼と町並み空間にはとても大きな関係性があって、やはり町並みを保全するには制度的な保全だけではなくて、空間的な活用を考えないと、なかなか建物としても残らないということが分かります。


■倉敷の場合

 倉敷の屏風祭です。いま、このように、各地で旧家の家宝を飾るという空間利用が注目されていますが、これは伝統的なことではないのです。戦前にはあったらしいのですが一度廃れた行事を復活させたり、新しく作り出している例が各地で見られます(碓田智子・西岡陽子・岩間香・増井「祭礼住文化の継承の視点からみた住まいとまちづくりに関する研究」『住宅総合研究財団研究論文集 33号』2007.3)。

 こういう空間演出は新しい町並みの価値観の再発見にもなりますし、自分の家や通りを眺めてみて、なかなか良いなと再認識させるきっかけになっていると思います。

 ですから、町並み保存を考えるとき、契機、家や通りを何かに使うということがすごく大事だと考えます。ただ、現在では通りと家の関係性という点では、日常的な活用との関係性が見いだしにくい場合も少なくありません。そういうときに、祭りなどの非日常的な演出が継承されていると、町並み保存のきっかけ契機として有効な手段になるのではないかと思っています。

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2009年大津・日野
 
 これは2009年、大津と日野で撮った写真です。昔の大津と日野の町並みを知らないと、なぜこの写真が面白いのか今ひとつ分からないでしょうが、本来は祭りの時に町家の2階の窓から建具をはずして緋毛氈をたらすのが伝統的なしつらえでした。ところが家が建て変わる時にそれがどんどん変形していって、最初から2階にしつらえの窓を付けているお家が着実に増えています。

 日野の場合は、新築で塀に窓を付ける「桟敷窓」の家が増えています。

 共通しているのは、お祭りの時にしつらえとして使う空間だということです。大津の場合はまだ町並み景観の形成には結びつきませんが、日野では家の前に駐車スペースを作るために外した塀を、「やはり、祭りの時には伝統的なしつらいをしたい」と、また桟敷窓が明いた塀に作るという例もありました。家そのものではなく装置で景観を作り上げていくこともできるのです。日野はそういう可能性を見せてくれた町でした。

 何が言いたいかというと、空間の活用と町並み保存契機はセットで考えなければならないということです。それが日常なくらしのなかで、伝統的町並みの形態につながらない場合でも、祭りのような非日常的な利用を想定することで町並み保存の契機になりうるということが申し上げたかったのです。

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