北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の展開 |
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「金村龍吉」さんの空き家私たちの事業で、ある意味エポックメイキングになったのが、図にある「金村龍吉」さんの空き家を解体したことでした。金村龍吉さんの土地は2001年に返還を受け、その後6〜7年ほど空き家のまま置いていました。気がつくとかなり朽廃して、2008年に我われの手で解体することになったのです。この家は路地奥にあったので、重機が使えないのですね。ですから、すべて手ばらしで解体しました。坪単価で4万を超える解体費を強いられたわけです。家を空き家で置いておくと、固定資産税が6分の1となって税負担の軽減を享受できるのですが、結果的に高く付く。これが我われがこの家から学んだ経験です。
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NAMURA ART MEETING2004年にはNAMURA ART MEETINGを開催しました。それが一定の評価を得たことから、芸術・文化の力を目の当たりに体験致しました。そこで、名村造船所大阪工場跡を「クリエイティブセンター大阪」と名付けまして、これを中心に周辺の空き家に芸術や文化に関わる人々を低廉な家賃で住まわせようとしました。これが「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」のもとになっております。
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AIR大阪ここは「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」が始まる少し前に、空き家を活用した事例です。もともとは借地人さんが旅館を経営していたのですが、実際の借地人さん(この人が旅館免許を持っていました)は遠方にお住まいで、実際の運営をされていた方はまた別の人でした。運営をしていたおばあさんが亡くなったので、解体して返還したいというお話になりました。一般にアーティスト・イン・レジデンスは旅館免許を取らずにやっていることが多いのですが、ここはたまたま旅館免許をお持ちでしたので、旅館業法の免許の書き換えをお願いして、建物を現状の姿のまま引き取り、アーティスト・イン・レジデンスを始めました。 ここで面白いのは、テレビの「ビフォー・アフター」のように、アーティストが泊まるたびにいろんな所を補修してくれるんです。アーティストは器用な方が多いですよね。ですから、ここは泊まられた方の手でどんどんリニューアルされ綺麗になっていきました。
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コーポ北加賀屋 2009年4月オープン 薄い青:空地、濃い青:空き家、濃い緑:駐車場 赤:賃貸地 橙:KCV (以下同じく) |
私たちは空き家を賃貸に出す時、基本的に躯体は我われの方できちっとしますが、あとは関知しないという方針をとっています。また、もうひとつのポリシーとして、トイレは温便座・ウォッシュレットまで我われの手でやっています。
こちらはかなり大きな建物なので、それに見合った家賃をいきなり負担するのは苦しいだろうから、傾斜家賃方式にしています。1年目は3万円ぐらいからスタートして、現在は33万円で貸しています。
ここの名前に付いている「コーポ」はコーポラティブハウスから来ているのだろうと思いますが、入居している方々は気の合った入居人を選んで、それぞれに応分な家賃を負担されています。傾斜家賃ですから、途中で次々と新たな借家人を募集しています。現在も1フロア残っていて、入居者募集中だと聞いています。
鞦韆館 2009年4月オープン |
ギャラリー創造 |
おしま絵画教室 |
Co. to. hana |
彼らの希望は集まれる場所が欲しかったということで2階だけで充分という話でしたので、1階には我われの方で花屋を誘致しました。花屋さんが家賃の大半を払っています。契約は「Co. to. hana」さんの方と契約しているのですが、花屋さんが家賃の大半を負担していることで、彼らの活動コストにも負担にならない額に抑えられています。
ク・ビレ邸 |
2010年、2011年 おおさかカンヴァス |
我われも2010年には、「フラミンゴ畑」「b friends on」の二つの作品の場所を提供しました。
2011年には「NAMURA」「床書キ原寸」「空の器」「明るい/暗い家」の4つに提供しました。
中でも「NAMURA」の4階で開催されました後藤靖香さんの「床書キ原寸」という作品はとても評価が高く、第四回絹谷幸二賞を受賞したり京都市立芸術大学学長/埼玉県立近代美術館館長建畠晢さんが選ぶ「今年の展覧会ベスト4」に選ばれるなど話題になりました。
HOPE 2011年6月オープン |
これは先ほど紹介した 鞦韆館(しゅうせんかん)ですが、鞦韆館はその後場所を移動して、ここが空きました。今はここに6人の若いアーティストが暮らす住宅になっています。
外観も、鞦韆館の時は真っ赤だった外壁を真っ白に塗り直しました。家賃は従前と変わっていません。
cornucopia |
隠れ家1632秘密基地 2011年9月オープン |
カナリヤ条約+鞦韆館 2011年10月オープン |
協泉加工跡 メガアート倉庫 |
ここは非常に大きな倉庫だったところです。アーティストの方々が大きな作品を作ると、その保管場所に困るという話はよく聞きます。それで、こういう広い建物にそうした作品を無料で保管するという計画をいたしました。これからはアーティストの方々も、ここで預かってもらえるなら安心して大きな作品を作れるでしょう。
我われの狙いとしては、そうした大きなアート作品を集めている場所が日本にはないことから、年に数回そうした作品をお披露目する場所として使えればと考えています。海外には、ミラノの郊外などにそうした場所がありますが、日本にはまだほとんどないはずです。本来は展示場や美術館のように常時お披露目すべきなのですが、日本では法規制の問題上難しいことから、年に数回お披露目する形でやっていけたらと、現在その計画を進めているところです。
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名村造船所跡地が近代化産業遺産にこの写真は、バブルの少し後、1991年の名村造船所跡地です。当時はまだリフティング・クレーンが残っていました。しかし、クレーンは塗装するだけで1千万円以上の費用がかかりますし、それをサボるとクレーンが錆び付いて事故につながりかねませんから、スクラップとして売り払ってしまいました。今となっては惜しいことをしたと思っています。当時、ここはバブル時のプレジャーボートの基地として活用していました。今も反対側にその名残が残っています。2007年に、この名村造船所跡地が21世紀協会の堀井理事長さん等のご尽力もありまして、綿業会館と並び経済産業省の「近代化産業遺産」の一つとして選定されました。そのことが我われと行政とが関わるきっかけとなりました。
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北加賀屋レポート・ぷかぷか便り行政としましても住之江区内に経産省が選んだ「近代化産業遺産」があるからには、それを活かさない手はないということで、その歴史や魅力を発信したい、また今後どうしていけばいいかと考えました。それを検討しようと、「近代化産業遺産を未来に活かす活性化委員会」という長たらしい名前ですが、委員会を立ち上げることになりました。この委員会は行政を柱にして、私たちと地元民との間で組織化されています。
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すみのえミュージックフェスタ活性化委員会の活動成果のひとつが、写真の「すみのえミュージックフェスタ」です。2009年から3年間は行政の援助を受けて、いわゆる「おじさん・おばさんバンド」の大会を開催しています。ご存知かと思いますが、行政のそうした事業援助は3年で一区切りすることになっていまして、今年からは完全に民間に移管されて行なっています。おじさん・おばさんバンドが自ら企画・運営する大会になりました。小さな事例ではありますが、官から民へ移行が成功したひとつの事例ではないかと思います。
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ク・ビレ邸 |
一般に我われ地主と借地人は、冷たい関係なんです。というのは、土地は一旦貸すと二度と返ってこないというのが地主の立場ですから、賃貸契約をして握手をしたら、その途端にお互いが利益相反になってしまうのですね。我われ地主としては同質同量のものを少しでも高く貸したい、借地人さんとしては同質同量ならなんで高く借りないといけないのか、景気も悪いのだから安く貸してくれと思ってしまいます。こういうことで、なかなか両者の交流は少ないのです。
これが従来の地主と借地人の関係だったんですが、冒頭の航空写真を見て頂いたように、そのまま放っておくと、荒廃してとんでもない姿になってしまいます。それを手をこまねいて見ているよりは、我われの方から借地人さんや地域住民に働きかけることが必要だろうと、このク・ビレ邸の活用を考えたのです。
「近代化産業遺産を未来に活かす活性化委員会」が表の組織だとすると、ここのク・ビレ邸はいわば裏の組織とでも言いましょうか、アルコールを介した組織だと私は位置づけています。
このク・ビレ邸は情報発信基地として作ったのですけど、運営は、先ほど紹介した鞦韆館を営んでいる舞台監督とそのパートナーがやっています。彼らが街に溶け込むことによって、我われが何をやっているかが伝わるようになりました。
「いったい千島土地は何をやっているんだ?」「何やら若い人がいっぱい街に入り込んで得体の知れないことをやっているけど何なんだ?」といった地元の人の「?」を、アルコールを介しながら説明してくれています。現在は、新しい若手の方々も夏祭りや町会活動、地元の運動会に参加することで、地域住民とのパイプ作りが出来るようになっています。
空き地プロジェクト「北加賀屋クリエイティブファーム」 |
今までは空き家の活用を主に手がけてきたのですが、空き地をどうするかが問題でした。冒頭に申しましたように、駐車場にしようと建物をつぶしたけど空き地のまま放置しておいた場所が何カ所かあります。これをどうしようかと思った時に、新たに「都市型農業」という発想が思い浮かびました。「北加賀屋クリエイティブファーム」と名付けていますが、都会で始める農業ということで、収穫だけを目的とするのではなく、アーティストの感性を加え、ワークショップや勉強会など様々なクリエイティビティを発信するなど、先進的なコミュニティ・ファームを目指しています。
現在はそれに参加して下さる方々を集めているところです。これについては、昨今話題になっています「Studio-L」の山崎亮君にお願いし、NPO「Co. to. hana」さん達が現地の実働部隊となってやって頂いています。
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写真は1回目の募集時に来て下さった方々で、非常に多岐に渡るメンバーでした。学生さんから地元の病院に勤めている方、子どもさんが興味を持っているから親御さんも来たなど、いろんな人が集まってくれました。 「北加賀屋クリエイティブファーム」という試みを通じて地域住民とのパイプ作りもし、地域を活性化していきたいと思っているところです。
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新聞記事にもなっているのでみなさんご存知かもしれませんが、毎年「NAMURA」で開かれていた年越しイベントが風営法に基づく許可を得てないとして中止になりました。これは警察庁の管轄でして、夜中までダンスなどをしてはいけないとする通達が厳しくなったのです。
また、我われが運営を委託する先が「こういうイベントはチケットが高いから、ウチは来るものは拒まず」という姿勢でやっておりましたけれども、それはけしからん、してはならないということで指摘を受けました。
さらに悪いことに興行場法という法律がありまして、どういうものかみなさんご存じない方が大半でしょうが、健康福祉局の管轄となっていて、劇場でお弁当を出して食中毒はいけないというような昭和23年に施行された法律です。【トイレの数や換気設備を細々と規定しており、】これにも違反してるじゃないかという指摘があったのです。
こうした「法律違反」に引っ掛かってますのは、大阪では一心寺シアターさんと我われです。こうしたことが「法律違反」にされてしまうと、「シアトリカル應典院」ももちろんダメですし、現在此花でやっているプロジェクトも全部ダメになってしまいます。
これは市の管轄なんで何とかクリアしていきたいと思っているところです。
たまたま橋下新体制になって区長に権限が委譲され、健康福祉局も区長の下に属する形になると聞いておりますので、8月以降、ここだけでも何とか隘路を抜けるようにしたいと考えています。これが、今名村造船所跡地が抱えている問題です。