(1)李明博元市長 |
図2 清渓川を覆った高速道路と周辺環境 |
しかし、朝鮮戦争(1950年)以降、多くの無許可の不良住宅が建設され、著しい環境の悪化を招いた。
1958年からは清渓川に蓋をする作業を行うと同時に、歴史的な文化財である広橋も埋められた。政府は悪い環境を隠したくて蓋をしたのである。
また、1967年からはこの上に高架高速道路が建設され、周辺には露天商や違法駐車などでスラム化し、環境が大変悪かった(図2)。
図3 清渓川の復元 計画の目的 |
歴史区域は広橋を復元し、歴史的な意味を付け加えた。この歴史区域は多くの人々が集まる場所となっており、1番の人気を持っている。ここには広場があり、さまざまなイベントやパフォーマンス、演奏、芸術が(市の許可をもらって)行われている。
文化区域は川幅が狭い場所になっている。また、あちこちに舞台が整備され、文化講演などさまざまなイベントが行われている。さらに、護岸壁には芸術が施されている。例えば、正祖(チョンジョ)という韓国の王様のお出ましを描いた、朝鮮時代の絵が約50mも描かれている。
自然区域は再び川幅が広くなり、さまざまな動植物が生息し、良好な環境として保全されている。水中にも魚など水生生物が生息している。
この公園は最初から民間から寄付金をもらって造成された公園である。公園内にはさまざまな美術品が多くあり、面白い施設や装置もおかれている。また動植物も多く、生態環境がよく保存されている。
図4 駱山マウルの事例 |
公共美術プロジェクトは公共美術品を街中に設置し、街並みを活性化しようとする運動で、駱山の成功を受け、全国的に広がった(図4)。
また、ソウルは独自に「都市ギャラリー・プロジェクト」を実施している。これは古い街に壁画や美術品を至るところに配置し、人々が面白く街を歩けるようにして、多くの外部からの人が訪れる街にしているプロジェクトである。
最も成功している地方の事例は統營(トンヨン)という韓国南部の海沿いの地域である。ここも斜面地にある住宅街であり、スラム化のため市が再開発を決めた場所であった。しかし、ART in CITYプロジェクトを行い、市の再開発計画を止めさせた。市の再開発計画には賛成者もいれば反対者もいた。そのため、市は再開発に賛成する住民の家を市費で買い取り、これを他の人に安く貸し出し運営している。ここでも壁画を多く描き、ベンチを設置するなどしている。現在では、週末に300人ほどの観光客が来るほどの名所となっている。
また、ソウルは独自に「都市ギャラリー・プロジェクト」を実施している。これは古い街に壁画や美術品をいたるところに配置し、人々が面白く街を歩けるようにして、多くの外部からの人が訪れる街にしているプロジェクトである。
図5 ソウル広場 |
ソウル広場はソウル市庁前に造成された広場である。広場が造成される前は自動車交通の交差点だった。現在はこの広場に人々が集まり、ピクニックをする人もいれば、歌手のライブやイベントやパフォーマンスが行われている。ソウル広場は韓国の余白の美を生かしている。これまでコンペによって様々な設計が集められたが、結果的に、何も設置せず余白美を生かした、マダン(韓国独自の空地、天の気を受ける場)のような空間とすることとなった(図5)。
図6 南大門広場 |