プランナーとプレイヤーの両立は可能か?
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質疑応答

 

 

■プレイヤーの見つけ方

高橋(NGO地球サミット)

 面白い人をたくさんインタビューして、テーブルに着いてもらい、チームを作るというお話について質問します。感性の高い人の意見をどしどし聞いて、そこからいろいろと作っていくというお話でしたが、最初の面白い人というのはどうやって見つけているのですか。

若狭

 どんな街にもプレイヤーはいるなと思いますが、まずは役所が僕らの発注先になることが多いので、役所の人に聞いてます。「こういうことをやりたい話の分かる人はいませんか」と相談すると、いくつかリストアップしてくれるんです。でも、そういう中で「御用市民」みたいな人っているじゃないですか。そういう人たちははずします。で、「この人、気になる、会ってみたいな」という人とか、端から見ていて面白そうな人に会いに行くんです。伊丹の場合だったら、「伊丹オトラク」というミュージシャンと飲食店や街をつなぐ企画をする人がいました。そういう人って、なんか僕たちと同じような匂いがするんですよ。だから会いに行ってお話をするという感じです。

 だからプレイヤーの探し方としては、御用市民ははずすということぐらいです。


■まちづくり活動の終わり方はありますか

保科政秀(京都文教大学大学院)

 文化人類学研究科に所属していて、フィールドワークが専門です。今は奈良県のあるまちィールドワークに行ってまして、いろいろNPOで頑張っている方々の話を聞きながら、自分に何が出来るかを考えています。僕自身は大学院修士の2年で、うまく行けば来年の3月卒業です。だから、プレイヤーになるのかプランナーになるのか、よく分からない状態なんです。

 もし仮にプランナーであれプレイヤーであれ、活動したらいつかはそのまちから抜けないといけない状況になるのかなとすごく考えるんですよ。特にそのまちは産業があるわけではないので、お金を稼いで生活をしていくのが難しいという意味では、自分がやり始めたことがいつか終わるということをどう考えていけばいいのでしょうか。誰かに託して去るのか、活動そのものを終わらせるのか。今のまちづくりは、やり方とか始め方の盛り上げ方はあっても終わり方がないなあと感じています。そのあたり、どうお考えですか。

若狭

 我われもお世話になっている田中道雄先生(大阪学院大学)という商業の先生は「まちづくり10年説」を唱えておられます。10年ペースでまちづくりは変わっていくというのですね。ものすごく盛り上がったかと思うと、10年ぐらいしたらなんとなくダメになって、しばらく10年ほど沈黙が続くのです。そして、その沈黙状況をなんとかしようと、何かが起こるのだそうです。

 まちづくり何年か説は有馬温泉御所坊の金井さんもおっしゃってて、金井さんは「世代のサンドイッチ説」と言っておられました。金井さんの世代はいろんなアイデアがあって、次々と新しいことをやっていきましたが、次の世代は親父たちのアンチ世代。親がやっていることに「なんやこれ」と反発し、どちらかと言うと保守的になっていきます。これはどの組織にもあることだと思いますが、そういう世代説もあります。

 私としては、尼崎でプレイヤーをやっているのは、尼崎でプレイヤーとしてやり続けるという決心があるからです。そこは、ご質問の「終わらせ方」については全然気にしてません。誰かに引き継がせなければと考えながら活動するのは、しんどくないですか。プレイヤーはそんなこと考えなくてもいいんじゃないかと思います。それはプランナーの仕事でしょう。ただ、まちづくり10年説を唱えている人によると、活動が10年周期で上がり下がりするのは抗えない歴史の法則のようなものだそうです。盛り下がった時、あまり下がらないようどの辺で落ち着かせるかはプランニングのしようなのかなとは思いますね。


■夢のある仕事

玄道(ツーリズム研究者)

 いろんなセミナーに出席していますが、今日は本当に感動しました。若い方二人が、プレイヤー、プランナーとして着実に成果を挙げてこられたことを事例を通じて分かりやすく説明していただきました。

 尼いもについて言うと、さつまいもの起源は確か中南米でしたよね。それが十五世紀末の新大陸の発見により、まずはヨーロッパへ伝わり、その後中国、東南アジア、琉球、奄美等を経て、十七世紀初めには長崎、鹿児島まで到達しました。古くは江戸時代に近畿以西を襲った享保の大飢饉(1732)をはじめ、食糧難の時にさつまいもで多くの人命が救われたという逸話も残されています。

 中南米産のさつまいもがぐるりと地球を周って日本に伝わったように、みなさんの取り組みが日本から世界に飛び出し、海外のネットワークまで通じたら面白いなと思います。とても夢のあるところに着眼されたプロジェクトが多いので、そういうふうにも感じました。

若狭

 ありがとうございます。頑張ります。


■職能に求められること、資格

前田(学芸出版社)

 私からも質問があります。これはお二人ではなく、角野先生にお答えいただいてもかまいません。お話を聞いていると、従来のプランナー像とは随分違っているなと感じました。単純に言うと、プランナーとはプランを作る人、計画をする人ですよね。でも、プランナーのお仕事としてやっていることも従来のプランナーのイメージとは随分違うように思うんです。もっと相応しい名前、より適切に表現できてワクワクするような名前があるような気もします。

角野

 では、この質問の絡みで私もコメント致します。とにかく今日は、お願いしていた期待通りのプレゼンテーションをしていただいたと非常に喜んでいます。その上で、今の質問に重ね、私からも質問です。

 冒頭でも申しましたように、今、都市環境デザインの職能がどんどん広がって、ある意味わけの分からないことになってますよね。今日は、まさにそのわけの分からない状況をうまく紹介していただきました。

 例えば、こういうお仕事ではプロデューサーやディレクター、あるいはコーディネーターという言葉で説明することもできるでしょう。あまりそういう名称を付ける必要はないのだろうとは思いますが、もし「あなたの得意技は何ですか」と聞かれた時、一言で何と答えますか。

 それから、それに関連したことですが、大学で教えていますとよく「資格が欲しい」と言う人をいっぱい見るんですよ。あなた方は何か資格を持ってますか?

若狭

 福祉住環境コーディネーター3級を持ってますよ。片寄先生の紹介で受けたら、通ったんですよ。

角野

 従来の都市環境デザインの仕事で言うと、やはり国家資格みたいなものがあって、みんなそれをとらないと商売にならないぞということがありました。

 結局、これも職能の話に戻るのですが、一体あなた方は何者で、今後何者になろうとしているのかを教えて下さい。

若狭

 そうですよね〜。どうぞ。

綱本

 こういう質問は僕ですか〜。若狭はいつも口火を切ってくれるんですが、めんどくさい質問は僕に回すんです。こういう時、二人いると便利だなあとは思ってます。

 今、仕事していく上での資格というお話が出ました。僕自身はこの仕事に関わることで大事だと思っていることは、資格の有無よりも表現できないと相手と渡り合えないということです。これは常に感じています。

 僕は美大時代に絵の勉強を始めたので、そこから逃げることがなかなか出来ないのですが、実は若狭は一時期写真の勉強をしていて、それが表現手段のひとつになっています。今日見ていただいた写真もほとんど彼が撮りました。だから借り物の写真や画像が一切なくて、全部自前です。そうやって視覚的に何かを伝える技を持っていることは、非常に大事だと思っています。

 人に伝えるものという意味では、文章もそうです。格調の高い長い文章を書ければいいという問題ではなくて、やはり人との接点は限られた時間の中で行いますから、簡潔に表現することが大事です。キャッチコピーを作るような職能も必要だという気がしています。

 ですから、何らかの形で人の心をつかむ表現方法を持っていないと、この仕事は伝わらないと常々感じています。

 その上で資格というお話に戻ると、何も表現したいものがないのに資格だけ取っても仕方がない。勲章をぶら下げているだけの退役軍人みたいになってしまって、何も出来ないと思うんですよ。

 逆に本当に絵の勉強を突き詰めたいのだったら、建築士とかの方向にも向かったりするかもしれませんし、カラーコーディネーターなどの資格が必要になってくるかもしれません。

 やりたい興味に向かって必要なスキルだと思ったら、資格は血となり肉となるでしょう。しかし、ただ漠然と資格を履歴書に並べたいだけだったら、あまり身に付いてないんじゃないかなと思っています。

若狭

 僕の得意技はもうひとつあって、それは「人見知りしない」ことなんです。

 チームを作ることがけっこう大切だと申し上げましたが、違う街へ行って全然知らない人たちと一緒に機嫌良くなる場を作るのって、けっこう大変なんです。たぶん役所の方はそれが苦手な人が多いんじゃないかと思います。そういう時に僕みたいな人間がいたら、やりやすいのかなと思います。そういう資格があればいいですよね、「人見知りしない1級」とか。あったら僕は黒帯級だと思いますよ。

 それと、デザインはやはり大切だと思っています。それもプレイヤーとしての活動の中で培ってきました。雑誌作るときも、デザインは全部自前でやっています。今日お見せしたポスターやチラシも、ほとんど我われがデザインしました。やはり形にする時に、「いいの出来たな」と思わせるのは大事なんです。最初に心をつかむことですから。そういうデザインセンスは必要でしょう。ダサイ人に自分の街の仕事は頼まないでしょう。

 資格と言われたらそういうのが欲しいとは思いますが、でも目指せと言われるのはたぶん「中小企業診断士」「建築士」だと思います。今は商業の分野に関わることが多いので、そういう部分を求められたりします。専門家登録をする時も、資格の欄には「福祉住環境コーディネーター3級」と書くのが悲しいです。

 でもそういうことは難しいですね。後から資格が付いてきたらいいなとは思いますが。

角野

 いや資格を取って欲しいという意味で質問をしたんじゃないのです。結局自分の専門にあまりこだわってないから、いろんなことが出来るんですよね。雑誌の編集や商品開発とか、多岐に渡っていろんなことを生み出し、それを組み合わせていく仕事だと理解しています。

 だから、こういう仕事のやり方が今後、他の領域でもきっと出てくるだろうと予想しています。

 そういう時に、このJUDIという組織がいったいどういう人たちが構成する団体になるのかなと思うんです。そういう人たちがどんどん入ってくることを期待するところがあります。そうすると、従来の職能も刺激を受けて活性化するするかなと期待しています。これは、私の単なる感想ですが。


■プレイヤーとプランナーの領域

上房陽(建築意匠設計)

 ひとつお聞きしますが、プレイヤーとプランナーの領域ってあるでしょうか。尼崎での立場と、よその街での立場はおそらく若干違うかと思います。その時に、お二方の作法と言いますか、自分自身のプレイヤー、プランナーとしての立場があるのかどうかを伺いたいのです。また、尼崎とよその街ではどういう立場なのか、そういう領域的なことをお聞かせください。

若狭

 それは我われも悩んでいるところです。街によって関わり方は全然違ってきます。重なる部分がどれだけあるかは、街によって違います。

 プレイヤーがたくさんいる街では、我われは本当に黒子の立場に徹して、プレイヤーたちが気持ちよくできる環境をどう作るかに徹しています。そこではプレイヤーの顔は見せません。

 ただ、あまりプレイヤーがいない街、プレイヤーがノウハウを持ってない街では、自分も一時的にプレイヤーの一員となります。「みんなでこういうこと出来るやん」「楽しいやん」と見せることは、よくありますね。

 だから、それは本当に街のタイプによりますね。そこの役者の具合によって、我われの顔も変えていくという感じです。

 尼崎では、僕らはプレイヤーとしての自負は強くあります。ちょっとしたプランナーが尼崎に来ようものなら、協議会に呼ばれても「なんじゃい、お前ら、何が分かっとんねん」と暴れたりします。だから、よそから来たプランナーにとっては僕らはうっとうしい存在だと思いますよ。

 でも、それは逆もあるわけで、そこの作法はわきまえておきたいところです。だからきちんと役割を分かっている方がいいと思いますよ。

綱本

 プランナーとプレイヤーの領域の話ですよね。

上房

 ご自身の中で、そのルール付けがあればお聞かせください。

綱本

 僕がプレイヤーとしてやる部分は、ノウハウの開発部門だという気がします。これは尼崎がプレイヤーとしての地元だから、コストや時間を意識せずにいろんなことを開発できるのですが、プランナーとしてはそこで開発されたものを実際に商品として売っていくことを考えています。そういう違いがあるかなと思っています。

 例えば、運河クルージングの事例では、見せ方、運営の仕方、人の集め方を開発しました。他のところでガイドツアーの話をいただいた時は、自分が開発したノウハウに基づいてお話が出来ますし、アドバイスもできると思っています。


■君たち仲いいの?

片寄

 私は彼らのゼミの先生で、今日は何度も名前が出て恐縮です。親がええかげんやとええ子が育つと言いますが、教授がええかげんやと学生がこんだけ育つんだという実例を見せていただき、今日はありがとうございました。

 ところで、君たち仲いいの? それだけ質問してみたい。

綱本

 それは企業秘密です。

若狭

 今日のジャケットとパンツを見たら分かるじゃないですか!
 角野先生もさっきおっしゃっていましたが、二人の役割分担がありまして、見ていただいたら二人のキャラクターが全然違うことがお分かりだと思います。

 漫才師コンビはプライベートでは全然お酒も飲まないし、つき合わないとよく言われますよね。その感覚に近いかなとは思いますね。毎日毎日顔をつき合わせていると、そりゃ腹の立つこともありますが、その辺は二人とも大人ですから。


■運河の水質浄化に向けて

森紗綾香(NPO)

 今お話に出た運河の水質を綺麗にする取り組みをここ5〜6年ほど続けています。学生の頃にその取り組みを始めたのですが、卒業してからはNPO という形 で本格的に続けようと思っています。つまり、プレイヤーからプランナーの方に目を向けている状況なのですが、活動する際に何か注意することってありますか。

若狭

 夏場のニオイは大変ですよね。それと運河があるのは、工業専用地域だからです。だから、人はまず歩いてない地域なんです。ですから、我われがクルージングをする時の取り組みとして、ここに関心のない市民をどう足を運んでもらえるか、その仕掛けを考えました。けっこう大変なことですが、それが面白いことでもあるのです。

 我われもクルージングをしてて思うのですが、人に来てもらうには水質浄化とセットになっていると思うんです。最終的には、あの運河がベネチアのようになったら良いと思っていますが、そのためには水が綺麗でないといけません。でも、普段誰も歩いてないところの水なんか、気にしなくてもいいと誰もが思っていますよね。クルージングをやっているのも、そこに足を向けてもらって汚い、何とかしたいと思ってもらうのが最初の狙いなんです。それとうまく連動出来たら面白いかなと思います。

 去年、クルージングで講師をさせていただきました。徳島大学の助教です。

若狭

 あーあの時の。その節はお世話になりました。

綱本

 確か、尼崎の水質浄化を研究されていましたよね。この間、完成したばかりの。

 そうです。水質浄化プロジェクトのスタート時から関わっています。

綱本

 今、尼崎の運河の水質は本当に悪くて、魚が住めるのは水面から数十センチの所に限られていて、そこから下は無酸素状態になっているんです。生き物が住めないから、それを浄化するために、生き物の浄化能力を利用して水質浄化を狙う実験を今しているんです。あさりなど貝類の浄化作用、葦の浄化作用を借りて水質を少しずつでも綺麗にしていこうと、壮大な実験が始まった所なんです。

 僕が思うには、水質が悪いことをPRしてもますます人は遠のいて、ネガティブキャンペーンになりかねないと思っています。ですから、あの場所に関心を持ってもらうきっかけとして、可能性を感じるのは堂島川付近でされている「パドルボート」はどうだろうかと思っています。これはサーフィンの板のような物に乗っかって、棒で漕いで進む新しいスポーツです。それが今中之島でインストラクターが教えたりして、ちょっとずつ広がりを見せているんです。面白そうだから尼崎でもやりたいという人がいて、明日(4月21日)に現地でやる予定なんですよ。それはまず体験としてなんですが、できたらもっと頻繁にやっていこうと話しています。尼崎の運河は船がほとんど通っていませんし、内海で波もないからこういうので遊ぶのには絶好の環境なんです。一度乗ったら、体験者は「ああここの水は良くない」とすぐに分かるでしょう。そういう所から水質浄化に向けた実感を持ってもらうのがいいかなと思っています。ここの水質浄化にはかなり注目しているところです。


■プレイヤーだけで食べられないか

泉英明(ハートビートプラン、大阪旅めがねか)

 今の話で行くと、プレイヤーとしていろんな実験をして、それをプランナーとして活かして、プランナーの方でお金を稼ぐというモデルだと思います。でも、逆にプレイヤーとして稼ぐというモデルはないでしょうか。

 例えば、こういう仕事をしているとたいていは行政や商工会議所、ディベロッパーがクライアントになるのですが、この間水都の取り組みをしていると、全然違うところから「協賛してもいい」とお金が入ってきました。そもそもクライアントの性質も変わってきているのかなと思えることもあります。お二人のモデルだと、プレイヤーで実験してノウハウを身につけプランナーで稼ぐというやり方ですが、プレイヤーでネットワークが広がることやプランナーでいろんな都市と水平連携できることを活かして、プレイヤーで稼ぐというモデルはできないかなと思っています。その辺に何か方策はありそうでしょうか。

若狭

 いや〜ないな〜。僕ら甘くて、プレイヤーの部分は「ええやん、楽しかったら」で終わってるんですよ。まだまだ甘いですね。でも、その部分で食べられたら本当に良いと思いますよ。そうしたら、この仕事に憧れて、僕もやりたいという人が増えてくると思うんですよ。この仕事で食べられるんだと思わせないとあかんですよね。それこそ地区計画のアンケート仕事なんかをすることなく、食べられたら一番良いじゃないですか。それが一番理想ですよね。そういう仕組みが出来たら、是非僕らも乗せて下さい。よろしくお願いします。


■まとめコメント 資格よりも一芸に秀でていることが大事

角野

 今日は予想以上の参加があり、みなさんありがとうございました。しかも、JUDI会員じゃない人の方が多かったと思います。何が言いたいかと言うと、実はJUDIはこういうセミナー屋ではありません。ここに来られる方同士でいろんな情報交換し、それが新しい仕事につながるようなことがあれば良いと思っています。また、こういう公開セミナー以外にも研究プロジェクトをやっています。そこでは、もっと濃密な議論が交わされています。

 ただどの組織も同じだと思いますが、JUDIにもなんとなく高齢化が進んでいるのが気がかりです。私は世代交替が必要と言いたいわけじゃなく、もっと世代が重なる組織にしたいと思ってます。今日はフレッシュな人たちにも来ていただいたので、この際ぜひJUDI会員になることを考えていただければいいかなと思っています。詳しくはホームページをご覧下さい。どうしてもネットではセミナーの報告は著作権上の問題もありまして、一部のエッセンスしか紹介できないところがあります。より濃密な情報交換をするためにも、JUDI会員になっていただけたらと思います。

 ところで今日のまとめですが、最初に問題提起させてもらったように、都市環境デザインの職能は今後どうなるのかというところに今日のテーマがありました。前回もそういうテーマで永田さんに発表いただきました。このテーマは我われ全員に関わる大きな課題だと思っています。要するに、街を作っていくのは誰なのかということです。その中で、専門家という存在はまちづくりの中で成立するのかどうか。

 その中で、今日は「プレイヤーとプランナー」の切り口でご報告いただきました。しかし、プレイヤーがplayerではなくprayerになると「祈る人」になってしまいます。祈ってくれる人もまちづくりに必要かもしれません。そういえば、尼崎には坊主もいましたね。それから大学でいろんな研究や教育を担っているリサーチャーもやはりしっかり位置づけて行きたいと思っています。そんなことを思いながら今日のお話を聞いていました。いろんな刺激になって、考えさせられる報告でした。ありがとうございました。

鳴海

 今日はたくさんの人に来ていただき、どうもありがとうございました。私はJUDIの最初からのメンバーでして、そろそろ世代交替と言うか、若い人にもたくさん参加していただきたいと思うので、角野さんがおっしゃったようにJUDIへ参加していただきたいと思います。

 今日の議論ですが、実は日本だけでなく海外でも同じような状況になってきているんですね。例えば、ある本では「プランナーではなくアーバニストになってほしい」と書いてありました。プランナーは計画する人だけど、アーバニストはまちづくりを実践する人だという意味です。

 また別の本では「まちづくりにはサイエンスよりもアートが必要だ」と書いてあります。サイエンスは科学だからアートは芸術と訳すべきかと考えて読んでいましたが、どうももっと幅の広い意味合いで使われているようなんです。「芸術」よりは「芸」と訳す方が適切で、芸を持ってないとまちづくりはやれないと読めました。だから、誰でも出来るものではないかもしれないのです。だから資格よりも、一芸に秀でることが一番大事なんです。資格は最低限のハードルで、それが越えられた方できるというわけではないと思います。それが自分の芸になるぐらい高めないといけないのだと思います。

 今日はたくさん参加していただいてありがとうございました。この後の懇親会でも意見交換をしていただければと思います。セミナーはこれで終わります。

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