「和」の都市デザインはありうるか
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1。現代都市デザインの問題

 

■このテーマにいたる経緯

 今、紹介していただいたように、私は大阪芸大で学生たちと一緒に都市デザインや景観研究を続けてきました。そのとりまとめが今回出版した著書『和の都市デザインはありうるか』の主な目的でもありました。

 特に景観計画についての話がこの本の大きなウエートを占めています。各地で展開されている景観計画の代表的な手法は建築意匠のコントロールです。

 つまり、建築の際のディテールだとか、屋根勾配だとかということです。それをコントロールさえすれば景観が次第に整っていくだろうという考え方だと思います。

 しかし、それだけやっていって、景観や町並みがうまく整っていくかというと、私はどうもそう思えないわけです。

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『和の都市デザインはありうるか』
 
 今の景観計画で一番まずいと思う点は、対象としている建築物が隣接する、あるいは前や後ろにつながっている近所の建物との具体的なつながり方が全然考慮されてないことです。現在、それをコントロールするすべがありません。それを考えていくためにはどこに目を付けたらいいかを考えると、どうも敷地の形状が突破口になりそうだと私は考えています。敷地の形状がその上に建つ建築物にうまく反映されるような仕組みが、今ないと思うのですね。これが、もう少し考えられなければならない問題ではないでしょうか。


■都市空間のチグハグ感

 上の写真は
今度出した本の表紙です。使われている写真は、京都のものですが、敷地が細長く小さいのが特徴です。しかし、この敷地の特徴は京都に限らず、日本の街で見られる基本的な敷地のスタイルです。

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現代都市の問題/チグハグ感
 
 よく「日本の街はなっとらん」という話を耳にしますが、何がダメなのかを写真で見ていきましょう。見てお分かりのように、この写真ではマンションと元からある町家がならんでいます。つまり、建築物のボリューム、サイズと個々の建築デザインが不揃いのまま雑居状態でまちなかに並んでいます。私は「チグハグ感」と呼んでいますが、これが一番の問題ではないかと思います。「異なるサイズとデザインがつくるチグハグ感」を日本の都市空間が抱える大きな問題ではないかと捉えました。

 異なるサイズ、デザインはどこから来るかと言うと、在来からある「和風」(戦前までまちなかで一般的にあったものですね)と、近代、特に第二次大戦後に普及した「洋風」の不整合がチグハグ感を作り出しているという風に私は考えています。そこを問題を考える出発点としました。

 つまり、従来からある道路や建物で作られていた和風の都市空間に、洋風の建築がどのように入り込んできたかを考えていくと、問題がはっきりしてくるだろうと考えたのです。そこから、今後の都市デザインの方向性を考えようとしました。

 そういう問題の捉え方を、ここでは「和」の都市デザインというタイトルで称することにいたします。


■「和」と「洋」−チグハグ感の経緯

 そのチグハグ感をもう少し把握するために、まず日本の住宅史を振り返ってみることにしましょう。

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和洋二館構成の邸宅(越本長三郎『和洋住宅間取実例図集』1907年)
 
 まず、明治の始め頃に「和洋二館構成」という住宅が登場してきます(図)。これは従来の木造の邸宅部分と洋館部分を廊下でつないだスタイルの住宅です。主に政府高官や華族などの上流階級のための建物として建てられ、洋館でお客さんを接待し、自分たちは従来の和の空間で生活するという使い方でした。いわば、「和+洋」という足し算の考え方で作られたのが和洋二館構成の邸宅です。

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和洋折衷住宅(北田案)(日本建築学会「建築雑誌」1898年)
 
 この考え方は、その後中層階級の住宅にも取り入れられて、従来の和風の建物に大壁からなる洋間をくっつけて作るという和洋折衷住宅が誕生することとなりました。これは、1898年の『建築雑紙』に北田さんが発表したものです(図)。

 このスタイルは広く受け入れられ、その後の郊外住宅ではほとんどの家で玄関の横に洋風の応接間を取り付けた住宅が作られていきます。

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公営住宅51C型(40.2平米)の間取り図
 
 ところが、第二次大戦後になると、戦後の住宅不足を背景にそれらとは全く違う形のnDK住宅が大量に建設されることになりました。図は1951年に提案された公営住宅51C型(40.2平米)の間取り図ですが、和風の畳の部屋2つに板敷き洋間の台所兼食事室という構成になっています。

 これが戦後の標準的な住宅とされました。

 このnDKという考え方は現在に至るまで引き継がれ、3LDKなどという言い方で住宅を考えるようになっています。それまでは「和風+洋風」という考え方ですが、こうなってしまうと洋風でもなく和風でもなく「和×洋」という住宅の形になっています。こうした「和×洋」のスタイルは戦後住宅だけでなくあらゆるところに浸透していったのですが、加藤周一氏はこの状況を「とりかえしのつかない形での西洋種の文化」の入り込みだと記述しています(『雑種文化論』1955)。


■都市空間の近代化

 では次に、住宅がそのような変化をしていったことと併せ、近代の都市空間はどのように変化していったかを考えてみます。

 まず、戦前の「和+洋」の時代には、道路や鉄道、河川などの土木施設は洋の技術で作られてきました。建築物では政府高官など上流階級の建物や公共的な建物が洋風で造られてきました。また、建築制度も「洋風」建築志向で作られる傾向にありました。

 明治以降、日本の都市化もどんどん進んでいくのですが、公共的な空間で洋風化が進む一方、個々の住宅では在来の建築工法に沿って作られていくのが大部分でした。近代化の中で不動産業が大規模化して、都市部は長屋、郊外は一戸建ての家が多く建てられることになったのですが、工法は在来建築工法でした。既成市街地は従来の敷地規模のまま個人発注の大工システムで建て替えるのがふつうでした。近世以来の木造建築生産システムがこれらを支えていたわけです。

 この流れが、戦後の「和×洋」の時代になるとどうなったか。鉄道・幹線道路などのインフラは洋風化の流れで進んでいきましたが、既成市街地の生活道路などは手が付けられないまま、近世以来の和風の形を残していきました。

 その後、「洋風」の建築制度が敷地の高度利用・大規模建築物を後押ししていったと思います。しかし、和風のストック(生活道路・建物敷地など)が既成市街地に多く残されていますから、大規模化した洋風の建築との不整合(チグハグ感)がはっきりした形になって現れてくるわけです。この傾向は、時代が後になるにつれ、どんどん拡大していきました。

 最近では、そういう状況はさすがにまずいと思ったのか、ゆとりや、うるおいなどのニーズ、景観形成などが叫ばれ、都市整備における視点の見直しが起こりつつあります。町並みにおける「和風」や路地空間のヒューマンスケールの再評価などはその現れです。

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