ソウルの都市再生の流れ
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ソウルの都市再生の流れ

金烏工科大学校 金永敏

 

     
     ご講演記録は都市環境デザインセミナーでのご講演と、ほぼ同内容の講演をされた都市大阪創生研究会でのご講演記録をご好意により提供いただいたものです。
     質疑応答は都市環境デザインセミナーのものです。
 
 ソウルは朝鮮時代から政治、経済、文化の中心として、約600年間、韓国の首都となっている。現在、全国民の約半数の1200万人がソウル首都圏に集中して、暮らしている。1950年の韓国戦争において、ソウルは全壊した。後に再建期を経て1960年代から80年代までは経済成長期が続いた。

 その後、1990年に至るまで開発偏重で機能や効率ばかりを重視した高度成長が進んだ結果、ソウルは無味乾燥な都市環境となってしまった。また、開発初期の施設は老朽化している。このような状況を、「「縮み」志向の日本人」の著書である、李御寧(イ・オリョン)教授は「新たに建てられた醜悪な永久のスラム」と述べている。

 しかし、2000年代に入ると状況は一変する。本日は、この2000年代以降のソウルの変化について主に発表する。

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図1 2000年以後のソウルの変化
 
 ソウルの変化のおおむねは2人の市長の政策によって行われた。1人目は李明博(イ・ミョンバク)元市長(現大統領)(任期:2002年〜2006年)、2人目は呉世勲(オ・セフン)前市長(2006年〜2011年)である。

 李明博元市長は清渓川(チョンゲチョン)の復元やソウルの森、駱山マウル(マウルは町や村の意)の公共美術プロジェクト、ソウル広場、南大門広場などに取り組んだ。呉世勲前市長はデザイン・ソウルというプロジェクトを行った(図1)。

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