「和」の都市デザインはありうるか
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

 

2。日本の都市は美しく整えうるか

 

 では、これからの日本の都市はどうなるのか、美しく整えうるのかということを考えるために、チグハグ感の根底にある都市建築を見直してみることにします。

 ここで、比較の対象にしているのは西欧都市の整った町並みです。特にロンドンのテラスハウスやパリの中庭型共同住宅を取り上げています。


■ヨーロッパの町並み

画像t13 画像t14
パリの中庭型共同住宅
 
 写真で見るように、パリの中庭型共同住宅では1階には店舗、2階に事務所などが入っていますが、上階は住居として使われています。こういう形の建物が並び立つことによって市街地の形が決まってきていると思われます。

画像t16 画像t18
ロンドンのテラスハウス(バックヤードのミューズ側から) 集合型建築としてのテラスハウスの町並み
 
 ロンドンの場合は上図のようなロウ・ハウスとも呼ばれるテラスハウス住宅が数多く市街地に見られます。縦方向に伸びる1戸ずつの建物が長屋風に繋がっていっていき、たとえば本の図2.5(p36)にあるように13戸の住宅が1棟を形成しています(著作権上、HPでお見せできないのが残念です)。

 つまり、建築の敷地はこの1棟をひとつの単位としているわけです。あるいは街区がこの長屋建てを単位としていると言っていいかもしれません。このように中・大規模化した敷地が街の形を作っています。これらのテラスハウスも店舗あるいはオフィス、ホテルなどの機能をもつ場合がふえてきているようです。

画像t19
テラスハウスの分布(出典:E.jones&C.woodward『A Guide to the Architecture of London』)
 
 ロンドンのテラスハウスの敷地は、もともと貴族の所有地であるケースがほとんどです。それを不動産業者に開発させて、賃貸や分譲で売ったりしています。左の分布図はそれを図にしたものです。これを見ると、シティの西側に多く点在していることが分かります。

 これはテラスハウス全体の分布図ではなく、貴族が所有していた大規模な敷地のみをプロットしたものです。ですから、これ以外にもロンドンの街なかにはもっとたくさんのテラスハウスがあるのです。

 こうした西欧の整った町並みは、実はそう大昔の建物ではなく、産業革命以降、とくに19世紀に作られたものがほとんどです。西欧ではイギリスの産業革命以降、ものすごい勢いで都市化が進みました。中庭型共同住宅やテラスハウスはその頃生まれたもので、敷地を集合化あるいは大規模化して開発されたのです。

 つまり、近代的な都市開発事業として作られた住宅・都市建築の形なのです。それまでは、ロンドンやパリの街なかにも木造の一戸建てがたくさんあったのです。しかし、この時期に敷地単位の大規模な開発が進んでいき、結果として今見られるような一体的に建築される集合型都市建築が建ち並らび、西欧都市に町並みの秩序感をもたらすことになったのです。

画像t20
集合型建築のつくる町並み例(セルダによるバルセロナ拡張計画・19世紀後半、現地絵葉書より)
 
 これは、土木畑の都市計画家セルダがバルセロナで行ったバルセロナの拡張計画による写真です。真ん中に見えるのがサグラダ・ファミリアです。それを取り巻いているのは、中庭型共同住宅の建物です。こうした建物で、大規模に都市拡張を行いました。これも、整った市街地が出来上がった例です。

 私が面白いと思ったのは、祇園とアムステルダムの町並みの比較です。

画像t21
祇園とアムステルダムの比較(同縮尺、アムステルダム出典:『Cityholl Competion Amsterdam 1967要項』)
 
 図はおなじスケールで町並みを比較しています。ご覧のようにアムステルダムの建物の間口はとても狭いものですが高さが祇園と違いますので、建築1件当たりの容積としては同じようなものになります。

画像t22
祇園とアムステルダムの敷地区分(平均間口は7.0mと5.0m)
 
 この図は敷地区分を調べたものですが、京都・祇園の場合は一つの建物は一つの敷地に一戸建てが建てられています。アムステルダムの敷地は、一つの敷地にいくつもの住宅が集まって一つの建物となっています(ただし、この敷地図を見ただけでは一戸建てか長屋なのか判別しがたい)。

 平均間口は、祇園が7.0m、アムステルダムが5.0mになっています。

画像t23
アムステルダムの集合町家は共有壁(出典:ヘルマン・ヤンセン『アムステルダム物語 杭の上の街』堀川幹夫訳、鹿島出版会)
 
 この図はこれらの建物が生まれてきた経過を示しています。アムステルダムも、もともと18世紀までは一戸建てで建てられていて、建物と建物の間にはすき間があったわけです。しかし、その後は建物の境に共通の壁を立ち上げるようになりました。ロンドンの場合は同じ間口で同じタイプの建物が並んで長屋を構成するという形でしたが、アムステルダムの場合は、間口が違う建物が並んでいるけれど、その境目の壁は共有しているという点が面白いと思います。

 日本の場合は、小規模敷地の一戸建てのまま、その空間性を現在にいたるまで引きずってきています。


■日本都市の「小規模敷地性」ということ

 産業革命は明治以降の日本でも起こりましたが、わが国では西欧式の集合型都市建築は誕生しませんでした。木造在来工法と建て替え文化の根強さが、近世以来の「小規模間口敷地」を継続させたものと考えます。

 今なお小規模間口×長大奥行という「和風敷地」がわが国の敷地の大勢を占めており、そこに「洋風」建築はうまく対応し切れていない。これが現実です。具体的には、隣接部のすき間、接道部空地、高容積化などの問題が現れています。

画像t25 画像t26
敷地にフィットした町家建築(ゼロロットの接隣部、1F外壁による接道) 木造町家のゼロロット工法(山本茂『京町家づくり 千年の知恵』祥伝社)
 
 これは、伝統的な工法で作られた町家です。隣接部にそれぞれの建物の柱が2本立っているのが見えると思いますが、これは建て起こし工法によるものです。敷地の中で壁を立ち上げて、隣の壁に当てるようにするのです。そうすると柱が2本すき間なく並び建つようになります。つまり、くっついているように見えても町家は独立建築なのです。

画像t27 画像t28
和風敷地にフィットしない洋風建築(相隣部デッドスペース、外壁のセットバック) 現代の市街地も敷地を使い切れない(区画整理事業が進む市街地)
 
 左の写真が、木造以外の工法で作られた現代の住宅です。伝統的な工法では作られませんから、隣家との間にすき間ができてきます。両方とも洋風の建物だとすき間はさらに大きくなっていきます。こんな風に、街の形がどんどん変わってきています。伝統的な工法でしたら、町家がぴったりと建ち並らぶ風景ができるのですが、現代ではそれが難しくなってきました。

 この問題は古い町だけに起こっているわけではありません。右図は、大阪・淡路駅前の既成市街地で区画整理事業が進む市街地に新しく建っていく住宅群の写真です。新しい建物はすき間を持った独立建築だということが分かります。区画整理によって、もともと狭かった敷地がさらに狭くなったのかもしれませんが、すき間は10〜20cmあり、このどうしようもないデッドスペースをどんどん生み出しながら新しい市街地ができようとしています。


■「和風敷地」エリアにフィットする都市デザインの枠組みが必要

 この状況は何とかしないといけないだろうということで、「和風敷地」エリアにフィットする都市デザインの枠組みを考えてみました。

画像t31 画像t31a
都市基盤における洋風化の過程1-1930年ごろの大阪船場(出典:大阪府作製『五千分の一地番入り大阪地図』昭和前期大阪都市地図、柏書房、1995) 都市基盤における洋風化の過程2-現代の大阪船場(出典:大阪市地形図)
 
 先ほど、日本の街の近代化の過程で幹線道路は洋風で作られたと言いました。左の図は1939年頃の大阪の市街地図、右側の図は現代の様子です。1930年頃に御堂筋が通りはじめ、現代ではさらに中央大通りが通り、高速道路も通っています。こうした幹線道路は洋風に作られていますが、それを取り巻く敷地の状況は変わっていません。

画像t32
都市基盤の二層性
 
 ですから、大通りから一歩中に入ると、昔ながらの和風敷地がそのまま継承されています。つまり、大通り沿いの町並みとその奥のまち通り型町並みという2つのタイプの町並みがあり、その二層性が日本の街を作っているのです。

 大通り沿いの町並みについては、近代的都市・建築制度にのっとって「洋風化」が進行していきました。ここでは、専門的な技術者集団が参画して、それなりの町並みが出来上がっていると思います。

 一方、和風敷地エリアの場合は、専門的な技術者が入る場合もありますが、基本的には大工・地場工務店などがリードした町並みが出来上がっています。そこでは、敷地・建物関係の整合性が乏しいままきていると思います。専門的技術者集団が十分な知恵・創意の発揮を怠ってきたと私は思っていますが、そういうところを今こそきちんとしないといけないというのが私の意見です。和風敷地の中できちんとした建物のあり方を考えていくことで、まち通り型の町並みがもっと美しくなっていくのではないでしょうか。


■まち通り型町並みでのマンション化

 では、そのまち通り型町並みはどんな動き方をしているのかを、京都の中京区を例にとって見ていきます。1991〜2006年までの15年間におけるマンション化した敷地414件を調べてみました。

 マンションの立地区分では、大通り沿いが21.0%、まち通り沿いが77.3%、路地接道が1.7%という割合でした。

 規模・敷地形態区分では、もともとの敷地のままの小規模・単一敷地が45.2%、大規模(300平米以上)・単一敷地が35.0%、集合化敷地が19.8%でした。つまり、80%ぐらいの割合で、もともとの敷地の上にマンションが建てられているということになります。

 ですから、まち通り型町並みでは既存の敷地そのままをユニットにしてマンションに建て変わる形で、市街地が変容していると言えます。

画像t34
京都市中京区のマンション
 
 この図は、マンション化した敷地の間口(横軸)と奥行き(縦軸)のサイズをプロット化したものです。これを見ると、40%超のマンションが間口6〜10m、奥行き10〜40mの範囲内の敷地に設置されていることがわかります。


■あらためて「問題は何か」

 マンション化した敷地を見ても、日本の街では和風の敷地を形を壊さずにずっと使い続けていることが分かります。小規模間口を特性とする「和風」敷地がずっと残ってきて、それが洋風とうまくフィットしてないことが現在の問題なのです。

 先ほど見たようなすき間を空けつつ並ぶ戸建て建築群をこのまま放置しておいてよいものかと思います。現状では、デザイン的な検討が何もされていないのが大きな問題だと考えますし、こういうところこそ、「都市デザイン」が何とかしていかなければならないと考えます。

 問題は、「和風」敷地に「洋風」のサイズとデザインを持つ建築をどのように納めるかということです。つまり、きちんとした「かけ算」の方法を見いだすことが必要になってくるのだろうと思います。


■「小規模敷地性」は継続する

 まずは、我われは小規模間口敷地を、洋風建築の敷地として使いこなすことの難しさを確認し直す必要があろうかと思います。現代都市のチグハグ感はこの作業を怠ってきた結果、生み出されてきたものですから。

 我われの街も今後、ロンドンやパリのように敷地を大規模化して集合建築化すべきだという意見もありますが、それはあったとしてもレアケースだろうと私は考えます。大規模な集合建築が必要とされた都市爆発の時代は終わっていますし、日本の街はこれからも「和風敷地」「小規模敷地性」を残していくだろうと予測しています。

 ですから、この条件下できちんとした対応の仕方を考えるべきだろうと思います。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ