4 質疑応答
|
司会(前田):
ではここから質疑応答の時間です。何かご意見、ご質問はございますか。
長町:
ちなみに今回のツアーでは、JUDIの男性会員の皆様が私のナイトを務めて下さって、いつも以上にしっかりと夜景の写真を撮ることができました。改めて感謝申し上げます。
それと、ボストンのレンタサイクルシステムはパリと同じシステムで始まりましたが、それがうまく行く法則というものがあります。そこに住んでいる人で利用する人の1%の自転車台数を最初に投入することが必要です。それを考えると、ボストンの600台では少なすぎるなと感じました。これから台数を増やしていくのでしょうが、その辺の政策はどうなっていたかを伺いたいと思います。
服部:
ご期待しておられる答ができるかどうか分かりませんが、私の方から少し説明致します。
もちろん健康面の問題はアメリカにおいて、深刻な問題になっています。ただ、私の主観になりますが、ボストンのケースはちょっとそれとは違って、パリの真似をしたかったところがあるように思います。
また私達が見たレンタサイクルシステムはアメリカの一部に過ぎなくて、アメリカ全体を捉えるのは難しいと思いますが、やはり自動車優先の都市交通政策を転換させていこうという動きがあると思います。その中でもヨーロッパの都市の影響を受けている都市が出始めたという流れを感じるんです。
以前、80〜90年代頃のアメリカの都市計画はヨーロッパの街をそんなに意識してなかったと思うんですよ。自分たちが新しい都市モデルを創るんだという流れがあったと思いますが、それが21世紀に入ってからよそのまちづくりに学ぼうという姿勢が強くなってきたような印象を受けました。やはりアメリカ人だけの発想だと、地球の環境問題を始め様々な問題に対応できないと思い始めたんじゃないかと思います。
サステイナブルな問題だと、アメリカ人の「環境に負荷を与えない都市計画、都市開発」においては、彼らはすごく自虐的な考え方を持ってますよね。だからヨーロッパに学ばなければいけないという発想になっていくのではないでしょうか。
ヨーロッパだけでなく、日本からも学ぼうという人たちのグループも存在します(恐らく専門家の中では、けったいな人たちでしょう)。そういう人たちの話しを聞くと「アメリカはダメだ。アメリカは同じようなトレンドで都市計画をやっているから、イラクに戦争に行かなきゃいけないハメになるんだ」と言うんです。戦争の原因は都市計画だと言い切るんですよ。だから日本の都市みたいにしなくちゃいけないと言うんですが、実は僕自身が日本の都市のどこが良いのかよく分かってなかった。ちょっと宣伝になって申し訳ないのですが、「ママチャリが地球を救う 世界が賞賛する日本の町の秘密」という本を翻訳しましたので機会があれば手にとって彼らの主張を聞いて下さい。
そういう風にアメリカが絶対的に正しいんだというこれまでの姿勢が変わってきているように思いますね。ただ、「日本から学ぶ」という人たちは相当マイノリティーで、ヨーロッパから学ぶという人たちの方が主流です。情報化がこれだけ進んでますから、パリでちょっと成功したというシステムがすぐに導入されることになるのです。反対にハイラインの成功もすぐに世界中に波及しましたよね。そうした世界的な流れのひとつとして、ボストンのハブウエイがあるんじゃないかなというのが、私の印象です。
昔訪れたことのあるボストン市街地エリアも今日ビッグ・ディグとして様相を新たにするとともに、ハブウェイシステムという新しい仕組みがつくられていることを紹介いただきました。ボストンにはフリーダム・トレイルというアメリカ独立戦争の経緯を煉瓦敷きのガイドラインに沿って歩きながらたどることのできる散策路があります。これに新たな自転車レンタルシステムを組み合せることで、さらに広域エリアへの移動も容易となり、ツーリズムの視点から従来の観光スポットに加え、関連する新たな観光スポットが周遊ルートにつながってくる可能性もあります。
そうしたツーリズムの視点から何か補足する点があれば、ご意見をお聞きしたいと思います。長町さんが指摘されたように「明かりが人の賑わいを作る」という点からいうと、ツーリズムにはその場所に人の賑わいを呼び起こし、人と人の出会いや交流の場を用意することで、相互理解を促す大変重要な役割があります。
服部:
そうですね、フリーダム・トレイルとかビッグ・ディグという都市デザイン事業は公共空間をレベルアップしていきますし、都市をわくわくさせるものにしていきますよね。このわくわく感が出てくると、「もっとわくわくしたい」という気持ちが一層動くことがあると思います。だから、都市デザインが優れている都市は、そうしたことの積み重ねでもあると思います。都市デザインの可能性を市民が理解しています。
ニューヨークを例に取ると、70年代に財政が破綻した後に相当衰退して魅力がなくなったことがあります。そこで、お金がなかったら市民がやろうという動きになり、ブライアントパークでも市民が最初に行動を起こしました。成功事例が出来ると、すぐ「我われもやろう」とユニオンスクエアにも波及しました。ファーマーズマーケットも公共空間を使ってやってみようと始まると、今やファーマーズマーケットはマンハッタンを中心に60ぐらい開かれるようになりました。ブロードウエイも最初は2ブロックで始まったのが、うまく行くと延長されました。
ツーリズムもこうした動きに引かれて集まっています。まあ、都市観光は都市デザイン的な所で都市の魅力を発信するものですから、長町さんがおっしゃったように「ウイリアムズ・バーグがあるからもう一泊しよう」という行動になっていくのです。
だから都市デザインの持つ力というものは、けっこう強いものがあると思います。
道路も自動車のためだけでなく、歩行者や自転車のためだったりします。ボストンの所で「自動車はもはや王様ではない」という言葉を紹介しましたが、皮肉なことに日本ではまだ王様ですよね。東京でさえそうです。私が働いている大学は目の前が国道で、500メートルぐらいここを横断できないように中央分離帯に柵が作られていて、僕はそれを見るたび悔しくてなりません。歩道側も柵が作られています。つまり自動車の利便性を考えているけれど、人間の視点がないのですよ。しかし、まちづくりに人間の視点がないと、都市観光の点では大きなマイナスになってしまいます。
だから、やはり都市デザインが重要だということをニューヨーク・ボストンのツアーで改めて確認できたと思います。
ニューヨークの夜景ってけっこう暗いじゃないですか。ノイジーな明かりがない。そういう意味で、日本の夜景はもっと暗くなる可能性はあるんだろうかと考えるのですが。明りのマスタープランよりも、暗さのマスタープランが必要ではないでしょうか。
長町:
そういう意味では、今はまさにチャンスが来たという時代だと思っています。今回の震災で、我われは街を消灯していくという経験をしました。やってみると、街を消灯しても大丈夫なんだということが分かった。消し方にもいろいろあって、下手に消すとどんよりするだけということも分かりました。
私を含め照明のプロなら前々から言ってきたことですが、平均照度でも路面照度でもなく鉛直面の目に見える光の分量で計画をしていきたいということが現実味を帯びてきたと思っています。これはイコール、要らない光はしないということですから、絶対的に明るくはないのです。そのことを本当にしゃべれるようになりました。
実際に私達がやっている具体的な計画でも、照度をちょっと横においといて、鉛直面の明るさ感や安心感でどう夜景を作れるかという話になっているんです。
とは言え、暗いと歩けなかったり、暗い公園には人が来なかったりします。ハイラインの場合は見ただけで分かる良い事例なんですが、暗さと明るさのバランスが大事なんです。暗いところは本当に暗くないとダメですよね。
日本の例で言うと、数年前にJUDI関西でやりました道頓堀のリバーウォークをやっていましたときに、大阪市さんと喧々囂々の議論となりました。それは、道頓堀の川の所はものすごく明るいところなのに、私達が新しく作ろうとしていた遊歩道の照明計画では回りがゼロの状態を想定した目標照度を狙っていかないといけなかったからです。それっておかしいでしょう? もともと100ルクスが出ているところに、回りが真っ暗な想定の照度を考えなくていけないなんて、それには断固反対したので、大阪市さんと議論になったのです。結果としては良い方向になりました。
そうしたことも、皮肉なことに震災のおかげで少しマシな状況にはなってきているのです。
井口:
実はまったく同じことが、1973年のオイルショックの時も起きています。僕はその暗くなった街を経験しています。「ああ、街が良くなったなあ」とつくづく思ったのですが、しばらくするとすぐに元のぎらぎらした街に戻りました。今回も同じことをやって、また元の木阿弥に戻るんじゃないかという危惧があります。実際、今も「暗い街はイヤだ」と文句を言うやつはいますし。だから今の話を聞くと、なんとか長町さんが頑張って今のお考えの方向で進めていって欲しいなあと思う次第です。
長町:
私だけじゃなく照明の専門家はみんな同じ気持ちですし、たぶん機材もその頃とは違って繊細な光や色が出せるようになっていますから、それはチャンスと考えています。
いくつか感じたことがあります。自動車の話にしてももっと議論が必要だとも思いますが、2点だけここで指摘しておきたいと思います。
まずは、何度か出てきたNPOについてです。いろんなことを実現するという事例をいろいろ見せて頂きましたが、お役所がいろんな所に壁を一杯作ってなるべく彼らの活動を封じるようにしているきらいが実際にあると思います。それは日本でもどこでも変わりない事情のようです。しかし私たちのようなまちづくりの仕事をやっている者は、それを乗り越えて実現すると、いろんな人が付いてくるしお役所も付いてくることを知っています。そうことをもっと頑張らなくてはいけないな、ということを痛感いたしました。私たちも大阪でいろんなことをやっていますが、もうちょっと元気を出してやっていかなくてはとも感じます。
もうひとつは、やはり良い市長を選ぶと良い仕事ができるなあということも、今回の報告で感じたことです。
以上を私の感想として締めくくりたいと思います。みなさん、今日はどうもありがとうございました。