ソウルの都市再生の流れ
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(1)李明博元市長

 

■ア)清渓川復元プロジェクト

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図2 清渓川を覆った高速道路と周辺環境
 
 清渓川は朝鮮時代の首都(漢城(ハンソン))の中心にあり、都城内の生活河川としての重要な役割を担っていた。王様の通る道は国の象徴性やアイデンティティが高い場所であり、その王様が通る道に清渓川があり、王様が通るように幅広い橋、広橋(クアンギョ)が架けられるなど、歴史的に重要な象徴的意味も持っている場所であった。

 しかし、朝鮮戦争(1950年)以降、多くの無許可の不良住宅が建設され、著しい環境の悪化を招いた。

 1958年からは清渓川に蓋をする作業を行うと同時に、歴史的な文化財である広橋も埋められた。政府は悪い環境を隠したくて蓋をしたのである。

 また、1967年からはこの上に高架高速道路が建設され、周辺には露天商や違法駐車などでスラム化し、環境が大変悪かった(図2)。

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図3 清渓川の復元 計画の目的
 
 李明博元市長はこの清渓川の復元を行った。2003年に工事を開始し、2005年に竣工となっている。清渓川の始点にある広場から、接続する漢江(ハンガン)という川まで約6kmと長い区間になっている。上流から歴史区域、文化区域、自然区域の3区域に分かれている(図3)。

 歴史区域は広橋を復元し、歴史的な意味を付け加えた。この歴史区域は多くの人々が集まる場所となっており、1番の人気を持っている。ここには広場があり、さまざまなイベントやパフォーマンス、演奏、芸術が(市の許可をもらって)行われている。

 文化区域は川幅が狭い場所になっている。また、あちこちに舞台が整備され、文化講演などさまざまなイベントが行われている。さらに、護岸壁には芸術が施されている。例えば、正祖(チョンジョ)という韓国の王様のお出ましを描いた、朝鮮時代の絵が約50mも描かれている。

 自然区域は再び川幅が広くなり、さまざまな動植物が生息し、良好な環境として保全されている。水中にも魚など水生生物が生息している。


■イ)ソウルの森

 ソウルの森は元競馬場だった35万坪の敷地に、文化と生態を生かした公園として造成された。自然生態系、生態環境を造成し、さらにさまざまな文化活動ができる公園となっている。この公園は「ソウルグリーントラスト活動」によって、市民参加で造成された韓国初の公園である。市民が公園の計画から造成、維持管理までの全過程を行っている。現在もボランティアによって公園は維持されている。ボランティアは「守りボランティア」、「作りボランティア」、「助けボランティア」に分かれており、イベントの開催や公園の造成、運営・事務行政を担当するなど役割分担を行っている。

 この公園は最初から民間から寄付金をもらって造成された公園である。公園内にはさまざまな美術品が多くあり、面白い施設や装置もおかれている。また動植物も多く、生態環境がよく保存されている。


■ウ)駱山マウル公共美術プロジェクト

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図4 駱山マウルの事例
 
 駱山マウルはソウルの典型的なスラム住宅地域であり、ソウルの開発から疎外された下町である。駱山は山の斜面に位置し、無気力な雰囲気の街となっていた。この街が2006年にソウルが支援している公共美術プロジェクトである「ART in CITY」の対象地として選出され、街の中に数多くの作家による公共美術品が設置され、マウルの雰囲気を活発にした(図8)。

 公共美術プロジェクトは公共美術品を街中に設置し、街並みを活性化しようとする運動で、駱山の成功を受け、全国的に広がった(図4)。

 また、ソウルは独自に「都市ギャラリー・プロジェクト」を実施している。これは古い街に壁画や美術品を至るところに配置し、人々が面白く街を歩けるようにして、多くの外部からの人が訪れる街にしているプロジェクトである。

 最も成功している地方の事例は統營(トンヨン)という韓国南部の海沿いの地域である。ここも斜面地にある住宅街であり、スラム化のため市が再開発を決めた場所であった。しかし、ART in CITYプロジェクトを行い、市の再開発計画を止めさせた。市の再開発計画には賛成者もいれば反対者もいた。そのため、市は再開発に賛成する住民の家を市費で買い取り、これを他の人に安く貸し出し運営している。ここでも壁画を多く描き、ベンチを設置するなどしている。現在では、週末に300人ほどの観光客が来るほどの名所となっている。

 また、ソウルは独自に「都市ギャラリー・プロジェクト」を実施している。これは古い街に壁画や美術品をいたるところに配置し、人々が面白く街を歩けるようにして、多くの外部からの人が訪れる街にしているプロジェクトである。


■エ)ソウル広場と南大門広場

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図5 ソウル広場
 
 ソウルには広場というものが一部(軍事政権時に作られた広場)を除いてほとんどなかった。そのため、市民に憩いの場を提供することを目的として、ソウル広場と南大門広場が作られた。

 ソウル広場はソウル市庁前に造成された広場である。広場が造成される前は自動車交通の交差点だった。現在はこの広場に人々が集まり、ピクニックをする人もいれば、歌手のライブやイベントやパフォーマンスが行われている。ソウル広場は韓国の余白の美を生かしている。これまでコンペによって様々な設計が集められたが、結果的に、何も設置せず余白美を生かした、マダン(韓国独自の空地、天の気を受ける場)のような空間とすることとなった(図5)。

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図6 南大門広場
 
 南大門は先述の漢城というソウルの正門であり、歴史的な意味合いが強く、韓国人の誇りである。それにもかかわらず、この南大門は以前は自動車交通のロータリーに囲まれており、人々が接近することができない状態であった。そのため、南大門の周囲を広場・公園化し、ここまで人々が行き交えるようにした。現在、焼失した南大門は全て伝統的な方法で復元されつつあり、今後城壁までつなぐ計画となっている(図6)。

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