ツアーの行程・概要の説明 |
02 |
03 |
04 |
05 |
06 |
ただ行くのはいいんだけど、何も分からないまま行くのはなんなので、現地のジュリア・デイさんを案内役にお願いしました。この人が所属しているトランスポーテーション・オルターナティブというのは、「自動車以外の交通」ということで主に徒歩に力を入れているNPO団体です。ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグさんとハーン交通局長の二人が「脱自動車派」でして、もっともブルームバーグさんは「脱自動車」と言うより資産家のウケ狙いというところがあるのですが、環境活動がけっこう好きな方なので慈善的な気持ちで活動しているようです。
トランスポーテーション・オルタナティブはハイラインとかブロードウエイの歩行者天国化を進めているNPOです。しかし彼らはむしろそれをパーマネントにしたいようなので、歩行者天国という言葉はあまり正しくないという気がしますが、「ブロードウエイのホコテン化」という言葉の響きが良いので、我われはホコテンという言葉を使っていました。そういう運動を支持するNPOの方にコンタクトを取りました。
ユニオンスクエアでジュリア・デイさんと合流して、ブロードウエイを北上したのが17日の行程です。
その後、ハイラインに移動しました。ハイラインは我われ2回ぐらい行きましたが、ここを散策しました。これについてはまた後でご説明します。ハイラインは南端がミート・パッキング・ディストリストでして、肉関係の市場があったところです。先ほどの角野さんのご報告でニューヨークのこの辺が「smelly district 臭う場所」だとありましたが、屠殺場があったことからここはニューヨークでも究極の「臭う場所」だったことでしょう。要するにマンハッタンの中でも、普通の市民が行くような場所じゃなかったんです。そこを再開発で随分注目を浴びる場所に変貌させました。市場がなくなって、その跡地が流行を発信するような「クール・スポット」になったんです。我われもそこに行って、酒を飲んでみたというわけです。
07 |
08 |
09 |
その後、午後からはシャロン・ズーキン先生にガイドをしてもらおうと思っていたのですが、先生が忙しいということで、彼女の教え子にガイドしてもらうことになりました。
ブルックリン・パークに案内してもらいました。ここはダンボ地区(ダウン・アンダー・ザ・マンハッタン・ブリッジ・オーバーパス)という新しい開発で出来た地区の公園です。9.11以降に作られた公園です。
あと、ウイリアムズ・バーグという所では非常にジェントリフィケーションが進んでいるということで行ってきました。マンハッタンそのものがジェントリフィケーションの歴史で出来た街だと思いますが、グリニッジ・ビレッジがジェントリフィケーションでターゲットにされて、その後の70〜80年代はイースト・ビレッジがジェントリフィケーションされ、マンハッタンはもうジェントリフィケーションされる所がなくなったので、今ブルックリンがターゲットにされており、ウイリアムズ・バーグはまさにそのジェントリフィケーションが現在展開しているというわけです。それがどういう形で進展しているのかを見に行ったのです。
ここは昔は治安が相当悪かったということですが、今はかなり良くなって環境が改善されていると思います。しかし以前から住んでいる人たち、移民の人たちなんかは逆に「地価が高くなって、住む人たちが以前とは違うお金持ちが入ってきた」ということで、社会学的な摩擦が起きているという状況だそうです。
18日の夜もウイリアムズ・バーグで飲み会となりまして、本当に夜は充実したツアーだったと思います。
10 |
11 |
12 |
ニューヨークで都市デザインの仕事をされている田口さんが、ここをガイドして下さいまして、ハーレムとバッテリー・パーク・シティを案内してもらいました。我われが行ったハーレムのシルビアという所はいかにも観光客が行くような店でして、観光客相手に儲けているという感じでしたが、我われも観光客としてその雰囲気を楽しんできました。
午後から行ったバッテリー・パーク・シティはほぼ完成していました。ここは80年代後半から開発が進んでいて、その最終的な形を田口さんの解説と共に見てきたというわけです。
夜はイースト・ビレッジのバーに行きました。ここは前日に行ったウイリアムズ・バーグと似ているところです。実は前日に長町さんをナンパしようと声をかけてきたアメリカ人が(会場から:勇気あるなあ…)いまして、彼が勧めてきたバーがここにあるのです。そのアメリカ人はたまたま観光ガイドをやっていたらしくて、どこに良い店があるか知っていたんですよ。
実際行ってみると、ニューヨークのお洒落なバーってこういう所なのかなという感じの良い店でした。
13 |
この日は、ニューヘブンでJUDI関西の高原さんと合流して、エール大学の建築ツアーを行い、その後シーザー・ペリ事務所も訪問しました。その後、またアムトラックに乗ってボストンを目指すというのがこの日の行程でした。
14 |
ここはボストンのウォーターフロントと都心の間を走っていた高架の高速道路を撤去した事業として知られています。高架の高速道路があると視覚的にも物理的にもウォーターフロントとアクセスできないし、もうひとつの理由としては高速道路の渋滞が激しかったので、交通ネットワークを自動車の観点からも再整理する必要があったことです。それで、この大規模な工事が行われていたのです。
結局、それで何をしたかというと、地面の下に高速道路を走らせて、上は広々とした空間を作りました。だから高速道路を撤去して、下を走らせるようにした工事です。アメリカの公共事業の中でも最大の費用がかかった事業です。それまでは、アラスカにパイプラインを引いた事業がアメリカ公共事業で最大の費用がかかった工事でした。ですから、僕はここを初めて見たのですが、すごく期待していました。
見てみると、なかなか良さそうな広場で、広々とした公共空間が出来ているんですけれど、まあ悪くはないけど、全般的に作りは雑だなという印象を感じました。
あと、ボストンではウォーターフロントとかノースエンドなどを、ボストン在住の高原さんのガイドで案内してもらいました。ちょうどこの頃、ボストン市では「ハブシステム」というレンタサイクルを導入したばっかりだったので、ついでにこれも体験してきました。