日本の街の衰退の一因は都市計画の失敗にある |
日本国内のいたるところでこのような現象がおきています。このような寂れた中心市街をいかに再生するかが、今後の都市環境デザインの分野に期待されていると私は思っています。
これは別の町ですが、私が関わっている北海道のある町です。人口のデータを見ますと、町村合併以前の旧市域全体は昭和40年代後半以降、全く変わっていません。しかし中心市街の人口は十分の一ぐらいに減ってしまっています。厳しいことにJRの利用客数は三分の一以下に減ってしまいました。バスも同様で、まさに公共交通は消えようとしています。
近代都市計画は欧州都市における産業革命後の混乱、町の中心部で煤煙による呼吸系疾患が悪化し、平均寿命が二十歳以下というような状況、これを克服するために成立したと言われています。その大きな柱が田園都市でした。もう一つがCIAMのアテネ憲章です。
後者は「働く、住む、憩う、交通」という四つの都市機能、商業地・工業地と住宅地、公園・緑地そしてそれらをつなぐための道路網など、今のわが国の都市計画の基本である用途地域制と都市施設整備のバックボーンとなりました。あの当時は正しかったのでしょうが、「このまま続けて良いのか」という疑問が学生時代、そしてこの数十年強まっています。
私は、都市環境デザインはポスト近代都市計画を実現するための重要な存在であるべきじゃないかと考えています。
機能都市から感性都市へという大きなトレンドがあるんだということです。
また地方都市の場合は新都市計画法(1968年)が大失敗でした。特に過大な市街化区域を設定したこと、また中心部を赤い商業地域に塗ったことです。そうすることで居住機能を喪失させた。高い容積率も高地価を生みました。
当時、建設省のお役人たちはもうすこし厳しい規制を考えていたようですが、政治的な圧力に負けて、市街化区域と市街化調整区域の線引きが、地方ではまったく意味を持たなかったのです。私の田舎も、田んぼや畑がみんな市街化区域に入っていました。いまや私が住んでいたところは人口急増地です。中心市街が空っぽになった分の受け皿になっているのが実態です。
もう一つの失敗は商業地のアーケード街です。これが住む機能の喪失にたぶんに関わっています。アーケードによって日照・通風が遮られ、まっさきに富裕層の商店主が郊外に転居し、車で通勤するというパターンになりました。郊外ショッピングセンターも野放図につくられてしまいました。
都市機能もそれにあわせて郊外化し、多くの町で市役所や警察署、病院などが郊外に出て行きました。