ニューヨーク、ボストンの都市デザイン最新事情報告
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ニューヘイブンとボストン
この20年で変わらないものと変わったもの

HTAデザイン事務所 高原 浩之

 


 本稿は高原さんより事前に寄せられた報告です。


 
 今回、JUDI国際セミナーツアーの一部ニューヘイブン とボストン2つの都市に合流した。私にとってNew Havenはちょうど20年前の8月の終わり、2か月余りの期間ではあったが初めてのアメリカ生活を送った街である。シーザーペリの福岡シーホークホテルプロジェクトに参画することになり、期待と不安いっぱいでたどり着いたことを思い出した。

 ボストンも同じ20年前に初めて訪れ、現在、ここボストンに1年あまり住んでいる。社会の情勢はこの20年で大きく変化した。この20年でニューヘイブンのまちの骨格はほとんど変わっていない。ボストンは都市の骨格を左右するビッグディック(BIG DIG)と呼ばれる湾岸の開発があり、古いものを残そうとするヨーロッパ的な考えと、新しいものを積極的に取り入れるアメリカ的な思想が混在しながら、今なお、魅力あるまちに成長しているように感じる。今回のツアーを通して、「変わらないものと変わったもの」を全くの私見ではあるが、考察することで、建築設計にかかわる一人として、これからの街づくりに何を大事にすべきかを探ってみたい。


■ニューヘイブン−変わらない街の骨格と変化する通りのファサード

 ニューヘイブン、今も昔も到着感を感じさせる風景は、ダウンタウンの入口にそびえるナイツ オブ コロンバスのどっしりとしたタワーである。ニューヨークとボストンをつなぐ幹線高速道路ルート95をニューヨークから1時間半ほど北へ走り、ニューヘイブン出口で左に折れると正面に4隅に円筒形のコアを配置したケビンローチならではの巨大なスケールのタワーが迎えていた。当時の私が抱いていたアメリカの巨大さを象徴するかのような建物でもあった。今回は20年前とは逆区方向のボストン方面から自家用車で2時間半ほど走った時、ダウンタウン越しにこのタワーを眺めた。ニューヘイブンへはその後、仕事で何度も訪れているが、毎回、このタワーを見ると20年前の緊張感が思い出されていた。さすがに今回は、私自身にも緊張感もなく、建築も低層部がとてもきれいに再整備されている。この変わらない高層部、改修された低層部とアプローチ周りの外構デザインはニューヘイブンのランドマークとして、街全体のイメージの変化を象徴しているかのようでもあった。

 イエールのキャンパス内は、香山研究室編アメリカ建築案内 によると、創立当時(1715)の建築は、赤い煉瓦壁と白い木のトリムによるジョージア様式で、今はオールドキャンパスにわずかに残る程度である。現在のデザインの基調はハークネス記念塔(1917)やスターリング図書館(1927)に代表されるゴシック様式である。そこにE. サーリネンホッケーリンク(1960)、L. カーンのイエールアートギャラリー(1953)、ブリティシュアートセンター(1977)そして、私が一番好きな ベイネック図書館(1963)などの名建築が点在し、さらに近年には、ペリやゲーリーによる新たな建築も加わり、建築デザインの宝庫となっている。このようにキャンパス内は、長い年月をかけて少しずつ増殖しながら、イエールが持つ伝統とアカデミックなイメージは常に引き継がれているようである。

 片や、ダウンタウンの商業施設に目を向けてみると、20年前にかろうじて開店していたデパートMACYSはその後数年で廃墟となり、長らく治安の悪そうな状態で放置されていたが、近年になって、プライベートのアカデミック施設として新たに生まれ変わるようで、周辺の雰囲気も治安の悪さは感じられないようになっている。20年前に比べて 通りに面したショップやレストランの範囲が少し広がっているようにも感じる。イエールのキャンパスに代表される街のイメージは20年前と変わっていないが、社会情勢を敏感に反映して、通りの面した商業施設、すなわち人の目線の部分は臨機応変に対応している。


■シーザーペリ事務所―大きく変わった設計手法と変わらない設計姿勢

 チャペルストリート(ニューヘイブン ダウンタウンのメインストリート)に面したショップの変化の中で、ペリ事務所のある建物の1階にあった画材、模型材料店が、スターバックスに代わっていて、通りの賑わいはあるものの、手造り感のあるアートな街のスポットが失われたように思えた。これは、察するに、大学でのスタジオのプレゼン方法がこの20年で大きく変わり、芸術系のプレゼンもITが主流になってきていることが要因ではないだろうか?同様のことは、ペリ事務所の設計プロセスを見学する中でも感じた。今はほとんどのスタッフがモニターに向かって、3次元ソフトを操作している。私が居たころは、すべてのスタッフには、カッターナイフ、グルーガン、パステルが必需品で、スタディー模型を作るのが主な作業だった。さすがに、今も事務所内には、所狭しに、模型が並んでいるがほとんどが3次元コピーマシンで作り出された模型である。これは、好き嫌いにかかわらず、これからの私たちの設計作業において避けて通れない技術の革新であり、ツールである。

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Image-1 アットホームなペリ事務所の風景(2011年8月) Image-2 20年前のペリ事務所の風景(1991年9月)
 
 その中で、ほっとしたスペースがあった。今年、日本事務所からアメリカ事務所へ移籍した米山さんの席である(Image-1)。ちょうど数日前が誕生日だったようで、朝、事務所に来ると、手作りの飾り付けが机周辺にいっぱいにされていて、とても感動したとのこと。この雰囲気がペリ事務所の良いところである。20年前、2か月余りの滞在を終え、日本に戻る際にも同様にスタッフみんなが激励してくれた(Image-2)。シーザーペリは常々、建築は一人で創るものではない。多くのコラボレーションがあって初めてできるもの。と言っている。いくら3次元CADが精巧に模型を作り出し、きれいに図面を描こうとも、設計プロセスにおいて、設計者はじめそのプロジェクト携わるものの思いがデザインに反映していないと、よい建築は生まれない。20年経っても変わっていない設計プロセスを大事にする姿勢を感じることができてほっとした。


■ボストン−環境意識の変化

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Image-3 Big Dig 前の風景(出典:www. super-slab. com 11. html)
 
 今回の視察のメインとなるBIG-DIG、ボストンの湾岸都市部を走る高架道路を地下化したことでアメリカで一番コストを費やした高速道路と揶揄されることもたびたびある。ボストンの地方紙(The Boston Globe)によると220億ドル(2006年時点)の巨費を投じて、2007年の年末に完成したことである。計画は1970年代から始まり、1987年議会で承認されたものの、予算オーバーで当時のレーガン政権に一旦拒否され、ちょうど20年前の1991年に再承認され始まった。私の印象では、米国の環境対策事業はそれに掛る費用、経済効果の議論が最優先され、直接的に換算しにくい環境配慮への理念は議論の対象外のような先入観を持っていたが、1年足らずではあるが、ボストンでの生活を通しての交流、公共施設の整備、マスコミの対応をみると、ボストン市民の環境配慮への意識は、とても高いという印象を持っている
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Image-5 レンタサイクル試乗(Big Digにて)
 
 たとえば、今年の7月からボストンのダウンタウンで始まったレンタサイクルのシステム。合法的な路肩駐車スペースが設けられているボストン市内の道路システムと安全上の矛盾があるもの、観光客のみならず市民にも浸透しつつあるようである。また、市内のごみ箱上部に小さなソーラーパネルが設置してある。照明とは連動していないようで、ごみを定期的に圧縮する電源として利用されている。これは、確かに、ごみ収集の頻度を減らすことで、費用対効果は街灯利用以上に高いように推察する。

 また、ボストンでの都市の緑地帯に対する認識、利用度は非常に高い。1880年代にフレデリック オルムステッド(Frederick Law Olmsted)によって設計されたエメラルドネックレスと呼ばれるボストン市内から郊外まで10数キロに渡って続く緑地帯は、市民のオアシスとして同時に、都市の付加価値を上げる大きな要素として街の重要な骨格を担っている。そこに新たに、ビッグディック(Big Dig)の緑地帯が湾岸にそって5キロ余り付加された。ボストン市民の環境意識は全米の中でも高いといわれる。この高い環境意識が全米に広がり、アメリカが世界の環境リーダーになることが、グローバルな環境対策を推進する上で非常に効果的であり、実現的だと感じている。


■建築に何ができるのか?

 残念ながら、建築が地球環境のデストロイヤーであったことは否めない。これからは、いかにしてコントリビューター(貢献者)になれるかを模索して行く必要がある。私は、建築が持つ「デザインの力」を信じたい。昨今、世界の多くの建築家、デザイナーが、環境建築を具現化している様には、大いに喝采を送りたい。規模の大小を問わず、積極的に環境社会へ参画して行くことが重要だと考えている。そこで30年ぶりに実務から距離を置いた状況にいる現在、”The Green Project of the White House”(ホワイトハススのグーン改修プロジェクト)(Image-6) と題したコンセプト提案を進めている。世界で最も影響力のある住宅、ホワイトハススを究極の環境建築に改修する提案である。光合成の原理を利用した「二酸化を食べる照明器具」(自称)(Image7,8)たるものもそこに加えて、建築が、環境問題を政治、テクノロジー、歴史、アートなど様々な要素をコーディネートして行き、社会へメッセージを発信する。実務ではないが故に提案できることが数多くあり、結果として、将来、建築家の役割である「アイデアの具現化」大いに役立つと信じている。

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Image6 筆者のサステーナブルデザインへのアイデア提案「二酸化炭素を食べる照明器具」&「The Green Project of the White House」
 
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Image7 筆者のサステーナブルデザインへのアイデア提案「二酸化炭素を食べる照明器具」&「The Green Project of the White House」
 
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Image8 筆者のサステーナブルデザインへのアイデア提案「二酸化炭素を食べる照明器具」&「The Green Project of the White House」
 

 最後になりましたが、シーザーペリ事務所の見学を快く了解頂いた、パートナーのフレッド・クラーク氏、事務所ツアーの案内をしてくれたセバスチャン氏と米山薫里さん、ニューヘイブンからボストンまで案内の手助けを頂いたBAC(ボストンアーキテクチャーカレッジ)院生の占部陽介さん、そして、ボストンでは、ササキアソシエーツにてシニアランドスケープアーキテクトの応地丘子さんに世界中での興味深いプロジェクトを貴重な体験談を交えて説明頂きました。心よりお礼申し上げます。

 今回、JUDI国際委員会ツアーに参加して、ニューヘイブン 、ボストンの街と人を20年前と比較しながら改めて観ることができ、ハードとしての街、ソフトとして人の意識、そして何より、私自身のこの20年の視点の変化を考察する機会を頂きましたことに感謝致します。ありがとうございました。

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