バルセロナ旧市街の再生
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「都市再生」時代の再生戦略

 

■はじめに

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阿部

 紹介いただいた阿部と申します。昨年の4月から京都の龍谷大学の政策学部におります。もともと私は京都の隣、大津市の出身でして、久々に関西に戻ってきたという感じです。今日も何人か、研究会で顔を会わせている同世代の方が来てくれているようですね。お忙しい中、来て下さったことを大変嬉しく思っています。

 今鳴海先生が紹介して下さった本は『バルセロナ旧市街の再生戦略』というタイトルで、私自身は旧市街、いわゆる歴史的市街地を対象として研究してきました。今日はそれをメインにしながらも、旧市街だけでなくバルセロナの都市戦略自体もご紹介していこうと思っています。

 バルセロナは都市再生の典型的な成功事例としてよく出てきますし、私がバルセロナに調査に行く時も必ずどこかの機関が視察に訪れているような街です。ですから、本日は、大きな注目を集めてきたバルセロナの都市戦略が全体的にどのような流れで行われてきたのか、その中で旧市街はどのような位置づけにあったかという視点で、説明していきたいと思います。副題にあげた「個別・小規模な環境整備から広がるまちづくり」というのは、学芸の前田さんからいただいたタイトルですが、旧市街に限っては確かにこのような戦略がとられていました。

 ところで、この会場の中でバルセロナに実際に行かれたことがある人はどのくらいいらっしゃるでしょうか(会場、半数以上が挙手)。…おー、これはこれまで話してきた中では最大の比率ですね。じゃあ、今日は心おきなくいろいろ説明しようと思います。

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 まずは都市再生についてです。都市再生という言葉自体は、特に日本では小泉政権以降頻繁に用いられるようになりましたが、ヨーロッパのUrban Regenerationという運動は1980年代後半から盛んになっていました。東京大学の都市持続再生研究センターが出版した『世界のSSD100』という本があります。世界の都市再生の成功事例を集めたカタログのようなもので、あまり分析的ではないかもしれませんが、建築作品ではなく都市再生の運動や政策の蓄積を収集した点で画期的な本だと思います。この本に掲載された事例を見ていると、少なくとも欧州においては、いくつか共通点があることに気がつきます。

 ヨーロッパの都市再生のアプローチは、理念的にはけっこう単純だと私は理解しています。まず交通の問題です。車中心だったところをいかに歩行者中心の空間に変えていくかという政策です。つまり、通過交通を排除し、パブリックスペースを回復する。あるいは空間の公共性を回復すると言っても良いでしょう。そこに空間があるからと言って、空間=パブリックスペースというわけではないですよね。その空間がいかにして公共性の高さ、つまり誰もがアクセスできる、行ってみたいと思わせる質を保つか。それをヨーロッパの都市はやってきていると思います。

 そうした都市政策の背景には、街路空間が公共空間としての意味を失っていった歴史があります。バルセロナの現代文化センターの調査によれば、1970年の道路空間における歩行者数は、1910年の歩行者数に比べると4分の1までに減少していたというデータもあるぐらいです。特にヨーロッパ諸都市の場合、中心市街地がもともと人間のためのスペースとして歴史的にも根付いていたので、都市の主役が人間から車に取って代わられているという事態に、1980年代からずっと危機感を表明してきました。それを克服しようと、いろんな取り組みが行なわれています。LRTを軸とした道路空間づくりを展開しているストラスブール、河川空間を取り組んだみちづくりで著名なデュッセルドルフ、グッゲンハイム美術館を起爆剤に川沿いの空間を見事に蘇らせたビルバオ等、公共空間再生の事例は枚挙に暇がありません。そして、公共空間を通した都市再生政策の根本にあるのは、バルセロナの取り組みだったといっても過言ではないのではないかと思います。

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