制度疲労を起こしている日本の都市計画 |
そして高齢社会を考えれば、脱車社会と言いますか、車に依存しない生活パターンと公共交通の再生です。
「スクラップアンドビルド型から修復へ」が大きな流れでしょう。
基盤整備が遅れているという理由で、各地で区画整理が行われていますが、2番目にお見せした北海道の例は全くの開拓都市で中心市街の道路も整っている。その結果、典型的な車依存の都市となり、都市機能が拡散していったと言えます。
日本は道路とか土木施設、ハコモノに減ったとはいえ、今や都市再生に予算が集中投入され、道路の場合は用地費や建物補償など国の支援対象となり、地元に大きな資金が落ちるわけです。
その点、都市環境デザインは最後の末端の隅っこのような予算で動いていますが、市民の生活の上で重要な存在と私は見ています。このようなところに必要なお金をつけていけば、少しの金額で大きな効果が上がるということがあると思うんです。
そういう見方では、地方都市の都市計画は、「国の補助金をもらうための都市計画」に堕しているようなところが気になりますね。行政も国のお金がつかないものは手を出さない。不幸なことに東北の被災地の復興もそうではないか、ということを言う人もいますね。
やはり何がなんでも国の発想にすがるのではなく、地方独自に街の再生を考える。そのためには、地方に人材が必要、当然お金も…ですが。国のお役人の方々も、実はそのような、地方からの提案やアイデアを求めているんですよ。政治家の方々にも、もうすこし街づくりのことを理解してもらえるようにしたい。やはり公共事業全体の予算配分を見直していかないといけない。
「平等に市民に使わせない」ようにしているんです。マリーナだって欧米ではきちんと使用料を払ってヨットとかクルーザーを泊めている。日本は特定の人に貸してしまうとまずいから全員貸せない。私が住んでいるまちでは、以前私が住み始めた頃には水辺にヨットとか、クルーザーが並んでいたのに、税金を使って追い出してしまったんです。不法係留ではあったが、ウォーター・フロントらしい、意外とよい風景でしたね。外国のように、きちんとお金をとって泊めてもらえば、自治体収入になり、市民還元もできる。なぜか、それができない。
オープンカフェでもいつまでも社会実験です。ちゃんと賃料が取れないからです。というのも道路使用料はめちゃくちゃ安いからです。欧米はこれが高い。高いから、それをちゃんと市民に還元できるんです。通行の用に供しない余裕のある場所は、公共の利益のために貸してもいいじゃないか。その代わり、何かイベントのある時には、たとえばパリのシャンゼリゼでは8時間以内に撤去できることといった条件もついています。清掃の義務もつけているから、道路の清掃費がその分、安くなっているのです。
そういう意味での費用対効果を考えれば、もっと自由に使わせてくれればいいじゃないかと言い続けているのです。私は公共空間を一般市民が利用してくれるよう、いろいろなところでやってきていますが、そういう制度にしようよと言い続けてもいます。
そろそろ道路法改正、道路交通法改正も提案したいし、そのために社会実験的にやってきたことを本にまとめようかなという思いもあります。
それとやっぱりあちらでは市民がサポートしてくれているから、それができるんです。
でも、そろそろ制度疲労の地方の街づくりを変える革命を起こさないといけませんね。共鳴される方は是非、発言してください。
逆に言えば歩行者や人間中心の町にしていけば、都市環境デザインの仕事はいっぱい増えていくと思います。