都市環境デザインの再生
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議論

 

 

前田裕資(司会)

 遠慮せずに議論いただくために、口火を切ります。

 良いお話なんですが、30年前からこういうお話はいろいろな先生方からお聞きしていました。30年前に今に通じることを言われていることは凄いことですが、「30年間たっても動かせなかった」「何をやっていたんだ」「実現できないのには何か理由があるはず」ということでもあります。

 これでは「都市環境デザインは大事だよ」と言っても、相手にしてもらえないんじゃないか思います。


■街に対する意識が変わってきた!?

山本一馬

 住民が危機感があるような仕事をすると、本気で考えられるようなこともあるのでしょうが、大阪あたりだと良い街のイメージをお持ちではないからか、本気になってもらえないんです。

 行政にやる気がなくても、ユーザー側が本気になれば動かせると思いますが、それが望まれていないということが一番難しい問題ではないでしょうか。

中野

 前途多難と言っていますが、期待も持っています。

 大学で教えてつくづく感じるのは、郊外居住や車を持つことに興味を持っていないんですね。若い人たちが。

 1970年代に郊外に住んでいった人は、いま、60、70、80歳になっていますが、元気な人は街なかに戻り、元気のない人が、車も運転できなくなって郊外に取り残されています。そして郊外の限界集落化が起こってきています。

 ヨーロッパの街をたくさん見てきた人たちが都心居住に興味を持っています。また東京では豊洲などの湾岸住宅地に若者が集まっています。だから、ひょっとしたら新しい方向を生み出してきているのかなと期待しています。

 ただ日本人の大多数の人は「街なかに戻るのが良いことだ」とは思っていないんです。なぜなら街なかは稼ぐところで、車もいっぱい走っていて、住むところじゃないよということです。私も正直「今の状態だったら街に戻りたくないよ」と思います。

 だけど中心市街にマンションを造ったら住む人が出てきています。これからその人たちの生活環境をどうつくっていくかが課題だと思います。

 鳴海先生は30年前に『都市の自由空間』の原型をすでに書かれたとのことですが、その当時は高度成長の時代の余韻にひたっていて、「なに言っているの!?」という受け止め方だったのでしょう。

 今は意識が変わりつつある転換点なので、うまくそれに乗れば、新しい都市づくりの可能性が出てくるのではないでしょうか。


■都市環境デザイナーは実践すべき

中野

 また、もう一つは実践をすべきだということです。私は門司港をはじめ実践をしてきました。現地の方々と話すかぎりでは良い感触を得ています。ただそれはごく一部でしかないので、それを世論にし、世の中全体を動かしていきたいんです。

前田

 実践をしようにもお客さんがいないという状況で、どうしたら良いんですか。

中野

 やっぱり、専門家だけの間で、内輪で議論しすぎていると思うんです。

 物をつくるということは、見ず知らずの人も体験してくれるし、理解してくれるという点で最大のツールなんです。

 たしかに私が事務所を作ってからの28年間、たくさんの仕事をさせていただいて幸せでした。まさかここまで来るとは思いませんでしたが、最初から「物をつくってナンボの世界だ」と思っていました。それが今のところ成功してきていると思っています。


■仕事はもらうものじゃない、作るもの

中野

 それと、お施主さんから仕事を貰うんじゃないんですよ!。仕事を作るんです!。

 たとえば長野県の東御市庁舎改修設計の仕事を取りましたが、あれは仕事があったんじゃありません。「新しい市庁舎を建てたいんだけどどうかなあ」というお話があったので、勝手に保存改修と一部新築、そして周辺公共施設群の用途転換も含む改修提案を持っていったんです。これが結果として公開コンペになり、正式に応募し、最優秀として選定してもらった。若い頃、安藤忠雄さんの講演を聞いて「俺もこんなことをやらなきゃいけないな」と思ったんです。

 やりたいと思ったことを自主的に提案して、それで乗ってきたら、仕事にしてゲットしていくということをやってきました。門司港だって最初の数年間しか仕事を与えられなかったんですが、仲間が増えて声を掛けてくれるようになっています。仕事はつくるものなんです。だから少しひもじくてもコンペでも、提案でもなんでもやりましょうよ。

会場

 提案するポイントは何でしょうか?

中野

 仕事がないところに提案しても、仕事にならないというのは事実です。だから世論を喚起して、自分たちが住む環境を良くしていこうよという市民を増やしていかないと、行政もお金をつけてくれないし、事業も興ってこないというのが私の持論です。

 海外の事例を調べてみると、そういう仕事をだれかがしているんです。それに市民が共感して、最後に政治家が動いています。

 いま話題のハイラインもそうですよ(ニューヨーク、ボストンの都市デザイン最新事情報告参照)。

 ネット上で知り合った2人が「こうなったら良いね」ということを、ネット上で提案して、共感を呼び、最後は市長選に出る政治家が支援して実現したというプロセスです。まさに石を投げてみないと分からない。日本でもそういうことをやっていくべきだと思います。

 そうやって仕事をつくるというのもあるんじゃないでしょうか。

 理想的すぎますか? そうあって欲しいという思いですが。

前田

 そういうことをうまくやっている自治体はありませんか。

中野

 ですから、ここで紹介したチェスターとかが、そうですよ。

 えっ、「日本で」ですか。ありません。

 ただ門司港でも300億かけたと言われていますが、道路整備が100億、護岸が100億とかいったオーダーです。都市環境デザイン的なところは全体の1割ぐらいしかありません。


■中堅・ベテランが良い仕事を出来ていない?

長町志穂

 昨日の晩も、こんな議論をまちづくりプランナーの泉英明さんと若手の建築家と夜中の3時までやっていました。

 私が思うのは30代ぐらいの人たちはコミュニティデザインとかソーシャルデザインに本当に興味があって、地域のソフト的な出来事に対して自分たちのクリエィティビティを発揮することはやっている、またやりたい人も多いのです。参加型の出来事、たとえばオープンカフェをやってみようという人たちは30年前より増えたと思います。

 問題は自分がやっている公共の仕事なんかで、信じられないパース、信じられない駅前再開発のプランニング、それをプロ、都市環境デザイン会議の仲間のような立場の人が出してくるんです。

 若い人たちにモチベーションがないということは全くなくて、むしろ環境の問題への意識も高いです。だから今、現役でやっている中堅以上のメンバーに、それで良いのかということを突きつけないといけないと思いますが、そこはどう思いますか?。

中野

 まったく同感です。

 都市プランナーとか建築家の人、アトリエ系はそうでもないんですが、大手におられる方は悩んでいらっしゃる。お酒を一緒に飲むと「本当はネ、こんなの造りたくないんだけどね、仕事のためにやらなきゃいけないんだ」「あれ、僕やったんですよ」と恥ずかしそうに言われるんです。

 本音で語れば「おかしいんじゃないか」ということは出てくるんだけど、仕事のためにとか、制度がこうだから、再開発事業なんて高容積にすることで採算がとれ、補助金もついてくるんだから、超高層にせざるを得ないと言うわけです。元の土地の値段を安くすればそんなことをしなくてもいいんじゃないか、と言ったことは何で議論しないのかなと思うんです。

長町

 おっしゃるとおりで、会話が必要だと思うんです。私は照明ですが、ランドスケープとか照明はわりとコミュニティデザインに近いので、普通にやっていてもジレンマに陥らないのですが、たとえば若手の組織事務所の建築の人たちは迷うわけですよ。解決できないんじゃないかと。建築というのは常に新しくつくるものが多いですから、自分の価値観と業務として関わっているミッションとのギャップに迷うとおもうんです。

 そこでたとえば江川直樹さんがやられてきた集合住宅の仕事は、一般的な集合住宅をつくる人たちがやらずに、江川さんが解決してきたものじゃないですか。そういうことを巧く伝わる仕組みがいるんじゃなかろうか。どこかでアピールしませんか。解決して突破したという前例、萎えていく気持ちを奮い立たせる前例を伝えることで、ギリギリ迷っている30代とか、萎えそうな人たちとかに「時間が掛かるけれど、できる」という話をねばり強くすべきではないでしょうか。


■議員にも理解してもらうことから展望が開けるのでは

江川直樹

 公共空間の利活用が硬直化しているとお話されていましたが、おっしゃっていることは、ニュータウンや団地なんかでも一緒です。

 さすがに市民の人たちが「これではあかん」と考え始めていると感じています。

 そのときに、外国では議会に説明する、議員に説明することをやっているじゃないですか。ところが日本では行政と議会もギクシャクしていて、住民との関係もギクシャクしているんですが、我々も今までのように行政と一緒にやるだけじゃなくて、議員の人たちと一緒に何か考えるみたいなことをやり出したら良いのかな、と考えています。

 むしろ議員の人たちが「どうしたら良いんですか」と聞いてきたり、「俺たちも一緒に議論させてくれよ」ということが私の近辺で起こりつつあるんですね。この辺に展望があるんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。

中野

 全く同感です。

 欧米では議員なりが、市民活動に注目してコミュニケーションしてくるんですね。それを議会で紹介して、それが制度になっていくということがあるんです。日本はあまりにも議員さんが特殊な社会を造りすぎているんじゃないか。行政担当者も議員の顔ばかりみていて市民の顔をみていないというのが実態じゃないでしょうか。

 そういう意味では大阪は偉いですね。水辺がこれだけ活性化してきたのは、市民の力、橋下さんを含めた政治家の力が大きいと思っています。そのおかげで、東京で「大阪に負けずにがんばりましょうよ」と言えるんです。

 だからハイラインなんかも、誰が何をやってああいうものができたのを吹聴して、日本でもやりましょうよと言いたいんですね


■歩行者空間は空間デザインだけではできない

角野幸博

 学生時代に旭川買物公園とかを体験し、勉強しました。中野さんがお話になったことは授業で聞いているのです。

 それが30年、35年たったいま、全く同じなのか、変わってきているところがあるのかは、もっと冷静にきちんと見るべきだと思います。

 たとえばホコ天が雨後の竹の子のようにできて、たいがい失敗して止めてしまっています。それは周辺に渋滞が起こってしまった、あるいはホコ天空間にしたけれども沿道の商店は潤わなかったとか、そのエリアだけの空間デザインでは解決できない問題があるのです。

 だからこそ、そういうのを教えられてきた世代は、形の問題だけではダメなんだ、そこに市民とか、商売している人たちがどういうふうに関わっていくのか、そしてそのうえでのとりあえずの最適解を探すために、都市環境デザイナーとか建築家が、リーダーとかそんなんじゃなくて、仲間の一人として入っていくことに関心を持っているんだと思います。

 あるいはコーディネーターをするんだったら、その職能はどういう技が求められるのか。法律の網をかいくぐるような知恵もいるでしょう。そういうものは大学では教えてもらわなかったし、教えようもないんです。だから、そのあたりを都市環境デザイン会議のような集まりのなかで共有していくことはできないかと思います。

 そのためには都市環境デザイン会議に、建築とかランドスケープデザインとかアーバンデザインだけじゃなくて、それ以外の人たちも入ってくれるような仕組みがいると思います。


■歩行者空間は商店街対策であっては失敗する

中野

 歩行者空間については角野さんと同じような体験をしてきました。横浜の伊勢佐木モールを頑張った人たちをよく知っているんです。今も親しくさせていただいていますが、ああいう人たちが歩行者空間に対して醒めているんですよ。

 ところが日本の歩行者空間の根本的な失敗は商店街対策にしかなっておらず、街づくりになっていない。特に居住ということを日本の都市計画はあまりにおろそかにしてきたということが言えると思います。

 だからさっき言ったように、商業地域を商住混合地域と位置づけていれば良かったのですが、商業地域だからと日影規制をはずしてしまって高いビルが建つようにしてしまったじゃないですか。

 ヨーロッパの転機は1968年です。実は日本の転機も68年です。まさに180度違った都市計画を日本は採用してしまった。彼らが失敗して決別しようとしていた都市計画を68年に導入してしまったのです。それから奈落の底に落ちてきているんです。都市計画のなかで郊外居住のことしか考えなかったことをきちんと反省して、都心居住をどうしていくかを考えていくべきです。

 僕はエリアマネージメントをきちんとしていく人がいないと街はダメだと思います。いまの中心市街は居住者がいないんです。可哀想なことに通勤者しかいない。仕事でエリアマネージメントをする人はいるんですが、ほんとにその地域に住みついて地域のための活動をする人がいないかぎり息切れを起こすと思うんです。

 だから都市計画を根本的に見直さないとダメだということをアピールしたいと思います。


■制約を超えた成功例の勘所をどう伝えるか

江川

 既成の考え方とか条例とかが制約になって巧くいかないものが多いじゃないですか。

 そこをなんとかしてうまくいっている例が相当に多いと思うのですが、そういう例を話すと行政の人ってギャッとか言って引くけれども、知れば次のきっかけとなることも多いじゃないですか。

 だから、そういう情報を集めた本とかつくっていただいたら、と思うのですが、どうでしょう。

 建築基準法や都市計画法を変えなきゃと言っているけれども、そういうことがその第一歩になるんじゃないでしょうか。

前田

 書いてくれないんですよ。普通は。

 欧米ではこうだとか、日本のここはおかしんじゃないの、という話は散々聞いているんですが、そうじゃなくて、行政のどこをどうつついたら、この法律をこう読んだらできたということを書けたら役立つんですが、書いてくれないんです。

中野

 書くと国の担当者が「なにやってんだ、こんにゃろ」と呼び出して苛めたりするんですよ。やっぱり、担当者を守りたいから伏せておきたいですよ。

江川

 そうすると、たまたまできた事例で終わってしまう。

中野

 だから制度疲労を起こしているから、制度を変えようと言ってるわけです。

前田

 制度を変えるのは何年かかるか分からない!?。

中野

 制度を変えるのは議会だから、議会を動かしたら良いんです。議会を動かす力を持ちたいな、と僕は思っているんです。


■大きな枠組みの変更、たとえばダウンゾーニングが必要

松山茂

 都市計画制度も変わってきているんですよ。市民からの提案制度とかもできているし、ある地区で合意形成ができれば、ゾーニング等の変更ができるようになってきています。

中野

 制度はできています。提案制度も知っていますが、社会実験もいつまでも社会実験です。いい加減にきちんとしようと言いたいのです。

 いまは街全体のダウンゾーニングが必要だと思います。容積率を居住空間については半分に減らせ、使っていないところは減らせと言っています。これは特定の地区で合意を形成してということでは解決しがたいでしょう。

 なぜダウンゾーニングかと言えば、これから人口が減るからです。そういう時期にこれ以上、床をつくってどうするの!? 既存の床を壊して造るのは良いけれど、環境を損ねる形の増殖はもうやめよう、社会的なお荷物になってしまうよ、と言わなければいけないのかなと思っています。


■大きな話も小さな話も根本は一緒だ

前田

 長町さんの最初の話にもどると、コミュニティデザインとかソーシャルデザインが好まれるのは、彼らはすぐに自分たちの手でできることをやりたいんです。きっと。

 「中野先生のように制度を変えるぜ、革命だ!」といっていても100年かかる………。

長町

 現象はそうなんですよ。確かに私がやっているデザインの中でも公共の計画は一見話が大きく、大きなことをやっているように見えるんだけど、さっきの何故突破できるかということでは、その担当者とじゅうじゅうに話をしながら、その人と理解しあい共感しあえてはじめてできるんです。

 チマチマした界隈を作り込むとかいった場合、たとえば京都の町家地区のなかの街区の真ん中の町家は外に面していないでしょ。そこをうまく使うには町家のおばあちゃんとグジュグジュと話をして、建築の人からすれば地味だけど、デベロッパーの人を呼んできて人が住めるようにする。

 街は人が住んでいないとダメじゃないですか。それをやるのも結局、そのおばあちゃんとどうしゃべるかだけで決まる。

 チマチマした話も大きな枠組みのなかでの話も、結局は人に対してどうやるかということの、ねばり強い信念があるかどうかでしかない。それは一緒だと思うし、それが一番大切なことのように思います。

前田

 小さなことにやっていたり、魅力を感じている人たちと、中野さんのように大きなお話をされる人が考えていることが切れていると思われているのが一番問題だと思うんです。

 それを繋ぐ努力をどちらがやるべきかと言えば、年寄りがやるべきだろうと言いたいんですが。

長町

 賛成です。

中野

 いや、賛成ですよ。一人一人が変わっていかないと街は変わっていかないんです。だから繋がりはあると思います。

 それと信頼関係ですよ。初めてあったお役人と話をしていって信頼関係さえ勝ち取れれば、逆に応援してくれるんです。その人たちが。

 僕や長町さんが幸せなのは個人の名前で仕事ができたことです。ところが日本の場合は、組織あっての個人という形で動いている仕事、組織が多すぎます。行政体も組織ということで保険をかけているがゆえに個人の名前が出しづらい。コンサルなんてまさにそうでしょう。大手コンサルの場合は個人の名前はあまり出せないし、コロコロと担当替えをさせられて、信頼関係が勝ち取れないんですよ。有能な人はいるんですけどね。

 都市環境デザイン会議はその点、個人の名前で動いていますから、まだ期待を持っています。


■政策レベルとデザインレベルの協働をしたい

土井勉

 私は交通計画をひたすらやっていますが、さきほど出ていたように若い人が車を持たなくなるというように変わってきています。車がみんな大好きだった昔とはだいぶ変わってきたということと、所得が下がっているので車を持てない人が増えているからです。2010年に近畿圏で大規模な交通調査(パーソントリップ調査)が行われていますが、明らかに自動車の利用が若年層、壮年層で減っています。確かにモータリゼーションは転換期を迎えています。

 ところが一方で公共交通も瀕死の状態が続いています。

 どっちもしんどい。次に人々のモビリティをどういうふう支えていったら良いのかが見えない。たとえば京都は「歩くまち京都」といっているけれども、その実態はというと現状では理念が中心で、どういう仕組みをつくっていったらいいのかの全体像がよく分からない。私の専門である交通政策的にどうすれば良いのかは分かるんです。ただ、それだけでは楽しさや面白さが乏しいので、商業者の方や居住者の方にほんとに「ええなあ」と思って頂くためには、デザインを含めてかなり細かいところまで提案をしていかないと面白みが伝わらないなあと思うのです。自分でやるのは難しいので、是非、若い人と都市環境デザインを一緒にやりたいと思いました。

中野

 そういう意味では都市環境デザイン会議という人のネットワークが生きてきてほしいと思っています。

 それと車を使わざるをえないような都市をこの数十年の間につくってしまったんです。それを否定するのは、僕は無理だと思います。もうひとつ都市の問題と農村の問題と郊外の問題と三つ議論をきちんとすべきだと思います。

 農村地帯は公共交通が絶対に成りたたない。車で良いと思います。量的に限られているし、生産拠点が農村地帯にあるからこそ、車社会でしかないと思います。

 問題なのは、郊外と都心の関係をどう再構築するのかです。僕は郊外を捨てて農地に戻したい。山林にもどして人はもう一度街に戻るほうが幸せになれるのかな、と思います。

 公共交通を再生するにはある程度の密度が必要です。線状に住むのか、同心円状に住むのかは都市の選択であって良いと思います。ブラジルのクリチバは線状都市を選んでいますよね。いずれにしても都市の再構築が、これから20〜30年の間におきてくるのかなと感じています。


■都市環境デザイン教育を進めるべき

玄道文昭

 ツーリズムの研究をしている者です。今日のお話は、これからの夢というか、希望を持てたと思います。

 60年代、70年代の欧米での取組みを紹介いただきましたが、我が国の今後のことについて、やはり深刻な反省のもとに将来を見据えてしっかり行動していくべきかと思います。

 そういう意味でお話の内容は大変示唆に富み、私のような素人にとっては少々高い価格のテキストですが、購入しようと思うほどのものでした。と同時に私は学生時代は法律を勉強したのですが、この歳になって、どうして社会の課題解決に直接役立つ建築やデザインを勉強しなかったのかな、「こんなに面白いのか」ということを都市環境デザイン会議に出させていただいて感じています。

 そこで提案を含めて質問ですが、「都市環境デザイン」という科目が、全国の大学のカリキュラムのなかにあるのかどうか、です。もしないのでしたら、これから都市も地方も、日本の国土を長い時間をかけて再生していかなければいけない、それには人を育てることが要だと考えますので、都市環境デザイン会議が働きかけてはどうでしょうか。大学での今までの教育の反省を含めて、そうした提言をしていくことが大切だと思いますが、いかがでしょうか。

中野

 私は都市環境デザインという授業を担当しています。私の前任の曽根幸一さんが都市環境デザイン会議ができた20年ほど前に、芝浦工大の先生になられて、この科目をつくったのです。私は二代目です。

 そういう意味では特殊な学科かもしれませんが、欧米にゆくとアーバンデザインという言葉で授業が成立しているし、学部もあるのです。実際、外国の方々と話をしていると「職能はアーバンデザイナーだ」というと、それで話は通るのですが、日本だとまったく通らない。そのギャップを感じています。

 だから、なるべく都市環境デザイン会議の方が大学の先生になるように薦めています。というのも都市計画の授業はつまらないと学生がみんな言うんです。土地利用計画と都市施設計画を教えているんです。古いタイプの先生は。

 でも欧米の都市計画の教育はアーバンデザイン、感性に訴えるまちづくりをやって成功させているので、その実践活動もふくめて教えているのです。だから日本の都市計画教育自体がガラパゴス化していると僕は見ています。

 アーバンデザインというか都市環境デザインが本来の都市計画教育になっていかないと日本の街はよくならないなと思っています。


■有力政治家がいる街ほど寂れている?

中野

 最後に言わせていただきますが、有力政治家がいた街ほど寂れているんです。僕の分析では。

 僕の田舎は多くの歴代首相を生んでいて、土木予算をさんざん注ぎ込んで良い道をつくってきました。隣の県にも有力政治家がいらっしゃって、道路予算や都市改造予算をたくさん付けられているのですが、そういう街ほど拡散し、中心部は寂れてきているのです。むしろ僕はそういうことが寂れる原因になっていると思います。

 これからは人間の生活に予算を投入するような政治家がいるところが、栄えると僕は思います。

 そう意味では社会を変えていくのは選挙かもしれません。要は予算を取ってきてくれる人を市民が選んできたのです。地方都市は。これからは予算ではなく、良い政策を持っている人を選ぶようになってくるように僕は思っています。次に書く新書版では「有力政治家がいた街ほど寂れている」と堂々と書こうと思っています。不必要な都市改造に予算を投じてきた街ほど、寂れているのです。


■人口減少を悲観しない

鳴海邦碩

 今日は分かりやすいお話と積極的な議論があり、これから都市環境デザイン会議の将来を考えるために大切な話がたくさんあったと思います。

 一つだけ感想を申しますと、いま日本が人口がどんどん減っていって、縮退するとか、いろいろな課題言われています。結局、どういうことが起きるかを簡単に考えると、2060年に1960年の人口になるということだそうです。何千万か減ります。

 ですが、1960年に私は高校生でしたが、街はもっと楽しかったのです。そういう状況に戻るのだから、「別に心配は要らないな」と思っていますが、どうやってその時代がもっていた街の仕組みに戻すかを考えていかなければいけないと思います。

 これからのまちづくりのねらいが変わってきていることは確かなことだと思います。

 もう一つ、旭川の買物公園ができて今年で40年になりました。当時の旭川では五十嵐広三さんという社会党の人が市長でした。あまり予算がなく自前で歩行者空間を作ったのですが、そのときの狙いを買物公園ができたときに五十嵐さんが演説しています。「商業者は買い物が狙いだが、市民は公園が狙いである。それをこの場所で繋ぐことができた」と言っているのですが、なかなか卓見だと思います。

 四十年たって今は商業者がいかに活用するかが勝ちすぎて、公園としての役割が十分生かされていないように感じます。JUDIの関西ブロックと北海道ブロックで40周年の買物公園を徹底的に解明しようと思っています。

 今日はどうも有難うございました。

     
     追記(中野)
     本日の短い交流の中で、多くの話が飛び交い、舌足らずの部分は否めません。もし差支えなければ、私の主張の続きと言いますか、バックグラウンドをお話しさせてもらった、別のサイト「WEB10+1の2011年の10月号」も参照していただければ、少しは理解が深まるかと思います。
    http://10plus1.jp/monthly/2011/10/20.php
 
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